水野先生とっておき「京の撮影術」 三門(楼上) 編
臥雲橋から日下門を通って、東福寺に再度入りました。このルートは私が来た道と同じです。行きは禅堂横にあるトイレに入って、水野先生と出会いましたが、今度は禅堂を右手に周り三門に着きました。
普段は非公開のため誰も入れませんが、臥雲橋でモデルになっていただいた僧侶の方が鍵を開けてくれ一同中に入りました。
国宝に指定されている三門は、正面25.5㍍、奥行き10.22㍍、高さ22㍍もあり雄大です。室町時代の応永年間(1394年~1428年)の完成で室町幕府第4代将軍・足利義持の再建。日本の禅宗寺院で現存する最大かつ最古の三門です。内部には宝冠釈迦如来像や十六羅漢像が並ぶ。天井や梁(はり)には当時の画僧、明兆(みんちょう)らの筆で龍(りゅう)や人頭鳥身の迦陵頻伽(かりょうびんが)が色鮮やかに描かれています。
今日は、内部の拝観はありません。これは事前に説明があったので納得です。僧侶さんが先に上がられ続いて急な階段をゆっくり登ると、素晴らしい眺望が目に飛び込んで来ました。
この眺望は2011年(平成23年)の3月以来です。2013年3月も来ましたが、その時は楼上での撮影を断れたので、登りませんでした。
天気予報が外れ絶好の天気となってため、京都タワーも綺麗に見えました。まだ全員が登りきれてないので、最初は好きに撮りました。次は法堂です。
ここまで登ると風も強くて心地良いです。高い所が好きな私には、最高の気分でした。
その法堂を正面に見て北西を見ると京都タワーと、そのずっと奥が愛宕山です。
30名もの大人数が上がりきるまで時間があったので、一通り三門の楼上を回ります。
東側の回廊に出たところで、事務局より案内があったので、南側の回廊まで戻ると、講習が始まりました。
最初、水野克比古先生から東福寺の歴史について話されました。まぁ・・・これだけ来てるので、一度は聞いた話でしたが。
前方に見える法堂ですが、1861年(明治14年)12月16日の夜に大火災によって法堂・仏殿・方丈・庫裏が焼失したあと、半世紀たった1934年(昭和9年)に京都大学工学部教授の天沼俊一(あまぬましゅんいち)氏の設計により再建されました。
設計の話は知らなかったですね。さすがに半世紀も京都の写真を撮り続けられてので歴史も詳しいです。ここ三門楼上の挿肘木(さしひじき)も特徴があるそうですが・・・。
今は、楼上からの撮影は禁止されてますが、2011年の3月の時、まだ楼上での撮影が許可されてた時も、建物に向けての撮影は厳しく禁止されてました。今日は、建物も撮れるので嬉しいです。
早速、法堂を撮りますが、上は普通に撮ったもの。下は、レクチャを聞いてから撮ったものです。
カメラの性能の限界があるので、写りはもう一つですが、手前の手すりなんかを取り込むと禅宗寺院らしさがでるらしいです。
手すりを利用して、額縁に見立てて撮るのも面白いでしょう。でも私のカメラでは限界でした。しかし、今後の参考にはなりました。
多くの人が先生の話を聞いて撮られるので、私にとっては時間が余ります。それで先に南側の回廊に出て西山連峰を撮りました。最も南側の山が天下分け目の天王山です。
三門の南側の中程に大きな扁額が架かっており「妙雲閣」と書いてあります。これは、この三門を再建した室町幕府4大将軍・足利義持によるものです。
近くで見ると巨大なもので、撮りにくいことしきりです。
三門の南には思遠池があって、蓮が咲くそうですが・・・うと、2ケ月ほど先でしょうか。
ここで、水野克比古・秀比古先生から興味深い話を聞いたので、この回廊の東側に移動します。
今日は天気快復しましたが、少しガスっています。天王山の対岸にある石清水八幡宮がある小高い山の東側のずっとずっとずっと先には、本当なら阿倍野ハルカスが見えるそうです。
通常は非公開のため阿倍野ハルカスが見えるチャンスは少ないでしょう。3月14日~16日は毎年公開されるので、冬の澄んだ空気なら見えるかもしかし、その時は撮影禁止ですね。
上の写真の南側に塔頭がありますが、少し下がった所にあるのが波心庭(はしんてい)で有名な光明院がありますが、ここからは見えません。
次が西側で、眼下に見えているのが東司(重要文化財)です。「とうす」と読みます。先生も話されましたが、早い話トイレのことです。
それより私が女房に「東司の南側の屋根のずっと向こうに見えている高い建物がNINTENDO本社ビルやで」と話したら先生も、「そやね、大きなビルやね」と返してもらいました。
回廊西側ですが、アドバスの通り少ししゃがんで撮りました。しかし、天気が良すぎましたね。写真家の話では、写真を撮るには曇空が良いそうです・・・適度な日照は必要らしいです。
もうたっぷり撮りました。もう当分は、三門・・・充分です。写真右に見えている階段を下りました。降りるのも早いほうでした。
混み合ったら急な階段を下るのは恐いので、先に降りた次第です。始めに「三門内部の撮影は出来ません」と聞いてしましたが、内部は固く閉まってて、元から入れなくなってました。この内部を見たくなったら再訪するかも知れませんが、当分はお腹が一杯で、もう充分です。つづく。
【東福寺 三門】
普段は非公開のため誰も入れませんが、臥雲橋でモデルになっていただいた僧侶の方が鍵を開けてくれ一同中に入りました。
国宝に指定されている三門は、正面25.5㍍、奥行き10.22㍍、高さ22㍍もあり雄大です。室町時代の応永年間(1394年~1428年)の完成で室町幕府第4代将軍・足利義持の再建。日本の禅宗寺院で現存する最大かつ最古の三門です。内部には宝冠釈迦如来像や十六羅漢像が並ぶ。天井や梁(はり)には当時の画僧、明兆(みんちょう)らの筆で龍(りゅう)や人頭鳥身の迦陵頻伽(かりょうびんが)が色鮮やかに描かれています。
今日は、内部の拝観はありません。これは事前に説明があったので納得です。僧侶さんが先に上がられ続いて急な階段をゆっくり登ると、素晴らしい眺望が目に飛び込んで来ました。
この眺望は2011年(平成23年)の3月以来です。2013年3月も来ましたが、その時は楼上での撮影を断れたので、登りませんでした。
天気予報が外れ絶好の天気となってため、京都タワーも綺麗に見えました。まだ全員が登りきれてないので、最初は好きに撮りました。次は法堂です。
ここまで登ると風も強くて心地良いです。高い所が好きな私には、最高の気分でした。
その法堂を正面に見て北西を見ると京都タワーと、そのずっと奥が愛宕山です。
30名もの大人数が上がりきるまで時間があったので、一通り三門の楼上を回ります。
東側の回廊に出たところで、事務局より案内があったので、南側の回廊まで戻ると、講習が始まりました。
最初、水野克比古先生から東福寺の歴史について話されました。まぁ・・・これだけ来てるので、一度は聞いた話でしたが。
前方に見える法堂ですが、1861年(明治14年)12月16日の夜に大火災によって法堂・仏殿・方丈・庫裏が焼失したあと、半世紀たった1934年(昭和9年)に京都大学工学部教授の天沼俊一(あまぬましゅんいち)氏の設計により再建されました。
設計の話は知らなかったですね。さすがに半世紀も京都の写真を撮り続けられてので歴史も詳しいです。ここ三門楼上の挿肘木(さしひじき)も特徴があるそうですが・・・。
今は、楼上からの撮影は禁止されてますが、2011年の3月の時、まだ楼上での撮影が許可されてた時も、建物に向けての撮影は厳しく禁止されてました。今日は、建物も撮れるので嬉しいです。
早速、法堂を撮りますが、上は普通に撮ったもの。下は、レクチャを聞いてから撮ったものです。
カメラの性能の限界があるので、写りはもう一つですが、手前の手すりなんかを取り込むと禅宗寺院らしさがでるらしいです。
手すりを利用して、額縁に見立てて撮るのも面白いでしょう。でも私のカメラでは限界でした。しかし、今後の参考にはなりました。
多くの人が先生の話を聞いて撮られるので、私にとっては時間が余ります。それで先に南側の回廊に出て西山連峰を撮りました。最も南側の山が天下分け目の天王山です。
三門の南側の中程に大きな扁額が架かっており「妙雲閣」と書いてあります。これは、この三門を再建した室町幕府4大将軍・足利義持によるものです。
近くで見ると巨大なもので、撮りにくいことしきりです。
三門の南には思遠池があって、蓮が咲くそうですが・・・うと、2ケ月ほど先でしょうか。
ここで、水野克比古・秀比古先生から興味深い話を聞いたので、この回廊の東側に移動します。
今日は天気快復しましたが、少しガスっています。天王山の対岸にある石清水八幡宮がある小高い山の東側のずっとずっとずっと先には、本当なら阿倍野ハルカスが見えるそうです。
通常は非公開のため阿倍野ハルカスが見えるチャンスは少ないでしょう。3月14日~16日は毎年公開されるので、冬の澄んだ空気なら見えるかもしかし、その時は撮影禁止ですね。
上の写真の南側に塔頭がありますが、少し下がった所にあるのが波心庭(はしんてい)で有名な光明院がありますが、ここからは見えません。
次が西側で、眼下に見えているのが東司(重要文化財)です。「とうす」と読みます。先生も話されましたが、早い話トイレのことです。
それより私が女房に「東司の南側の屋根のずっと向こうに見えている高い建物がNINTENDO本社ビルやで」と話したら先生も、「そやね、大きなビルやね」と返してもらいました。
回廊西側ですが、アドバスの通り少ししゃがんで撮りました。しかし、天気が良すぎましたね。写真家の話では、写真を撮るには曇空が良いそうです・・・適度な日照は必要らしいです。
もうたっぷり撮りました。もう当分は、三門・・・充分です。写真右に見えている階段を下りました。降りるのも早いほうでした。
混み合ったら急な階段を下るのは恐いので、先に降りた次第です。始めに「三門内部の撮影は出来ません」と聞いてしましたが、内部は固く閉まってて、元から入れなくなってました。この内部を見たくなったら再訪するかも知れませんが、当分はお腹が一杯で、もう充分です。つづく。
【東福寺 三門】