水野先生とっておき「京の撮影術」 龍吟庵(前編) 編
偃月橋を渡ると、そこは国宝 龍吟庵の入口です。私にとって2011年3月以来の訪問となりました。ただ龍吟庵の読み方を「りゅうぎんあん」だと思ってました。そして今日「りょうぎんあん」であることを恥ずかしながら知った次第です。
表門の東側に中門があって、そこから入ると左側から龍吟庵に上がるよう案内されました。
中門を入って、右手には台所兼住居にあたる庫裏があり、ここは重要文化財に指定されています。
3月14日~16日の公開時には、ここは公開されてませんでした。
庫裏には行けないようになってました。そのため左手に進み龍吟庵の方丈に上がると南側に南庭がありますが、それは後程レクチャしてもらうので、先に建物を見て行きました。建物は国宝に指定されているので、リュックやバック、カメラで傷をつけないように注意しますし、事務局よりお願いもされました。
内部は撮影禁止と三門と同じく、事前に聞いてましたが、どの部屋も固く閉まってて、見られません。前途したとおり、2011年3月に来ています。お寺の方よりガイド付きで見せて貰ったんですが、方丈内部の記憶が全くありません。重森三玲の庭はハッキリと記憶しているのに・・・襖絵なんかあったのかなぁ内部が撮影禁止だったからでしょうか。
龍吟庵は、臨済宗東福寺派大本山・東福寺の塔頭寺院で、鎌倉時代に東福寺三世住持を努めた大明国師・無関普門(南禅寺開山)の住房跡です。国宝に指定されてる方丈は、室町時代に建てられた現存最古の禅宗方丈建築で、書院造りと寝殿造りの名残をとどめた柿葺屋根の優雅な建造物です。方丈中央に架かる扁額「龍吟庵」は、室町幕府3代将軍・足利義満の筆によるものです。
水野克比古先生と同じく、早く方丈に上がったので、先生に龍吟庵の歴史や書院造と宸殿造の手法が融合した名建築の詳細を教えてもらいました。私も数多くの寝殿造りの建物を見て来たので、大体の特徴は分かってた・・・つもりでしたが、勉強になりました。
水野秀比古先生と後続が少し遅れてたので、それまで方丈南庭で「無の庭」と呼ばれる庭園を、克比古先生のアドバイスを聞いて撮りました。
ここ中央の表門にあわせて撮影したら良いとのアドバイスでした。
建物に当たらないように注意しながら下がり、表門を中心に撮ってみました。
一木一草も用いない簡素な白砂敷き。あまりにも簡素な庭園のため、ここではゆっくり座って鑑賞したいです。
また、この庭の奥の垣根に注目です。雷模様となってるが分かりますか
1964年(昭和39年)に昭和の名作庭家・重森三玲によって造られたました。方丈を囲んで、南・西・東の三方向に配された趣が異なった庭園が特徴です。
南庭のあとは、方丈西庭の「龍の庭」ですが、ここと東庭は後編でアップします。それより方丈西側に置かれた置物に皆さん盛んにシャッターを切られてました。
多分、フクロウだと思いますが、庭の写真に夢中で、引っかけて倒した会員さんもおられました。
方丈の北側に出ると、そこには開山堂がありました。正面の扁額「霊光」は、室町幕府三代将軍・足利義満の筆によるものです。
また、堂内は非公開ですが、大明国師(だいみんこくし)坐像(重要文化財・鎌倉時代)が祀られています。
それでは、西の庭と東の庭は、後編につづきます。
【東福寺塔頭 龍吟庵 無の庭】
表門の東側に中門があって、そこから入ると左側から龍吟庵に上がるよう案内されました。
中門を入って、右手には台所兼住居にあたる庫裏があり、ここは重要文化財に指定されています。
3月14日~16日の公開時には、ここは公開されてませんでした。
庫裏には行けないようになってました。そのため左手に進み龍吟庵の方丈に上がると南側に南庭がありますが、それは後程レクチャしてもらうので、先に建物を見て行きました。建物は国宝に指定されているので、リュックやバック、カメラで傷をつけないように注意しますし、事務局よりお願いもされました。
内部は撮影禁止と三門と同じく、事前に聞いてましたが、どの部屋も固く閉まってて、見られません。前途したとおり、2011年3月に来ています。お寺の方よりガイド付きで見せて貰ったんですが、方丈内部の記憶が全くありません。重森三玲の庭はハッキリと記憶しているのに・・・襖絵なんかあったのかなぁ内部が撮影禁止だったからでしょうか。
龍吟庵は、臨済宗東福寺派大本山・東福寺の塔頭寺院で、鎌倉時代に東福寺三世住持を努めた大明国師・無関普門(南禅寺開山)の住房跡です。国宝に指定されてる方丈は、室町時代に建てられた現存最古の禅宗方丈建築で、書院造りと寝殿造りの名残をとどめた柿葺屋根の優雅な建造物です。方丈中央に架かる扁額「龍吟庵」は、室町幕府3代将軍・足利義満の筆によるものです。
水野克比古先生と同じく、早く方丈に上がったので、先生に龍吟庵の歴史や書院造と宸殿造の手法が融合した名建築の詳細を教えてもらいました。私も数多くの寝殿造りの建物を見て来たので、大体の特徴は分かってた・・・つもりでしたが、勉強になりました。
水野秀比古先生と後続が少し遅れてたので、それまで方丈南庭で「無の庭」と呼ばれる庭園を、克比古先生のアドバイスを聞いて撮りました。
ここ中央の表門にあわせて撮影したら良いとのアドバイスでした。
建物に当たらないように注意しながら下がり、表門を中心に撮ってみました。
一木一草も用いない簡素な白砂敷き。あまりにも簡素な庭園のため、ここではゆっくり座って鑑賞したいです。
また、この庭の奥の垣根に注目です。雷模様となってるが分かりますか
1964年(昭和39年)に昭和の名作庭家・重森三玲によって造られたました。方丈を囲んで、南・西・東の三方向に配された趣が異なった庭園が特徴です。
南庭のあとは、方丈西庭の「龍の庭」ですが、ここと東庭は後編でアップします。それより方丈西側に置かれた置物に皆さん盛んにシャッターを切られてました。
多分、フクロウだと思いますが、庭の写真に夢中で、引っかけて倒した会員さんもおられました。
方丈の北側に出ると、そこには開山堂がありました。正面の扁額「霊光」は、室町幕府三代将軍・足利義満の筆によるものです。
また、堂内は非公開ですが、大明国師(だいみんこくし)坐像(重要文化財・鎌倉時代)が祀られています。
それでは、西の庭と東の庭は、後編につづきます。
【東福寺塔頭 龍吟庵 無の庭】