世界文化遺産 宇治上神社へ
宇治神社を出て、さわらびの道に出ると直ぐに世界文化遺産 宇治上神社の鳥居が見えてきます。
1994年(平成6年)世界文化遺産に登録されたことを示す、大きな石標が目立ちます。
このツアー客・・・多分8名ぐらいだったと思いますが、バスガイドさんの後について行きます。ただ前回来てるので、場所は知ってます。ガイドさんより少し前に出て写真を撮りました。
大きな朱塗りの鳥居をくぐると、正面に境内の入口にあたる門が見えてきます。
世界文化遺産に登録されたので、いつも多くの参拝者で賑わいますが、この時だけは偶然にも人が途切れました。ラッキーでした。
境内に入るとバスガイドさんより先に朱印帳を出すように勧められました。この日神社用の朱印帳を持って来たのは、宇治上神社の御朱印をいただくためでした。前回2011年11月の訪問時にも持って行ったんですが、神職さんがご不在のため、いただくことができませんでした。今日は是非にでもと気合いが入ってました。
宇治上神社には14時40分に着きました。辰巳屋さんを出たのが13時40分過ぎだったので、1時間過ぎたことになります。皆さん拝殿(国宝)の前に集まった所で、バスガイドさんより簡単な案内がありました。
鎌倉時代前期の建立で、屋根は檜皮葺。寝殿造りの建物です。拝殿の前の清め砂は、毎年9月1日の奉納祭に氏子さん達によって奉納され、境内のお清め用の砂として1年間盛られ続けます。
切妻造の平入りの屋根の左右端に庇屋根(ひさしやね)を設けています。また、切妻屋根と庇屋根の接続部で軒先の線が折れ曲がっており、こうした形を縋破風(すがるはふ)と言い大変珍しい造りとなっています。周囲に榑縁(くれえん)をめぐらし、内部は板床と天井を張り、蔀戸(しとみど)を多用した住宅風の構えかせ特徴で、国宝に指定されています。
次ぎに裏に回って本殿(国宝)の前に移動しました。御祭神は、宇治神社と同じ菟道稚郎子命 (うじのわきいらつこのみこと)・第15代応神天皇・第16代仁徳天皇の三柱です。
神社建築としては日本最古の建物だと言われています。2004年(平成16年)調査では1060年頃(平安時代後期)の建築が裏付けられました。
国宝に指定されてる本殿は、2014年(平成26年)に30数年振りに檜皮を葺換え壁の乗り替え工事が終わりました。檜皮葺きの建物内に、一間社流造の内殿3棟が左右に並んでおり、内殿は左殿(向かって右)に菟道稚郎子命、中殿に応神天皇、右殿に仁徳天皇が祀られています。
神社の建物は、式年遷宮により何年間で建て替えられ、このような古い建築物は他には現存していません。本殿の前に上がりお参りし、中を覗き込みました。確かに内殿がありました。最近少しは神社のことも分かってきて、このように本殿前まで行けるのは貴重です。5年前の訪問時に比べて、格段に見た目が変わりました。
次の案内まで、大急ぎで本殿右隣にある鎌倉時代の建物で宇治上神社の摂社である春日社(重要文化財)に行きました。
平等院の鎮守社であった離宮社に、一族の繁栄を願って藤原氏が建てたものと思われています。(藤原氏の氏神は春日大社で あったとされています)
春日社と本殿との間には、天降石と呼ばれるしめ縄をかけた大きな石があります。
参拝者が積んでいった小石が積まれています。
また、春日社の奥には、宇治上神社の末社である住吉社(左)と香椎社(右)がありました。
境内は、そんなに広くありませんが、これ以上は単独行動は取れません。境内には、厳島社、稲荷社の末社がありますが、今日は行く時間がありませんでした。
最後に案内されたのが、桐原水てす。先の宇治神社にもありましたね。
詳しい事は宇治神社の桐原水と同じなんで・・・省略です。
また、境内には樹齢300年のケヤキの大木があって、ご神木かなぁと思ったんですが、立て札を詠むと・・・。
幹周は4.8㍍。樹高は27㍍。宇治市名木100選に選ばれています。
最後に、社務所で朱印帳を受け取ったあと、京都定期観光バスの特典であるうさぎみくじを引きました。
可愛いウサギの置物で、シールを剥がしたら中からおみくじが出てきます。色は、白・黄・ピンク・青の4色から選びます。
14時40分に着いて、宇治上神社を出たのが14時55分。滞在15分でした。「早すぎるだろう」と思っても仕方ないので、バスガイドさんについて宇治神社に戻ったのが15時00分。ここで自由行動に変わりました。もう一つの世界文化遺産の平等院に行ってもいいし、平等院の表参道でお買い物をしてもいいし、最初に自由行動があるのを知ってたら、別途計画したんですが・・・取りあえず平等院に向かって歩きました。この先は行ってから決めました。つづく。
【世界文化遺産 宇治上神社 本殿(国宝)】
1994年(平成6年)世界文化遺産に登録されたことを示す、大きな石標が目立ちます。
このツアー客・・・多分8名ぐらいだったと思いますが、バスガイドさんの後について行きます。ただ前回来てるので、場所は知ってます。ガイドさんより少し前に出て写真を撮りました。
大きな朱塗りの鳥居をくぐると、正面に境内の入口にあたる門が見えてきます。
世界文化遺産に登録されたので、いつも多くの参拝者で賑わいますが、この時だけは偶然にも人が途切れました。ラッキーでした。
境内に入るとバスガイドさんより先に朱印帳を出すように勧められました。この日神社用の朱印帳を持って来たのは、宇治上神社の御朱印をいただくためでした。前回2011年11月の訪問時にも持って行ったんですが、神職さんがご不在のため、いただくことができませんでした。今日は是非にでもと気合いが入ってました。
宇治上神社には14時40分に着きました。辰巳屋さんを出たのが13時40分過ぎだったので、1時間過ぎたことになります。皆さん拝殿(国宝)の前に集まった所で、バスガイドさんより簡単な案内がありました。
鎌倉時代前期の建立で、屋根は檜皮葺。寝殿造りの建物です。拝殿の前の清め砂は、毎年9月1日の奉納祭に氏子さん達によって奉納され、境内のお清め用の砂として1年間盛られ続けます。
切妻造の平入りの屋根の左右端に庇屋根(ひさしやね)を設けています。また、切妻屋根と庇屋根の接続部で軒先の線が折れ曲がっており、こうした形を縋破風(すがるはふ)と言い大変珍しい造りとなっています。周囲に榑縁(くれえん)をめぐらし、内部は板床と天井を張り、蔀戸(しとみど)を多用した住宅風の構えかせ特徴で、国宝に指定されています。
次ぎに裏に回って本殿(国宝)の前に移動しました。御祭神は、宇治神社と同じ菟道稚郎子命 (うじのわきいらつこのみこと)・第15代応神天皇・第16代仁徳天皇の三柱です。
神社建築としては日本最古の建物だと言われています。2004年(平成16年)調査では1060年頃(平安時代後期)の建築が裏付けられました。
国宝に指定されてる本殿は、2014年(平成26年)に30数年振りに檜皮を葺換え壁の乗り替え工事が終わりました。檜皮葺きの建物内に、一間社流造の内殿3棟が左右に並んでおり、内殿は左殿(向かって右)に菟道稚郎子命、中殿に応神天皇、右殿に仁徳天皇が祀られています。
神社の建物は、式年遷宮により何年間で建て替えられ、このような古い建築物は他には現存していません。本殿の前に上がりお参りし、中を覗き込みました。確かに内殿がありました。最近少しは神社のことも分かってきて、このように本殿前まで行けるのは貴重です。5年前の訪問時に比べて、格段に見た目が変わりました。
次の案内まで、大急ぎで本殿右隣にある鎌倉時代の建物で宇治上神社の摂社である春日社(重要文化財)に行きました。
平等院の鎮守社であった離宮社に、一族の繁栄を願って藤原氏が建てたものと思われています。(藤原氏の氏神は春日大社で あったとされています)
春日社と本殿との間には、天降石と呼ばれるしめ縄をかけた大きな石があります。
参拝者が積んでいった小石が積まれています。
また、春日社の奥には、宇治上神社の末社である住吉社(左)と香椎社(右)がありました。
境内は、そんなに広くありませんが、これ以上は単独行動は取れません。境内には、厳島社、稲荷社の末社がありますが、今日は行く時間がありませんでした。
最後に案内されたのが、桐原水てす。先の宇治神社にもありましたね。
詳しい事は宇治神社の桐原水と同じなんで・・・省略です。
また、境内には樹齢300年のケヤキの大木があって、ご神木かなぁと思ったんですが、立て札を詠むと・・・。
幹周は4.8㍍。樹高は27㍍。宇治市名木100選に選ばれています。
最後に、社務所で朱印帳を受け取ったあと、京都定期観光バスの特典であるうさぎみくじを引きました。
可愛いウサギの置物で、シールを剥がしたら中からおみくじが出てきます。色は、白・黄・ピンク・青の4色から選びます。
14時40分に着いて、宇治上神社を出たのが14時55分。滞在15分でした。「早すぎるだろう」と思っても仕方ないので、バスガイドさんについて宇治神社に戻ったのが15時00分。ここで自由行動に変わりました。もう一つの世界文化遺産の平等院に行ってもいいし、平等院の表参道でお買い物をしてもいいし、最初に自由行動があるのを知ってたら、別途計画したんですが・・・取りあえず平等院に向かって歩きました。この先は行ってから決めました。つづく。
【世界文化遺産 宇治上神社 本殿(国宝)】