念仏の里、大原に里に響く魚山声明の旋律 三千院へ
今日のツアーでは、2004年12月3日以来の三千院を一番の楽しみにしてました。三千院には2003年(平成15年)に修復された御殿門から入ります。
大原三千院の歴史は古く約1200年前に遡ります。"三千院"と呼ばれるようになったのは明治期からだそうで、788年(延暦7年)伝教大師最澄が、比叡山に根本中堂を創建した時、東塔南谷に一字を建てたことに始まります。
懐かしい御殿門を入って左手に進むと、拝観受付があって、そこで京都定期観光バスのワッペンを見せると由緒書きをいたたぎ中に入ります。
ここで靴を袋に入れます。それは後程自分の靴を履く必要があるためです。間違っても置くことのないように・・・と言っても・・・多分注意されるでしょうけど。
先ず上がると最初に目にするのが坪庭でしょう。
ここはほぼ素通りで、先ずは客殿を目指します。すると直ぐに着きました。ここではお庭をゆっくり鑑賞します。
さすがに三千院だけに、多くの人が庭に面にして座られてました。ここでは抹茶とお菓子をいただますが、今日はバスです。
ここの庭園は、聚碧園(しゅうへきえん)と言います。客殿の南側から東側に庭園は拡がっています。
山の傾斜を利用した上下2段式の池泉鑑賞庭園。サツキやシャクナゲなど植栽が豊富で、「碧(みどり)が聚(あつ)まる」の意味があるそうで、江戸時代の茶人・金森宗和(かなもりそうわ)の作庭と伝わっています。
ゆっくり見たいのは山々ですが時間が無いので、聚碧園を出で次ぎに宸殿に向かいますが、その前に法洗心・清浄水がありました。
ここを素通りして、渡り廊下から宸殿に入ります。
11年も前に来ましたが、来て見ると思い出します。前回は紅葉の時期でしたが。
宸殿に行くと、そこから靴を履いて下に降りました。ここからの風景が三千院のハイライトだと私は思っています。
ここは苔が綺麗です。梅雨時だし、もっと綺麗に見えた筈が、予想に反して天気になったから、瑞々しさはありませんが。
宸殿は三千院の最も重要な法要である御懺法講(おせんぼうこう)の道場として1926年(大正15年)に建てられました。雅楽と声明がとけあった御懺法講は、毎年5月30日に厳かに行われます。
宸殿からまっすぐ南に下がると往生極楽院があって、かつて極楽院と呼ばれ宸殿が建てられるまで本堂として使われてました。その名残が来迎院で紹介した朱雀門で、ここは正門として使われてました。
宸殿から見ると往生極楽院は裏側が見えています。そこで正面に回り込んで堂内に上がりました。
1148年(久安4年)高松中納言実衡(さねひら)の妻真如房尼(しんにょぼうに)が亡き夫の菩提を弔うために建立したのが近年、有力な説となっています。平安時代の阿弥陀堂建築の形式を今に伝える貴重な建築物で、重要文化財に指定されています。内陣は、国宝の阿弥陀三尊像が安置され、中央に本尊の阿弥陀如来像向かって右が、観音菩薩像。左が勢至菩薩像を安置。人々は極楽浄土を願ったのでしょう。
ここは苔が本当に綺麗です。苔生した上に杉木立。上の二枚の写真は、三千院では良く使われています。
ここから少し下がると観光客が何かを盛んにシャッターを押してます。三千院を紹介する写真で、上記の往生極楽院は2番目でしょう。一番は、ここ「わらべ地蔵」でしょうね(あくまで個人の感想です)。
左奥に往生極楽院が見えています。"わらべ地蔵"は小さくて可愛いので、ズームします。
苔生した上に可愛いお地蔵さんが置いてあるので、ご自分で探されるのも面白いです。
可愛いわらべ地蔵の奥が辨天池があって延命水が流れてました。
時間が無いのは分かってましたが、ここは・・・じっくり・・・と・・・見てしまいました。やっぱり外せないですね。
ここから階段を少しだけ上がります。この上に・・・もうネタバレですが、アジサイ園があります。この梅雨時に大原に来た最大の目的は、三千院のアジサイ園に行くことでした。
その前に、先般の三室戸寺でも見た宇賀神が祀られていたので、お参りしました。
三室戸寺では、触れましたが、ここのは無理ですね。
それでは、紫陽花苑に入ります。それは・・・つづく。
【三千院 往生極楽院】
大原三千院の歴史は古く約1200年前に遡ります。"三千院"と呼ばれるようになったのは明治期からだそうで、788年(延暦7年)伝教大師最澄が、比叡山に根本中堂を創建した時、東塔南谷に一字を建てたことに始まります。
懐かしい御殿門を入って左手に進むと、拝観受付があって、そこで京都定期観光バスのワッペンを見せると由緒書きをいたたぎ中に入ります。
ここで靴を袋に入れます。それは後程自分の靴を履く必要があるためです。間違っても置くことのないように・・・と言っても・・・多分注意されるでしょうけど。
先ず上がると最初に目にするのが坪庭でしょう。
ここはほぼ素通りで、先ずは客殿を目指します。すると直ぐに着きました。ここではお庭をゆっくり鑑賞します。
さすがに三千院だけに、多くの人が庭に面にして座られてました。ここでは抹茶とお菓子をいただますが、今日はバスです。
ここの庭園は、聚碧園(しゅうへきえん)と言います。客殿の南側から東側に庭園は拡がっています。
山の傾斜を利用した上下2段式の池泉鑑賞庭園。サツキやシャクナゲなど植栽が豊富で、「碧(みどり)が聚(あつ)まる」の意味があるそうで、江戸時代の茶人・金森宗和(かなもりそうわ)の作庭と伝わっています。
ゆっくり見たいのは山々ですが時間が無いので、聚碧園を出で次ぎに宸殿に向かいますが、その前に法洗心・清浄水がありました。
ここを素通りして、渡り廊下から宸殿に入ります。
11年も前に来ましたが、来て見ると思い出します。前回は紅葉の時期でしたが。
宸殿に行くと、そこから靴を履いて下に降りました。ここからの風景が三千院のハイライトだと私は思っています。
ここは苔が綺麗です。梅雨時だし、もっと綺麗に見えた筈が、予想に反して天気になったから、瑞々しさはありませんが。
宸殿は三千院の最も重要な法要である御懺法講(おせんぼうこう)の道場として1926年(大正15年)に建てられました。雅楽と声明がとけあった御懺法講は、毎年5月30日に厳かに行われます。
宸殿からまっすぐ南に下がると往生極楽院があって、かつて極楽院と呼ばれ宸殿が建てられるまで本堂として使われてました。その名残が来迎院で紹介した朱雀門で、ここは正門として使われてました。
宸殿から見ると往生極楽院は裏側が見えています。そこで正面に回り込んで堂内に上がりました。
1148年(久安4年)高松中納言実衡(さねひら)の妻真如房尼(しんにょぼうに)が亡き夫の菩提を弔うために建立したのが近年、有力な説となっています。平安時代の阿弥陀堂建築の形式を今に伝える貴重な建築物で、重要文化財に指定されています。内陣は、国宝の阿弥陀三尊像が安置され、中央に本尊の阿弥陀如来像向かって右が、観音菩薩像。左が勢至菩薩像を安置。人々は極楽浄土を願ったのでしょう。
ここは苔が本当に綺麗です。苔生した上に杉木立。上の二枚の写真は、三千院では良く使われています。
ここから少し下がると観光客が何かを盛んにシャッターを押してます。三千院を紹介する写真で、上記の往生極楽院は2番目でしょう。一番は、ここ「わらべ地蔵」でしょうね(あくまで個人の感想です)。
左奥に往生極楽院が見えています。"わらべ地蔵"は小さくて可愛いので、ズームします。
苔生した上に可愛いお地蔵さんが置いてあるので、ご自分で探されるのも面白いです。
可愛いわらべ地蔵の奥が辨天池があって延命水が流れてました。
時間が無いのは分かってましたが、ここは・・・じっくり・・・と・・・見てしまいました。やっぱり外せないですね。
ここから階段を少しだけ上がります。この上に・・・もうネタバレですが、アジサイ園があります。この梅雨時に大原に来た最大の目的は、三千院のアジサイ園に行くことでした。
その前に、先般の三室戸寺でも見た宇賀神が祀られていたので、お参りしました。
三室戸寺では、触れましたが、ここのは無理ですね。
それでは、紫陽花苑に入ります。それは・・・つづく。
【三千院 往生極楽院】