額縁庭園が見所の宝泉院へ
三千院を出て、手前から実光院、勝林院、宝泉院が残りました。この3ケ寺は、地理的に近いので移動距離の心配は要りません。ただ1ケ寺院を10分・・・これは無理です。ここからは私が行きたい順に行くことにしました。先ずは、庭園が評判の宝泉院からです。
三千院を出て、先ず実光院の前を通り過ぎます。ここでは抹茶とお菓子付きの拝観と拝観のみの二通りがあるみたいです。庭園好きにはたまらないので、時間があれば・・・。次ぎに勝林院の前を通りますが、ここは外から境内の殆どは見えます。ここも時間があれば・・・。そして、勝林院が突き当たりと思いきや、そこからまだ奥に進むと橋があって渡ります。
この橋を渡ると宝泉院の山門前に着きました。拝観受付は山門の左端にありました。
ここでも京都定期観光バスの『プレミアムチケット』を使って、拝観料720円を納めます。ここはお菓子が付いてくるので、三千院でお茶菓子を食べるのを遠慮したわけです。
受付で「お庭を撮影できますか」と尋ねました。「できますよ」との返答で安心しましたが、一時期、カメラマンのマナーの悪さで撮影禁止になった記事を読んだので、気にしてました。
安心した所で門を入ると右手に進みます。左手にも庭園がありますが、こちらは帰りに寄ります。
拝観入口の手前に滝組があって、よくよく見ると不動明王像でしょうかありました。
玄関でくつを脱いで上がります。そして入口で朱印帳を出してお願いました。ここは帰りに受け取れるようになっていました。先ずは額縁庭園からです。
この庭は、京都指定の天然記念物「五葉松」樹齢700年の立派な松が見所です。
ここは、客殿の南側に当たり、柱と柱の枠を額縁に見立てて、襖絵のように鑑賞します。本当は部屋の奥に座り、五葉松を額縁に見立てて見るものですが、この日は人が多く、殆どの方は庭の前で見られてました。
人が多かったので、良い写真は撮れませんでしたが、時間も無かったので仕方ないです。
ほどなくして、和菓子とお茶が運ばれてきました。こんなに人が多いのに、迷わず来られましたね。感心です。
急いで回ってたので、ここでゆっくり・・・美味しくいただきました。
客殿の西側から南側に鍵型に広がる、この額縁庭園の名前は『盤桓園(ばんかんえん)』と言い、"立ち去りがたい"との意味があると言う。
江戸時代に再建された客殿内を見てる人は、殆どいません。急いでてもお参りは忘れませんでした。
平安時代末期に勝林院の僧坊として建てられ、書院に本尊の阿弥陀如来坐像が祀られています。
ここで珍しいものを見つけました。水琴窟です。何処がと最初思いましたが、案内を読んで分かりました。2本の竹筒に耳をあてて聞くんです。
理智不二(りちふに)と命名された珍しい二連式の水琴窟。二つの異なる音色を楽しめます。しかし、誰も聞いてなかったなぁ・・・。
こちらは客殿の西側の庭園です。ここも後に下がって見ると額縁に見立てて見ることができるんですけど。
秋の紅葉、冬の雪景色と、いろいろ楽しめるみたいですね。特に雪景色を撮ってみたいです。
次ぎに、鶴亀庭園です。ここは格子窓から鑑賞するらしいですけど、この時は知らなかったです。帰ってパンフを読んで知りました。
帰るまで忘れてましたが、山門の入口に張り紙があって「鶴亀庭にて、沙羅双樹の花が咲いてます」と書いてありました。樹齢300年だそうで、見損ねて残念です。
江戸時代中期の作で、池の形が鶴、築山が亀、山茶花の古木が蓬莱山に見立てています。
次ぎに見所は、血天井でした。ここに来るまでは分かってましたが、時間が無いため忘れてしまいました。
写真は、昨年訪れた『源光庵』の血天井です。1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いの前、伏見城にて徳川の忠臣・鳥居元忠以下数百名が城内で自刃したときのもので、その霊を供養するため、床板を天井にしています。
ここで朱印帳を貰いに戻りました。その途中に『囲炉裏の部屋』と呼ばれる趣ある部屋の前を通りました。
この部屋に入って良かったのかどうか分かりません。外から写真を撮っただけで行きました。
朱印帳を受取、書院を出ました。この宝泉院を14時10分に入って、出たのが14時23分でした。そこで女房には先に買い物に行ってもらい、私は残る庭園『宝楽園』に行きました。ここは山門を入って左手に進むとあって、帰りに寄ろうと思ってました。
私が入った時に、数名出て行かれたので、ここでは私だけでしたが、時間が無かったので、駆け足で写真を撮って出ました。
2005年(平成17年)3月に作庭された真新しい庭園で、宝泉院境内南側の低地に岩組、樹花、白砂で神仙の世界を表したとか。
正直、急いでいたので記憶にありません。宝泉院を14時24分に出ました。この三千院界隈を14時40分までには出発したいので、もう残り一箇所行けるどうかになりました。つづく。
【宝泉院 五葉松】
三千院を出て、先ず実光院の前を通り過ぎます。ここでは抹茶とお菓子付きの拝観と拝観のみの二通りがあるみたいです。庭園好きにはたまらないので、時間があれば・・・。次ぎに勝林院の前を通りますが、ここは外から境内の殆どは見えます。ここも時間があれば・・・。そして、勝林院が突き当たりと思いきや、そこからまだ奥に進むと橋があって渡ります。
この橋を渡ると宝泉院の山門前に着きました。拝観受付は山門の左端にありました。
ここでも京都定期観光バスの『プレミアムチケット』を使って、拝観料720円を納めます。ここはお菓子が付いてくるので、三千院でお茶菓子を食べるのを遠慮したわけです。
受付で「お庭を撮影できますか」と尋ねました。「できますよ」との返答で安心しましたが、一時期、カメラマンのマナーの悪さで撮影禁止になった記事を読んだので、気にしてました。
安心した所で門を入ると右手に進みます。左手にも庭園がありますが、こちらは帰りに寄ります。
拝観入口の手前に滝組があって、よくよく見ると不動明王像でしょうかありました。
玄関でくつを脱いで上がります。そして入口で朱印帳を出してお願いました。ここは帰りに受け取れるようになっていました。先ずは額縁庭園からです。
この庭は、京都指定の天然記念物「五葉松」樹齢700年の立派な松が見所です。
ここは、客殿の南側に当たり、柱と柱の枠を額縁に見立てて、襖絵のように鑑賞します。本当は部屋の奥に座り、五葉松を額縁に見立てて見るものですが、この日は人が多く、殆どの方は庭の前で見られてました。
人が多かったので、良い写真は撮れませんでしたが、時間も無かったので仕方ないです。
ほどなくして、和菓子とお茶が運ばれてきました。こんなに人が多いのに、迷わず来られましたね。感心です。
急いで回ってたので、ここでゆっくり・・・美味しくいただきました。
客殿の西側から南側に鍵型に広がる、この額縁庭園の名前は『盤桓園(ばんかんえん)』と言い、"立ち去りがたい"との意味があると言う。
江戸時代に再建された客殿内を見てる人は、殆どいません。急いでてもお参りは忘れませんでした。
平安時代末期に勝林院の僧坊として建てられ、書院に本尊の阿弥陀如来坐像が祀られています。
ここで珍しいものを見つけました。水琴窟です。何処がと最初思いましたが、案内を読んで分かりました。2本の竹筒に耳をあてて聞くんです。
理智不二(りちふに)と命名された珍しい二連式の水琴窟。二つの異なる音色を楽しめます。しかし、誰も聞いてなかったなぁ・・・。
こちらは客殿の西側の庭園です。ここも後に下がって見ると額縁に見立てて見ることができるんですけど。
秋の紅葉、冬の雪景色と、いろいろ楽しめるみたいですね。特に雪景色を撮ってみたいです。
次ぎに、鶴亀庭園です。ここは格子窓から鑑賞するらしいですけど、この時は知らなかったです。帰ってパンフを読んで知りました。
帰るまで忘れてましたが、山門の入口に張り紙があって「鶴亀庭にて、沙羅双樹の花が咲いてます」と書いてありました。樹齢300年だそうで、見損ねて残念です。
江戸時代中期の作で、池の形が鶴、築山が亀、山茶花の古木が蓬莱山に見立てています。
次ぎに見所は、血天井でした。ここに来るまでは分かってましたが、時間が無いため忘れてしまいました。
写真は、昨年訪れた『源光庵』の血天井です。1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いの前、伏見城にて徳川の忠臣・鳥居元忠以下数百名が城内で自刃したときのもので、その霊を供養するため、床板を天井にしています。
ここで朱印帳を貰いに戻りました。その途中に『囲炉裏の部屋』と呼ばれる趣ある部屋の前を通りました。
この部屋に入って良かったのかどうか分かりません。外から写真を撮っただけで行きました。
朱印帳を受取、書院を出ました。この宝泉院を14時10分に入って、出たのが14時23分でした。そこで女房には先に買い物に行ってもらい、私は残る庭園『宝楽園』に行きました。ここは山門を入って左手に進むとあって、帰りに寄ろうと思ってました。
私が入った時に、数名出て行かれたので、ここでは私だけでしたが、時間が無かったので、駆け足で写真を撮って出ました。
2005年(平成17年)3月に作庭された真新しい庭園で、宝泉院境内南側の低地に岩組、樹花、白砂で神仙の世界を表したとか。
正直、急いでいたので記憶にありません。宝泉院を14時24分に出ました。この三千院界隈を14時40分までには出発したいので、もう残り一箇所行けるどうかになりました。つづく。
【宝泉院 五葉松】