声明念仏の道場 大原問答で名高い勝林院へ

宝泉院を出たのが14時24分。この三千院周辺を14時40分には出なくては、確実に集合時間までに駐車場に戻れません。女房は先に土産物店に行かせましたし、私も行くつもりでしたが、勝林院(しょうりんいん)をの前を通ると体が勝手に拝観受付に向いてました

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ここは外からも見えるんですが、やっぱり朱印もいただきたいので、時間が無いのは承知で入りました。拝観料300円のところ、京都定期観光バスの『プレミアムチケット』を使って270円と朱印代金300円を納めました。

受付で朱印帳を渡す時に「バスの集合時間があるので少々急いでお願いします」と言いました。受付では「分かりました」と言っていただきました。寺院の中には、何が気に要らないのか、ものすごく不機嫌な人もいるので。

先ずは本堂にお参りです。ここは前途しましが、本堂を見るだけなら外からでも見られます。

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本堂は、1778年(安永7年)の再建。靴を脱いで本堂に上がる時「大原問答」の文字が読み取れました。

1013年(長和2年)、円仁(えんにん)の九代目の弟子・寂源(じゃくげん)法師が大原魚山声明の根本道場として勝林院は、開かれたました。内陣中央に阿弥陀如来坐像(江戸時代に修復) 向かって右に、脇侍の不動明王立像(江戸時代初期の作)、左に邪鬼を踏みつける毘沙門天立像(室町時代の作)が安置されてました。本尊は、大原問答の際に手から光を発し「念仏は衆生を救う」ということを証明したことから「証拠の阿弥陀」と呼ばれています。1186年(文治2年)比叡山で修行をされた法然上人を招き、諸宗の学僧と浄土の宗義を論談した「大原問答」はここで行われました。

駆け足で堂内をお参りし、本堂を出ました。汗を拭く時間も惜しんで、時間が許すだけ回ろうと・・・考えました。

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本堂から拝観受付を撮ってます。ここも苔が綺麗ですね。拝観受付の向こうに小さな橋があって、その橋を渡ると極楽浄土の世界に思ってお参りされたのでしょう。

拝観受付の近くに鐘楼が見えてたので、とりあえず行ってみました。

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ここの梵鐘は、平安時代のもので、大晦日だけつかれます。鐘楼は江戸時代のもので、梵鐘は重要文化財に指定されています。

その手前にあったのが、手水舎です。最初に手を洗うのを省いてしまいました

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ここのも綺麗です。まるで絨毯のように・・・。そして右手に上に上がれる階段があったので、近くまで行ってみました。

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境内東側の階段を上がる手前に、何かの歌碑がありました。内容は・・・分かりません

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その階段を上がると、かつて西林院堂(さいりんいんどう)跡がありました。

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かつて念仏三昧の道場であった阿弥陀堂があったようですね。将来再建されたいみたいです。

そこから少しだけ登ると、重要文化財に指定されている石造宝筐印塔がありました。

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左橋に塔の頭だけ見えています。近づくと・・・。
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正和5年(1316年)の年号が刻字され京都を代表する宝筐印塔で、重要文化財に指定されています。(この写真だけ借り物です)

ここまで大急ぎで見て回り受付に戻りました。「朱印を急いで」とお願いしてたので受取に戻りました。そしてら受付に張り紙があって「モリアオガエル産卵」とありました。

それを見たので、受付の人に「何処ですか」と尋ねて、場所を聞きました。よせばいいのに再び戻って、見に行きました

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池の上の木の枝に綿菓子のような白い固まりが3個確認できました。これがモリアオガエルの卵です。

今度こそ受付で礼を言って、勝林院を14時32分に出ました。次ぎに女房が先に行っている土井志ば漬本舗に向かいました。その途中に実光院があり、またまた体が勝手に向きそうになりましたが、ここは我慢・・・団体行動ですので・・・。急ぎ足で、女房と待ち合わせの土井志ば漬本舗に行きました。つづく。

【勝林院 本堂】



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