戦国武将 島 左近 が眠る寺  立本寺塔頭 教法院へ

この日、立本寺を訪れたのは、立本寺塔頭 教法院に行くことでした。観光寺院ではありませんが、石田三成の軍師で知られる戦国武将 島 左近 が眠る寺として、知られています。私も2011年12月に島左近のお墓をお参りさせてもらいました。

立本寺の本堂を素通りして、境内の西北に進みます。2011年12月に来てるので迷いせん。そして教法院の表門に着きました。

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表門を入って奥が本堂です。2011年12月では、ここまででした。今日は若干違って、この表門を初めてくぐります。

以前、教法院の御住職様よりコメントをいただいて、「島左近の戒名が記載された過去帳と位牌があります。また御参拝下さい」とありました。その後、中々行ける機会がありませんでしたが、「御朱印もいたたける」と聞いたこともあって、この日に訪問することにしました。

門を入って、綺麗に手入れをされてた前庭が目に入り、よくよく見ると桔梗も咲いてました。

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その奥にも前庭がありました。こちらには扉があって、それ以上進めません。ひょっとしたら・・・その扉・・・開いてたかも知れませんが・・・。

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ここからです。観光寺院では無いので、扉は閉まってるし、檀家でも無いので入るのは、緊張感がありました。先ずは、インターホンを押します。在宅なら良いのに・・・と思いつつ、暫く待つと、中から返事があって、用件を述べました。そして、中から住職さんが出て来られてたので朱印帳をお渡し、御朱印をお願いしました。

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暫く、玄関に入って待ちました。そして住職さんが朱印帳を持って来られたて「今日は、どうして来られましたか」「京都在住中、戦国歴史ファンで、いろいろ調べてて、ここに来ました」と。そして恐る恐る「本堂にお参り出来ませんか」と尋ねると、快く中に入れてもらいました。

玄関を入って右手が本堂で、仏間がありました。そこに島左近の戒名が記載された位牌が安置されてました。歴史上は、関ヶ原の戦いで戦死とされてますが、生き延びて滋賀の何処か忘れましたが、僧侶になられて生涯を閉じられたとか。お墓に刻まれた戒名と、位牌に書かれた戒名とは違うとも言われてましたが・・・もう少し詳しくゆっくり聞きたいものです。

最後に、ここのご本尊にお参りして、教法院を出ました。ただ緊張してて、お賽銭を忘れたのが、痛恨の極みです。住職さんには、アポなしで訪れて申し訳なかったですが、来て良かったです。

ここから西に進み、道路を挟んだ向かいにある立本寺墓地に行きました。

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2011年12月に来てるので、自信満々でしたが・・・恥ずかしながら迷ってしまいました

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墓地の中には、このような石標があって、けっして迷うことはありませんが、2011年12月に来てるので、見ずに進むと違ってて・・・結局元に戻って、これを見ながら進むことになりました

島左近は、ここに眠っています。お墓にはお供え物があったので、全国から多分・・・戦国歴史ファンが来られるのでしょう。

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島左近は通称で、正式には島清興(しまきよおき)と言います。石田三成に三顧の礼をもって迎えられ破格の高禄を食む側近として仕え、三成の軍師として知られています。また当時の人々には「治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」と謳われるほどの逸材だったとも伝わっています。

私にとっては、貴重な朱印をいただけただけでも良かったのに、本堂にもお参りさせてもらい、重ね重ね来て良かったです。そして、ここから朱印をいただきに、もう一件行きました。つづく。

【立本寺塔頭 教法院】



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