天龍寺塔頭 三秀院 施餓鬼供養

毎年、8月4日に天龍寺塔頭 三秀院では、施餓鬼供養が行われます。8月4日が平日の場合は、休みを取りますが、2013年は行けましたし、昨年は、どうしても抜けられない仕事があったため行けませんでした。しかし、今年は休みのため最初から行く予定にしてました。

しかし、7月31日から猛暑日が続き、31日が36.5℃、1日が38.5℃、2日が39.1℃、3日37.9℃、そして4日が37.7℃でした。9時過ぎに家を出ましたが、既に暑くて゜・・・いつもなら歩いて行く天龍寺に、初めてバスに乗りました。できるだけ体力を温存するためと、朝から強い日差しを避けるためですが、バス代がもったいないとは・・・この日は思わなかったですね。

天龍寺に着くと、真っ先に三秀院に入り受付を済ませました。まだまだ法要には早いので、本堂を覗いて見ると臨時のテントの中には、既に数名座られてます。まだまだまだ早いのに。(炎天下に1時間以上も・・・まだ座れません)

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いつもなら固く閉まってる本堂も、全面扉を開けられています。本堂内にはエアコンが無くて・・・扇風機を回されてますが、周囲が開いているので、風通しは良いです。

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この時間では、堂内も疎らです。しかし堂内で法要が始まる頃は、人で一杯だし・・・風も通らなくなるので非常に暑いです。

まだ、法要まで1時間以上もあるので一旦、外に出ました。9時30分頃から三秀院墓地にて総供養も始まるので、先ずはご先祖様の墓参りに向かうことにした訳です。

ところで、通常非公開と言うか観光寺院では無いので、三秀院の本堂に入る機会は法事の時など、限られています。以下、昨年の法事の時の模様をおおくりします。

1363年(貞治2年)に天龍寺開山 夢窓疎石(夢想国師)の直弟 不遷法序(慈明禅師により天龍寺塔頭として)創建し、そのあと後水尾天皇が中興。しかし1864年(元治元年)「蛤御門の変」により焼失し、明治期になって、現在地に南岳和尚により再建。戦後の混乱をへて寺門を整備。1975年(昭和50年)に道節和尚により本堂を新築。以来、茶室・庫裏と改修と進められています。本堂の天井に鳳凰図があって、本尊は観世音菩薩が祀られています。また、境内にある六角形のお堂には、東向福聚大黒天が祀られています。

山門を入って左手に進むと、突き当たりに東向福聚大黒天が祀られている六角形のお堂かあります。

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写真左手の建物の前に、8月4日の施餓鬼供養時や2月3日の節分祭には受付を設置されます。

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六角形のお堂の前には、苔生した手水舎があって、ここで手を清めるのでしょう。殆ど気がつかないですけど。

そのお堂の前から本堂を見ています。これが普段の姿です。観光寺院でも無いので、墓地に向かわれる人ぐらしいか入ってこられません。

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こちらが書院玄関で、ここから本堂に入ります。ここも8月4日には靴で一杯になるんですが、普段は一般の人は入れないので、ここも閉まっています。

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ここで靴を脱いで堂内に入ります。また、現在は工事中ですが、書院に表玄関もあるので、どちらから入ります。

そんなに多くはありませんが、本堂内に何度か入ったことがあります。もちろん法事時や施餓鬼供養の時ですけど・・・堂内は、結構広いです。

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法事の時間まで、書院にて休憩します。少し早く着いたので、先に堂内を見せてもらって、いろいろ住職さんに質問してました。(何を聞いたか・・・2年もたって忘れてしまいました。

その忘れた件ですが、天井の鳳凰図です。よく龍図は見かけますが、この鳳凰図は珍しいですね。

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何故、鳳凰なのか・・・聞いたんですけど・・・思い出せない

最後に住職さんの椅子です。すごく立派。ここに住職さん、副住職さんは座ってお経と木魚を叩かれます。その間に我々はお焼香をするですけど。

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堂内のご本尊は、滅多にお目にかかれないので、すごく貴重でした。内陣に入ってお参りさせてもらいました。

そして、『圓通』と書かれた扁額です。これは、普段から外から見えます。ここも結構、詳しく説明してもらったのに・・・忘れました

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本堂から見た嵐山です。少しズレましたが曹源池庭園からも見えますが、ここから充分楽しめます。

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ここで再び8月4日に戻って・・・受付を済ませて、8月16日に嵐山で行われる灯籠流しも申し込みを済ませました。(毎年、申し込みしています。)この時9時30分を回ってたので、前途した通り三秀院墓地に向かいましたが、そのあとも実は予定を組んでました。つづく。

【天龍寺塔頭 三秀院 本堂】



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