足腰を守護する社 護王神社へ
9月12日(土)は通院日でした。この日は9月末日までの特別公開に行く予定にし、それまでに何カ所か寄って行く計画を立ててました。その病院からバスを乗り継いでやってきたのは、和気清麻呂公命を祀る護王神社です。
交通量の多い烏丸通り沿いに立つ大鳥居です。その奥が表門ですが、これは烏丸通りを渡ってて、向こう側からしか撮れません。
鳥居の足元を見ると、「狛犬」ならぬ「狛いのしし」が鎮座しています。何故、ここでは猪なのか
気になりました。
ここは境内自由参拝です。拝観料は要りません。そこで後程朱印をお願いした時、由緒書を貰いました。そこには・・・。
奈良時代、称徳天皇に寵愛された僧侶・道鏡は、自ら天皇になろうと企みますが、その野望を和気清麻呂公は阻止しますが、逆に道鏡の怒りを買い流罪にされてしまいす。道鏡に足を傷つけられ流罪地に向かう途中、宇佐八幡に立ち寄られました。そしたら300頭もの猪が顕れ道案内を買って出て和気清麻呂公を御守りし、清麻呂公の足の怪我も治ったという由縁によるものです。その故事に因み明治期に猪像が建てられたそうです。
表門の前には、謎の球体(調べると千度車)や可愛い猪の置物があったりして・・・この護王神社に来たのは、タイトルにある通り足腰を守護してもらうために来ました。
毎月21日には足腰祭が行われ、本殿での祈願祭のあと、御千度車を回して表門に吊されてる大御守りの下をくぐり足腰の健康を祈願します。
入ると正面に拝殿がありました。その前には、ここにも狛いのししが鎮座しています。境内には2~3人ほど来られてました。その中で神職さんが清掃されてました。
1890年(明治23年)建立。年末年始には巨大な絵馬を飾られるとか。
その表門をくぐった右手には幸運の霊猪(手水舎)があって、ここで手を清めます。手水舎まで猪かと思わず笑ってしまいます
。
ここに張り紙があって、猪の鼻を撫でると幸せになるとか・・・
。
ここで本殿でお参りですが、その前に守礼授与所で御朱印をいただきました。あと、長年痛めてる膝が少しでも良くなるようにと御守りと合わせていただきました。
早めに出して正解でした。朱印は結構待たされました
。私の前に何名か出されてたみたいです。
そして今日の目的であるお参りです。手前が中門で奥に本殿があります。
神職さんが奥から赤い絨毯を持ち出され敷かれてました。そのため本殿を少しばかり除くことができました。鈴を鳴らして二礼二拍一礼でお参り・・・覚えました
。
護王神社の祭神は、和気清麻呂公命と和気広虫姫命の二柱です。創建時期は定かではありませんが、元は高雄神護寺の境内に和気清麻呂公の霊社として「護法善神」と称されました。1851年(嘉永4年)に孝明天皇が清麻呂命の功績を称えて「正一位護王大明神」の神階し神号を同社に授与。1874年(明治7年)に現社名へと改称し、別格官幤社に列され、1886年(明治19年)に明治天皇の勅命により、京都御所蛤御門前に(現在地)に社殿を造営。1915年(大正4年)には御祭神の姉君・和気広虫姫命も祭神として合祀され現在に至っています。
その中門の右隣にも幸運の霊猪がありました。ここの手水舎は、すべてこう呼ぶのでしょう。それにしても境内には、猪が一杯
。
また、本殿の前の招魂樹(おがたまのき)の根元には、願かけ猪の石像があって何やら串が一杯、ささっています。何だろう・・・と。また、寺院なら仏足石と呼ばれるような足形までが・・・。
由緒書によると座立亥串(くらたていぐし)という、願かけの串だそうで、自分の名前と願い事を書いた紙札をはさんで、願かけ猪の前に刺し立てて願かけをすると言います。
本殿の南側には、祈願殿(きがんでん)があって、ガラス戸を除くと、何やら見えますが遠すぎます
。由緒書には、和気清麻呂公命と和気広虫姫(わけのひろむしひめ)命の御神像が安置されてるようです。
ここも二礼二拍一礼でお参りしました。本殿を遙拝して祈祷を行う社殿だそうです。
さらに南側を見ると、飛翔親子猪がありました。始めは何だか分かりませんでしたが、よくよく見ると猪が・・・分かります。
チェーンソーアートの世界チャンピオン城所ケイジ氏が、樹齢300年の桂の木に神猪が子猪を守る姿を刻んだものだそうです。
今度は北側に移動です。そこには和気清麻呂公の銅像がありました。1998年(平成10年)に和気清麻呂公1200祭を記念し建立されました。
実は、この護王神社を知ったのは、今年の3月に京都平安ホテルの日本庭園に行きました。その次ぎに、京都府庁旧議会場に向かう途中に寄った時に、この銅像を見たんです。その時は時間が無かったので、ほぼ素通りでしたが、こうして本日、再訪しました。
その銅像の後には、日本一のさざれ石・・・君が代の歌詞に出てくる・・・あの石がありました。
石灰岩が長い年月のうちに雨水に溶解し、時には乳液状となって大粒な石、小粒な石を次々と終結して自然に大きな巌となったもので、大変目出度い石とされています。
境内、最後の見所は、ぜんそく封じのカリンの木です。写真の右端に写っています・・・帰ってから知ったので・・・かろうじて写ってました
。
樹齢100年を超える巨木で、京都の巨樹名木百選にも選ばれるほど有名です。秋には甘い香りの黄色い大きな実をつけるそうです。このご神木の実で作ったカリン酒は、ぜんそくによく効くといわれています。
最後は摂社の案内ですが、境内の北東角に伊勢神宮遥拝所がありました。
神職さんが清掃されてたので、邪魔しないように撮りました。ただ、次の目的地もあったので、案内を読む時間はありませんでした。
先ずは久邇宮家御霊殿から、ここにも石造りの和気清麻呂公像がありました。1964年(昭和39年)旧久邇宮家邸宅より遷座されました。
こちらは、祖霊社(近衛社)と書いてありました。いずれも境内北側に位置します。
ここに来た目的は、足腰の御守りをいただくことでした。なかなか治らない膝の痛みが少しでも和らいでくれたら有り難いです。これで護王神社をあとにしました。御所の向かいであるからでしょうか、ひっきりなしに参拝者が訪れてました。そして、ここから烏丸通り北上し、鞍馬口まで行きます。つづく。
【護王神社 本殿】

交通量の多い烏丸通り沿いに立つ大鳥居です。その奥が表門ですが、これは烏丸通りを渡ってて、向こう側からしか撮れません。
鳥居の足元を見ると、「狛犬」ならぬ「狛いのしし」が鎮座しています。何故、ここでは猪なのか

ここは境内自由参拝です。拝観料は要りません。そこで後程朱印をお願いした時、由緒書を貰いました。そこには・・・。
奈良時代、称徳天皇に寵愛された僧侶・道鏡は、自ら天皇になろうと企みますが、その野望を和気清麻呂公は阻止しますが、逆に道鏡の怒りを買い流罪にされてしまいす。道鏡に足を傷つけられ流罪地に向かう途中、宇佐八幡に立ち寄られました。そしたら300頭もの猪が顕れ道案内を買って出て和気清麻呂公を御守りし、清麻呂公の足の怪我も治ったという由縁によるものです。その故事に因み明治期に猪像が建てられたそうです。
表門の前には、謎の球体(調べると千度車)や可愛い猪の置物があったりして・・・この護王神社に来たのは、タイトルにある通り足腰を守護してもらうために来ました。
毎月21日には足腰祭が行われ、本殿での祈願祭のあと、御千度車を回して表門に吊されてる大御守りの下をくぐり足腰の健康を祈願します。
入ると正面に拝殿がありました。その前には、ここにも狛いのししが鎮座しています。境内には2~3人ほど来られてました。その中で神職さんが清掃されてました。
1890年(明治23年)建立。年末年始には巨大な絵馬を飾られるとか。
その表門をくぐった右手には幸運の霊猪(手水舎)があって、ここで手を清めます。手水舎まで猪かと思わず笑ってしまいます

ここに張り紙があって、猪の鼻を撫でると幸せになるとか・・・

ここで本殿でお参りですが、その前に守礼授与所で御朱印をいただきました。あと、長年痛めてる膝が少しでも良くなるようにと御守りと合わせていただきました。
早めに出して正解でした。朱印は結構待たされました

そして今日の目的であるお参りです。手前が中門で奥に本殿があります。
神職さんが奥から赤い絨毯を持ち出され敷かれてました。そのため本殿を少しばかり除くことができました。鈴を鳴らして二礼二拍一礼でお参り・・・覚えました

護王神社の祭神は、和気清麻呂公命と和気広虫姫命の二柱です。創建時期は定かではありませんが、元は高雄神護寺の境内に和気清麻呂公の霊社として「護法善神」と称されました。1851年(嘉永4年)に孝明天皇が清麻呂命の功績を称えて「正一位護王大明神」の神階し神号を同社に授与。1874年(明治7年)に現社名へと改称し、別格官幤社に列され、1886年(明治19年)に明治天皇の勅命により、京都御所蛤御門前に(現在地)に社殿を造営。1915年(大正4年)には御祭神の姉君・和気広虫姫命も祭神として合祀され現在に至っています。
その中門の右隣にも幸運の霊猪がありました。ここの手水舎は、すべてこう呼ぶのでしょう。それにしても境内には、猪が一杯

また、本殿の前の招魂樹(おがたまのき)の根元には、願かけ猪の石像があって何やら串が一杯、ささっています。何だろう・・・と。また、寺院なら仏足石と呼ばれるような足形までが・・・。
由緒書によると座立亥串(くらたていぐし)という、願かけの串だそうで、自分の名前と願い事を書いた紙札をはさんで、願かけ猪の前に刺し立てて願かけをすると言います。
本殿の南側には、祈願殿(きがんでん)があって、ガラス戸を除くと、何やら見えますが遠すぎます

ここも二礼二拍一礼でお参りしました。本殿を遙拝して祈祷を行う社殿だそうです。
さらに南側を見ると、飛翔親子猪がありました。始めは何だか分かりませんでしたが、よくよく見ると猪が・・・分かります。
チェーンソーアートの世界チャンピオン城所ケイジ氏が、樹齢300年の桂の木に神猪が子猪を守る姿を刻んだものだそうです。
今度は北側に移動です。そこには和気清麻呂公の銅像がありました。1998年(平成10年)に和気清麻呂公1200祭を記念し建立されました。
実は、この護王神社を知ったのは、今年の3月に京都平安ホテルの日本庭園に行きました。その次ぎに、京都府庁旧議会場に向かう途中に寄った時に、この銅像を見たんです。その時は時間が無かったので、ほぼ素通りでしたが、こうして本日、再訪しました。
その銅像の後には、日本一のさざれ石・・・君が代の歌詞に出てくる・・・あの石がありました。
石灰岩が長い年月のうちに雨水に溶解し、時には乳液状となって大粒な石、小粒な石を次々と終結して自然に大きな巌となったもので、大変目出度い石とされています。
境内、最後の見所は、ぜんそく封じのカリンの木です。写真の右端に写っています・・・帰ってから知ったので・・・かろうじて写ってました

樹齢100年を超える巨木で、京都の巨樹名木百選にも選ばれるほど有名です。秋には甘い香りの黄色い大きな実をつけるそうです。このご神木の実で作ったカリン酒は、ぜんそくによく効くといわれています。
最後は摂社の案内ですが、境内の北東角に伊勢神宮遥拝所がありました。
神職さんが清掃されてたので、邪魔しないように撮りました。ただ、次の目的地もあったので、案内を読む時間はありませんでした。
先ずは久邇宮家御霊殿から、ここにも石造りの和気清麻呂公像がありました。1964年(昭和39年)旧久邇宮家邸宅より遷座されました。
こちらは、祖霊社(近衛社)と書いてありました。いずれも境内北側に位置します。
ここに来た目的は、足腰の御守りをいただくことでした。なかなか治らない膝の痛みが少しでも和らいでくれたら有り難いです。これで護王神社をあとにしました。御所の向かいであるからでしょうか、ひっきりなしに参拝者が訪れてました。そして、ここから烏丸通り北上し、鞍馬口まで行きます。つづく。
【護王神社 本殿】