一乗谷朝倉氏遺跡 復原された町並み【後編】へ

前編からの続き。その前に一乗谷朝倉氏遺跡について。

1573年(天正元年)朝倉義景は、織田信長に敗れ、町は焼かれ廃墟となりました。その焦土に農民が住みつき、町は田畑の土の下に原型のまま埋もれてしまいます。その廃墟に1967年(昭和42年)から発掘調査の手が入り、次々と戦国時代の遺跡が姿を表しました。1995年(平成7年)当時の文化や技術などの情報を立体的に伝えることを目的に「復原町並」が完成しました。

東側の武家屋敷を抜けると、何やら復原された町並が見えてきました。当然寄って行きます。

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手前から中を覗くと、商家と書いてありました。この家を復原される時に、焼き物などを売る商人と設定されたようです。

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お店の中を覗く子供の表情が可愛いです。人形をを使って上手に商人の営みを表現されてました。戦となると武士となる主人の鎧や刀も展示されてて、細かい所まで再現されてました。

もう西側に見ないで行こうと思いましたが、門前に彼岸花が咲いてたので、思わず撮りました。行きのサンダバードの車内からも彼岸花が見えてて「彼岸花が咲く時期になったんだなぁ」と思いました。

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ここは大規模武家屋敷群と言って、朝倉氏の有力家臣団が暮らしてたと推定されることが発掘調査で分かったたいです。

商家を過ぎると、再び左側(東側)町並に注目です。次ぎに入口があったので入ってみと・・・そこは着付体験(一人5000円)と書いてありました。

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ここはお店の方も戦国時代の服装をされているので、遠くから目立ってたので、何だろう・・・と思ってました。

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もちろん時間が無いので・・・しません。でも時間があっても・・・しなかったでしょう・・・興味ないから

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もう南出入口が近くなってきました。雨はやんだようで良かったです。入場者は南出口からの方から入って来られるので、そちらがメインなんでしょうね。

次ぎに染とかいてある暖簾の中を入ります。文字通り染物家なんでしょう。入ると染め物を入れてたであろう甕が点在してました。

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この一乗谷朝倉氏館を中心に城下町が発展したことを偲ばれます。本当に見て手飽きないです。

次ぎに米俵の絵が描かれてる暖簾に入ります。おの貯蔵庫でしょうかこの時代に米屋ってあったのかなぁ

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確かめた訳ではありませんが、あの米俵には何も入ってないのでしょう。案内版があったどうか・・・多分無かったんたろう・・と思っています。

そして、次が鍛冶屋だと思います。刀の柄が暖簾に描かれてました。一乗谷の朝倉氏館一帯は、城下町として栄えたんでしょうね・・・信長に滅ぼされるまで。

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ここの案内板によると、農機具や大工道具なんかを作られてと想像できます。もちろん刀などの武器ももでしょう。

南出入口に最も近くにある、これも鍛冶屋でしょう。暖簾がめくり上がって分かりませんが。

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家屋の中に井戸があったりして、かつて金属音が響いてたんでしょうね・・・想像できます。ここの城下町は、活気があったんでしょう。でも冬は雪深いので生活は大変だったかも。

最後に、最初に入って北出入口を見ています。既に団体さんは出られたようですが、個人の観光客は次から次へと入って来られますが、平日で雨模様のため写真は狙いどおり撮れました

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こちらは大規模武家屋敷群です。こちらも復原が進めば面白いでしょう。土の中に埋もれてたため、こうして当時の戦国時代の生活を偲ばれます。

一乗寺谷城は、山城で山を登る必要があります。ただ殆どの方は登られないでしょう。熊がいるからです。浅井長政の小谷城は下から登りました。もちろん熊鈴を付けてです。今日は最初から諦めてましたし、これから多分登らないでしょう。そうこう考えながら北出入口から外に出ました。

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ここには15分で出て来ました。まだ最初の武家屋敷は見てないので再入場の予定です。これから南出入口に戻らず、これも名勝に指定されている庭園を巡ります。その行き方を、ここの受付の人に聞いて確認しました。つづく。

【一乗谷朝倉氏遺跡 復原町並 南入口】



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