一乗谷朝倉氏遺跡の庭園を巡る【後編】

前編の続きです。一乗谷朝倉氏遺跡中の御殿跡を見たあと、橋を渡ると直ぐに湯殿跡庭園がありました。

画像

朝倉氏庭園は四つありますが、この湯殿跡庭園がもっとも古く、3代貞景か4代隆景の時代の作庭かと推定されています。一群の石組みは戦国時代の気風を漂わせるほど荒々しく粗野で、大小の奇岩が林立し、累々と横たわる姿は戦場跡さえ思わせます。また、山沿いに沿って池地が造られ、出島や中島を設けています。また大小2㍍ほどのごつごつした石は、一幅の水墨画を連想させます。

画像
画像
画像
庭をよくよく見てみても、池・・・水がなかったです。案内板には絵も画いてあったんですけど・・・理由は分かりません。それより荒々しい石の印象が残っています。

画像
ここの石標を探しても無かったので「ここは無いんだ」と思ってたら、下に降りる階段の途中にありました

橋で擦れ違った人が直ぐに戻って来られました。見た目分からない・・・あの水分を含んだ芝生に退散されたのかなぁ・・・と思ってしまいました。

ここから北へ高台にあるのが南陽寺跡庭園ですが、これがどれくらい登るのか分からないので、当初から計画に入れませんでした。多分・・・3分ぐらいで上がれたかも知れませんが・・・分かりません。

画像
湯殿跡庭園を過ぎて直ぐのところに案内が出てました。少し上がってみようかなぁと思ったんですが・・・それより・・・団体が上がってきました。

今日の最後の目的は、義景館跡庭園でした。それがどこだか分からなかったんですが、どうやな下に降りるみたいです。

画像
写真下の復元作業をされてる奥に池が見えているので、そこで間違い無いかと思います。ただ工事されてるので、近くに行けても庭は撮れないみたいです。

朝倉義景の館の東南の斜面を背景に中心に高さ2㍍余りの滝添石、右方に平たい岩島、前方に形の良い水分石(みずわけいし)などの大小の石を配して変化に富んでいます。前に広がる苑池は浅く、池の底には小石が敷き詰められています。そして池泉の手前には茶室があったようです。

ここで、あの例の団体さんと再び出会しました。復原町並の時と同じで添乗員さんが盛んに案内されています。ここで合って良かったです。これから湯殿庭園から諏訪館庭園を回られるんでしょう。そんな事を思いながら階段を下りました。ここを上がってくのはしんどいかと思います。私は南から登って北に降りてきましたが、こちらの階段を登るのはきついように感じました。

降りると朝倉家5代義景公墓所がありました。由緒あるお寺に埋葬されてかと思ってたんで以外でした。

画像
画像
石標の奥に進むと義景の墓所がありました。あとで一乗谷で最も有名な唐門を見に行きますが、元々義景の菩提を弔うために建てられたお寺・松雲院の境内だったんですね。静かにお参りさせてもらいました。

1576年(天正4年)村民が小祠を建てたのが始まりで、さらに1633年(寛文3年)福井藩主の松平光通が墓塔が建立されました。

画像
画像
かつて、ここがお寺だったんですね。朝倉家は滅亡しましたが、こうしてお地蔵さんも残ったのでしょうか

次ぎに朝倉館跡を見て行きます。先も上から見ましたが、さすがに広大な敷地であったことが下から見ても分かります。

画像
画像
画像

朝倉義景の館は、谷の中央部に開けた山裾の平地に建てられてました。常磐殿を中心に10数棟分の遺構が確認できるそうです。書院造りの成立過程を知る上で大変貴重な遺構と言えます。上から見た写真の中央の緑の部分が、日本最古の花壇の遺構だそうです。

この一乗寺朝倉氏遺跡で最も知られているのが、次ぎに見学する唐門でしょう。ここを紹介されるポスターには必ず紹介されます。もちろんソフトバンクCMでも使われました。

画像
こちらは門の裏側から撮ったものです。南駐車場に止められ、そこから復原町並を入られ北入口から出られると、直ぐに唐門の見学に行かれるでしょう。ですから、ここから次ぎから次へと人が入ってこられます。こうして人の途切れるのを待ってました。そして・・・途切れたので・・・急ぎます

こうして恐る恐る表に出て見ました。後から人は来られないのは分かってましたが、問題は復原町並から来られる人です。こちらは唐門を出るしか分からないので

画像
画像

朝倉氏5代義景公の菩提を弔うために建てられたお寺、松雲院の正門にあたります。江戸時代前期の建物で、豊臣家が移築寄進したと伝えられています。

画像
唐門の奥が一乗谷城がありました。山城のため天守はなかったので、聳えてるイメージは無かったでしょう。堅固な山城だったことが想像できます。

この唐門の手前に堀があって橋が架かっています。その橋の手前に鯉の餌が置いてありました。

画像
画像
この橋で擦れ違った観光客の人が、「堀の鯉が口を開けてるし、お腹すかしとる」と話されてました。下を向くと、本当たくさんの鯉がいます。

それなら餌代が100円だし、やってみようと思い橋の上でやりました。そしたら、一杯の鯉が寄ってきて。

画像
画像
画像
画像
一番上の写真が餌をやる前です。それから少しずつ餌をやったらものすごい勢いでやってきて・・・もう収拾がつかないでも丸々と太ってて、観光客に貰ってるな・・・多分

このあと、私らの鯉の餌やりを見ていた最初に擦れ違った観光客の人も餌やりされたみたいです。またまた太ってしまう

画像
唐門から復原町並の北駐車場に戻ってきました。タクシーも待っててくれてます。(駐車場に止まってる黒い車がそれです)それにしても充実してました。

画像
この頃から再び雨が降り始めました。雨が朝に強く降ったらしい一乗谷川も勢いよく流れています。

画像
橋を渡るときに振り返って一乗谷城を見ました。と言っても石垣のみ残ってるので下からは見えませんが。次ぎにいつ訪れるか分からないので、景色を焼き付けて戻りました。

駐車場に戻らず北入口から再入場して武家屋敷だけ写真を撮りに行きました。雨が降り出したこともあって、武家屋敷だけで退散です。そしてタクシーに10時25分に戻りました。ちょっと靴下が濡れてしまって、気持ち悪いんですが予想してなかったので、仕方ないです。タクシーは次の目的地である永平寺に向かいました。つづく。

【一乗谷朝倉氏遺跡 朝倉館庭園】



この記事へのトラックバック