道元が開いた曹洞宗の大本山 永平寺【前編】へ

一乗谷朝倉氏遺跡を10時25分に出発し県道18号から国道364号に乗り替え、永平寺の門前に10時40分着きました。ここも参拝時間は60分の予定で、タクシーの運転手さんに「時間どおり戻ってきてください」と言われ永平寺に向かいました。

曹洞宗 大本山 永平寺 と書かれた石標を見ながら門前に進みます。(本当は下の写真で下ろして貰ったので、少し戻りました。)

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鬱蒼として杉木立の中、奥に進んで行きます。実は、この写真は帰りに撮ったもので、行きは団体さんと一緒に歩いて行ったんです。

ここ永平寺は、曹洞禅の修行道場であり、檀信徒の信仰の源であるため全国からバスに乗ってやってこられます。先ずは参道途中にある永平寺全景図でお堂の確認です。

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40数年前、会社の先輩と一緒に訪れましたが、この日来て見て・・・結果全く覚えて無かったです・・・風景が変わったのかなぁ・・・。

この先の通用門から入りますが、前途のとおり檀家さんの団体さんの出会したため、少し時間を置きました。通用門に入らず参道の突き当たりにあった唐門を見ました。

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勅使門で、皇室からの使者が来られた時に開かれます。一般の参拝者は階段下より先は進めません。1839年(天保10年)の再建で、早瀬重部兵衛作の十二支の彫刻があるそうです。

その石段したから見た報恩堂です。見た限り新しいお堂と思いましたが、その通りでした。1996年(平成8年)永平寺の古木を使って建てられました。

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納経塔とも言う六角単層の裳階付きの多宝塔です。内部は写経を納める箱が500個収納できるそうです。

その手前には放生池があって、池の中央に一葉観音様がおられます。一葉観音は、道元禅師を助けくれたようです。

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そろそろ参拝者が減ってきたので、通用門から入ります。門を入って左手に拝観受付がありました。

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ここで拝観料500円を納めると、由緒書と拝観券をいただきます。これを受付の僧侶さんに出すそうで、それまで大切に持ってる必要がありました。

その拝観受付の向かいに納経所があったので、持って来た朱印帳を先に出しておきます。

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納経帳を差し出すと、用紙をくれます。それに名前と電話番号を記入し戻します。すると、番号の書いた半券をくれるので、帰りに受け取るシステムになっています。

納経帳を差し出して次ぎに向かうのは吉祥閣です。山深い古刹をイメージして来ましたが、どう見ても鉄筋コンクリートの建物に、凄く違和感を感じながら入ると・・・。

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1971年(昭和46年)の建築で、地上5階地下1階の宿泊研修施設で、曹洞宗に限らず参禅研修を希望する人を広く受け入れられています。

入ると靴を袋に入れて上がります。そして正面のお坊さんに拝観券を渡すと、お隣の部屋に入るように案内されました。前方に永平寺全景図があって、僧侶の方が説明されてました。

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途中からと言うか殆ど終わりかけてましたが、最後の注意だけ聞きました。写真は何処を撮ってもらっても結構ですが、修行僧にカメラを向けないこと。貴重な文化財を保護するため、室内ではフラッシュを使用しないこと。この二点を話されて扉を開けられました。(いつもなら話を最初から聞きますが、先を急ぎました。)

ここから自由拝観で、案内にしたがって、傘松閣(さんしょうかく)に入り2階にあがります。そして156畳の大広間(別名 絵天井の大広間)を見学です。

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先程注意があったフラッシュ禁止の部屋です。一つ一つ花天井を見てたら時間が無いので・・・それでも何処からか、フラッシュ光ってましたね・・・フラッシュ機能ぐらいOFFにしろよと思ってしまいます。

ちなみにこの天井絵230枚のうち鯉2枚・唐獅子2枚・リス1枚の5枚を探して念じると願しが叶うらしい

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こうして伽藍と伽藍の移動も、屋根付きの渡り廊下のため靴は必要ありません。

最初の場欄は僧堂です。修行僧の根本道場で、座禅・食事・就寝なとが行われるとこです。(僧堂の外観は帰りに撮ったものです)

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1902年(明治35年)の改築で、「雲堂」「座禅堂」とも呼ばれてて、中央には知恵の象徴である文殊菩薩が安置されています。

次は仏殿です。1902年(明治35年)道元禅師650回遠忌を記念し建てられました。別名「覚王宝殿(かくおうほうでん)」とも呼ばれます。

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内部の須弥壇には、中央に釈迦牟尼物(しゃかむにぶつ)、向かって左に阿弥陀仏、右に弥勒仏の三世仏(さんぜぶつ)が祀られています。

永平寺は斜面にそって建てられてるので、山門、仏殿、法堂といった建物は階段状の回廊、登廊で結ばれています。

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一乗谷朝倉氏遺跡で雨のため、靴下が濡れてしまって・・・しかし、長い回廊を歩く度に乾いてしまいました。

そのまま階段を上がります。結構広いので、正直疲れます。(一乗谷朝倉氏遺跡で60分歩いたから)次の法堂では法事中のようでした。僧侶の方も立っておられますが、案内はされません。私らは案内にしたがって進むと、承陽殿(しょうようでん)に着きました。

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承陽は道元禅師の大師号で、道元禅師の墓所の上に建つお堂です。1881年(明治14年)に宋時代の禅宗寺院をモデルに再建されました。

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また、奥には鐘楼もありました。鐘を突こうとされてましたが、音は・・・確認してません。

ここが拝観コースでもっとも奥だと思います。10時40分過ぎに入って、ここで11時前になっていました。これから法堂に戻りますが、その手前に白山水とかいてある扉がありました。

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白山水は白山連峰に連なる湧き水で、開山道元禅師の真前にお供えされる霊水だそうです。

曹洞宗の大本山ですね、次から次から団体さんが入って来られます。ここでガラガラの堂内はありえないですね。次は、廊下が雨で濡れた法堂です。法堂より先は、後編でお送りします。

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法堂ば最も高い位置にあるので、先程お参りした仏殿も眼下に見えています。上から見ると、各伽藍が回廊で結ばれていることが、良く分かります。

永平寺は1244年(寛元2年)宋より帰国した道元禅師によって開かれた座禅修行の道場です。初めは京で広めようとしましたが、比叡山の反発が強いことで、波多野義重の勧めもあって、越前国志比庄に移って大仏寺を建立したのが始まりでした。道元禅師は、宋で学んだ禅寺の修行法や生活規範を日本に移植しようとし、このため宋の禅寺を規範に造られました。現在は曹洞宗の大本山として、僧侶の育成と檀家信徒の信仰の源になっいます。

法堂内部では大きな声が響き渡り、堂内へは凄く入りにくい雰囲気がありました。法要中なんでしょうけど、でも折角遠い所から来たので、意を決して入りました。つづく。

【曹洞宗 大本山 永平寺 通用門】



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