第40回 京の夏の旅 文化財特別公開 南禅寺 大寧軒へ
8月28日(金)は、4年振りに第40回 京の夏の旅 文化財特別公開で公開された南禅寺 大寧軒(だいねいけん)に行きました。
この日の目的は、東京から帰省中の姉と食事することですが、その前に普段見られない南禅寺 大寧軒が公開中であったので誘いました。私は4年前の2011年7月16日に訪問してるので、2回目です。次回の公開日が未定ですし、お昼まで時間が余ってたので暑い中、来て見ました。
地下鉄「蹴上」駅から歩いて5分もかからず南禅寺 大寧軒に着きました。拝観時間は10時からで、予定どおり10時前に行くと、既に拝観が始まってました。
4年振りの懐かしい表門が開いてました。最近は涼しいかったんですけど、この日は暑かったですね。
その表門を入ったら向かいに拝観受付がありました。ここで拝観料600円を納めます。以前も写真は撮れたんで「写真は
」と尋ねると「何処撮ってもらっても結構です」と。これも前回と同じです。
「入って右手に四阿があるので、そこで案内が始まってます。」と言われましたが、案内は最初から聞きたいので、先ずは写真を優先です
。
受付を済ませると次ぎに中門をくぐります。ここをくぐると、植治こと7代目小川治兵衛の庭を目にします。
入ると既に案内が始まってました。「何時頃入れたんだろう」と思いましたが、写真はこの時に撮らないと、人が入ってしまうので、私には好都合です
。
四阿での案内をよそに写真を撮ってました。久し振りに見た庭の印象は、「こんなに狭かったなぁ・・・」でした。まぁ・・・人間の記憶ってこんなもんです
。
これが時間が立つと、池の廻りに人が入り込むんですよね。この時間しかなかったので、拝観開始の一番に来た訳です
。
写真は、まだまだ沢山撮りましたが、その都度紹介することにして、やっぱり暑いので四阿に入りました。そして前の組の案内が終わるのを待ってました。そして、案内する人が交代して、2回目の案内が始まったので、前で聞くことに。
四阿から見た見た庭の風景です。このあと前の組の人が写真を撮りに池のまりに行かれました。そして・・・案内が・・・大寧軒の歴史から話されました。
南禅寺大寧軒は、かつて臨済宗南禅寺派の塔頭寺院であった大寧院でした。大寧院の創建や歴史は不明ですが、明治初期の廃仏毀釈により廃寺になり、所有者が転々としましが、明治期末に、茶道の家元・藪内家に払い下げられました。その藪内家11代家元・透月斎竹窓紹智により庭の構想が練られ、植治こと七代目・小川治兵衛が作庭したと言われています。東山三十六峰を巧みに借景に取り入れた池泉回遊式庭園が見所です。なお現在は、2004年(平成16年)から南禅寺の所有となっています。
先ず庭園の奥から、じっくり見て行きます。この庭の特徴である池の水は、この滝口から流れています。この水は琵琶湖疎水から取り入れ3㍍の落差を演出しています。
この南禅寺界隈には有名な別荘がたくさんありますが、そのどれも琵琶湖疎水を利用しています。
今回の公開では、これ以上は進めませんでした。しかし前回は、滝口の手前まで行けました。多分、苔の保護のためでしょうね。
この写真がそうです。滝口から撮りました。流れ出る水が川となって、池に流れ込んでいます。
この滝口の先が、この庭の特徴の一つである、石造りの三柱鳥居が池の中に立っています。
この三柱鳥居のモデルとなったのが、京都三珍鳥居の一つとして知られる、木嶋神社(通称、蚕ノ社)の三柱鳥居です。
この珍しい鳥居を見て欲しかったので、ここまで来て貰ったもようなものです。姉はさかんに「京都の寺院って、こんなに少ないの
」と聞かれましたが、こんなに暑いので、来る人は少ないでしょう。この南禅寺界隈の紅葉の人出は、想像もできないでしょう
。
また、池の中程の睡蓮も、この時期まで咲いててくれました。これも午前中だけで、昼から閉じてしまいます。でも、数が少ないです。
前回は、7月に訪問したので、半夏生が色づいてました。これも見頃は過ぎてましたが・・・。何故、この暑い夏しか公開されないでしょう
。
答えは、案内の人が話されました。やはり紅葉は綺麗だそうです。しかし、庭が狭いし、沢山の人が入られると、どうしても苔が痛んでしまいます。そのため、観光客の少ない夏場しか公開できないそうです。
前回同様、建物の内部は、今回も公開されませんでした。案内には主屋と書いてありましたが、かつての書院か本堂でしょうか
。
明治初年の廃仏毀釈で廃寺となったので推測ですが、内部は何もないでしょう。
案内人が話されてましたが、廃仏毀釈で大部分の寺領が摂取されたため、やむなく、現在なら国宝や重文クラスの襖絵なんかが海外に流失してしまいました。残念なことですね。
庭園内には、様々な灯籠が見られます。春日灯籠・雪見灯籠・織部灯籠などが配されています。私も4年前に比べて、少しは分かるようになりました
。
また、石造りの手水鉢も点在してて、一つづつ探すのも面白いです。前回は、案内人の言ったとおり探しました
。
ただ、ここのは乱雑に置いてあるような感じがして・・・締まりが無いと言うか・・・上手く言えませんが。
四阿の前には藤棚がありましたが、五月の連休時期に藤が咲くのでしょうか
。紅葉は無理でも何か咲いてる時に、この庭を見たいです
。
この藤棚をくぐって、主屋に行くと、先ほど案内人が話された珍しい庭石を見に行きました。本当はどれがどれだか分からなかったので、もう一度案内人に聞きに行きました
。
兵庫県城崎温泉近くにある、国の天然記念物・玄武洞の柱状列石を運び込んだもの。現在は拠出不可能なため、大変珍しい銘石と言えるでしょう。
最後に茶室の見学をするため石橋を渡ります。その石橋の下を見ると、貝殻が一杯・・・そうです、琵琶湖の蜆てす
。
琵琶湖で育った蜆が卵を産み、その卵が琵琶湖疎水を通って、この庭に濯がれたのを証明しています。
その石橋を渡った先にあるのが、茶室「環翠庵」で、今回内部も公開されました。内部は二畳台目の茶室で、先程、説明を聞いた四阿がこの茶室の待合でした。
前回は、内部の公開は無かったてす。躙口から上がることはできませんでしたが、内部を見せて貰いました。
この茶室を出たら、バッチを付けた単体さんが入って来られました。そうなると擦れ違うのも困難なほど苑路は狭いです。紅葉時の公開が困難な事も分かりました。
【南禅寺 大寧軒 茶室「環翠庵」】

この日の目的は、東京から帰省中の姉と食事することですが、その前に普段見られない南禅寺 大寧軒が公開中であったので誘いました。私は4年前の2011年7月16日に訪問してるので、2回目です。次回の公開日が未定ですし、お昼まで時間が余ってたので暑い中、来て見ました。
地下鉄「蹴上」駅から歩いて5分もかからず南禅寺 大寧軒に着きました。拝観時間は10時からで、予定どおり10時前に行くと、既に拝観が始まってました。
4年振りの懐かしい表門が開いてました。最近は涼しいかったんですけど、この日は暑かったですね。
その表門を入ったら向かいに拝観受付がありました。ここで拝観料600円を納めます。以前も写真は撮れたんで「写真は

「入って右手に四阿があるので、そこで案内が始まってます。」と言われましたが、案内は最初から聞きたいので、先ずは写真を優先です

受付を済ませると次ぎに中門をくぐります。ここをくぐると、植治こと7代目小川治兵衛の庭を目にします。
入ると既に案内が始まってました。「何時頃入れたんだろう」と思いましたが、写真はこの時に撮らないと、人が入ってしまうので、私には好都合です


四阿での案内をよそに写真を撮ってました。久し振りに見た庭の印象は、「こんなに狭かったなぁ・・・」でした。まぁ・・・人間の記憶ってこんなもんです

これが時間が立つと、池の廻りに人が入り込むんですよね。この時間しかなかったので、拝観開始の一番に来た訳です

写真は、まだまだ沢山撮りましたが、その都度紹介することにして、やっぱり暑いので四阿に入りました。そして前の組の案内が終わるのを待ってました。そして、案内する人が交代して、2回目の案内が始まったので、前で聞くことに。
四阿から見た見た庭の風景です。このあと前の組の人が写真を撮りに池のまりに行かれました。そして・・・案内が・・・大寧軒の歴史から話されました。
南禅寺大寧軒は、かつて臨済宗南禅寺派の塔頭寺院であった大寧院でした。大寧院の創建や歴史は不明ですが、明治初期の廃仏毀釈により廃寺になり、所有者が転々としましが、明治期末に、茶道の家元・藪内家に払い下げられました。その藪内家11代家元・透月斎竹窓紹智により庭の構想が練られ、植治こと七代目・小川治兵衛が作庭したと言われています。東山三十六峰を巧みに借景に取り入れた池泉回遊式庭園が見所です。なお現在は、2004年(平成16年)から南禅寺の所有となっています。
先ず庭園の奥から、じっくり見て行きます。この庭の特徴である池の水は、この滝口から流れています。この水は琵琶湖疎水から取り入れ3㍍の落差を演出しています。
この南禅寺界隈には有名な別荘がたくさんありますが、そのどれも琵琶湖疎水を利用しています。
今回の公開では、これ以上は進めませんでした。しかし前回は、滝口の手前まで行けました。多分、苔の保護のためでしょうね。
この写真がそうです。滝口から撮りました。流れ出る水が川となって、池に流れ込んでいます。
この滝口の先が、この庭の特徴の一つである、石造りの三柱鳥居が池の中に立っています。
この三柱鳥居のモデルとなったのが、京都三珍鳥居の一つとして知られる、木嶋神社(通称、蚕ノ社)の三柱鳥居です。
この珍しい鳥居を見て欲しかったので、ここまで来て貰ったもようなものです。姉はさかんに「京都の寺院って、こんなに少ないの


また、池の中程の睡蓮も、この時期まで咲いててくれました。これも午前中だけで、昼から閉じてしまいます。でも、数が少ないです。
前回は、7月に訪問したので、半夏生が色づいてました。これも見頃は過ぎてましたが・・・。何故、この暑い夏しか公開されないでしょう

答えは、案内の人が話されました。やはり紅葉は綺麗だそうです。しかし、庭が狭いし、沢山の人が入られると、どうしても苔が痛んでしまいます。そのため、観光客の少ない夏場しか公開できないそうです。
前回同様、建物の内部は、今回も公開されませんでした。案内には主屋と書いてありましたが、かつての書院か本堂でしょうか

明治初年の廃仏毀釈で廃寺となったので推測ですが、内部は何もないでしょう。
案内人が話されてましたが、廃仏毀釈で大部分の寺領が摂取されたため、やむなく、現在なら国宝や重文クラスの襖絵なんかが海外に流失してしまいました。残念なことですね。
庭園内には、様々な灯籠が見られます。春日灯籠・雪見灯籠・織部灯籠などが配されています。私も4年前に比べて、少しは分かるようになりました

また、石造りの手水鉢も点在してて、一つづつ探すのも面白いです。前回は、案内人の言ったとおり探しました

ただ、ここのは乱雑に置いてあるような感じがして・・・締まりが無いと言うか・・・上手く言えませんが。
四阿の前には藤棚がありましたが、五月の連休時期に藤が咲くのでしょうか


この藤棚をくぐって、主屋に行くと、先ほど案内人が話された珍しい庭石を見に行きました。本当はどれがどれだか分からなかったので、もう一度案内人に聞きに行きました

兵庫県城崎温泉近くにある、国の天然記念物・玄武洞の柱状列石を運び込んだもの。現在は拠出不可能なため、大変珍しい銘石と言えるでしょう。
最後に茶室の見学をするため石橋を渡ります。その石橋の下を見ると、貝殻が一杯・・・そうです、琵琶湖の蜆てす

琵琶湖で育った蜆が卵を産み、その卵が琵琶湖疎水を通って、この庭に濯がれたのを証明しています。
その石橋を渡った先にあるのが、茶室「環翠庵」で、今回内部も公開されました。内部は二畳台目の茶室で、先程、説明を聞いた四阿がこの茶室の待合でした。
前回は、内部の公開は無かったてす。躙口から上がることはできませんでしたが、内部を見せて貰いました。
この茶室を出たら、バッチを付けた単体さんが入って来られました。そうなると擦れ違うのも困難なほど苑路は狭いです。紅葉時の公開が困難な事も分かりました。
【南禅寺 大寧軒 茶室「環翠庵」】