南禅寺 金地院へ

南禅寺 大寧軒を出たのが10時30分過ぎ。予定している食事まで1時間もあるので、何処かに行くことは決めてました。当初の予定では、3箇所ほど候補を考えてましたが、天気が良く暑くなったため、お隣の南禅寺塔頭 金地院(こんちいん)を案内することにしました。

大寧軒を北に歩くと直ぐにある雄大な総門を目にします。ここも南禅寺 大寧軒と同じく2011年8月以来の訪問です。

金地院は、応永年間(1394~1428)に室町幕府4代将軍・足利義持が北山に創建。1605年(慶長10年)徳川家康の参謀として「黒衣の宰相」とも呼ばれた以心崇伝(いしんすうでん)が、自坊として今の地に移建したのがはじまりです。

画像

ここを入ると正面に庫裏があって、右手に拝観受付があります。そこで拝観料500円を納めます。実は、少しだけ・・・あまり期待はしてなかったんですが、私には目的がありました・・・。

画像
受付で「茶室八窓席(重文)」の特別拝観ありますか」と尋ねました。ここに入る時「茶室八窓席(重文)特別拝観中」と書いてあったんです。そこは未訪だったので、是非見てみたいと思いましたが「9時30分の受付は終わって、次は11時30分からです」と言われました。

後1時間・・・そんなに待てません。直ぐに気持ちを切り替えて、先ず明智門から案内しました。

画像
画像
明智門・・・文字通り明智光秀ゆかりの門ですが、妻は毎度のことですが、姉も興味がないようで・・・

1582年(天正10年)明智光秀が母の菩提のため大徳寺に建立させた桃山建築の唐門。 明治初年に金地院に移築されました。

明智門を入って案内にしたがって、左手に進みます。目の前に弁天池があって、池にそって参道を進んで行きます。

画像
画像
池の中島に辨財天が祀られています。明治初年に現在の地に移されたとか・・・もう時期が過ぎたのか睡蓮は咲いてません。

画像
画像

苔生した弁天池の廻りの参道を案内にしたがって進んで行きます。次は東照宮の案内です。姉に「日光の東照宮が、どうして京都にあるの」と聞かれましたが・・・。

画像
私も日光東照宮は若い頃、一度行きました。殆ど覚えてませんが・・・。規模は比べものにならないくらい小さいかと思います。

画像
画像

参道手前に手水舎があって、手を清めて奥に進みます。すると石造りの灯籠と鳥居があって、よくよく見ると徳川家の家紋である三つ葉葵を目にします。

季節゜外れてもないんでしょうけど、暑くなってきました。そのまま進むと御成門とその奥が重要文化財東照宮です。

画像
画像
画像
京都で唯一残る権現造り様式です。権現造り・・・徳川家康が祀られてる日光東照を殆ど覚えていないので何とも言えませんが・・・拝殿、石の間、本殿と続く、京都に遺る唯一の権現造り様式が特徴だとか。

以心崇伝(いしんすうでん)が家康の遺髪と念持仏を奉戴し、1628年(寛永5年)に造営されたたのが始まりです。創建当時は、日光東照宮に比する規模であったと言います。拝殿天井の鳴龍は狩野探幽の筆、36歌仙の額は土佐光起の筆と言います。

この日は、内部の清掃をされてたので、撮れませんでした。まぁ・・・良いか。さすがに東京在住の姉は、本家には何度も行ってるようで・・・それより近隣のホテル・・・金谷ホテルだったか・・・凄く良いよって

この東照宮から今度は本堂に向かって参道を下ります。総門からここまで、登って来たと言うイメージがなかったので、この下りの石階段は以外に思います。

画像

下りきると、重要文化財の本堂と、その手前に広がる鶴亀の庭を目にします。ここからチラッと見えますが、これ以上は行けないので写真もここまです

画像

その前に開山堂を見て行きます。それにしても暑いためか、ここまで誰とも出会いません・・・まさに貸切・・・でしたね

画像
画像
画像

崇伝長老の塔所。後水尾天皇の勅額を掲げ、左右両側に十六羅漢像が安置してあります。

暑いので、早く本堂で休憩をしたかったから、ここはあっさりとお参りして、本堂に向かいました。入ると涼しい風が通り抜けていきます。ここ堂内も誰にも出会わなかったので、最初から最後まで貸切でした。

画像

ここから内部は撮影禁止のため写真はありません。ここまで来るとやっぱり、茶室「八窓席」は見たかったなぁ・・・と思いましたが、仕方ないです。

画像

汗も引いたことだし、次ぎに小堀遠州作庭の特別名勝「鶴亀の庭を見学です。2011年8月の時も暑かったのを記憶しています。カメラが汗の湿気で何枚か使えなくなったのを

画像

鶴亀の庭の全景です。鶴亀の庭と言うからには鶴島亀島があるんです。それがどれがで、私と女房とで意見が分かれました。4年前に来てるけど、そんなの覚えてません。答えは、拝観受付の人に聞きました。聞くと「どちらだと思います」と聞かれたので、私が答えると「正解」と言ってもらいました。

で、正解の「亀島」は、庭に向かって左手にあります。この石組みは、醍醐三宝院を模して造られました。

画像
画像
前方に亀の頭。そして甲羅に、足が2本あるのが分かります。私は、これを見て確信した次第です。

こちらが「鶴島」で、庭に向かって右手にあります。ここの幅の広い大石を贈ったのは、安芸城主の浅野家で、伏見港より牛45頭で運んだと言います。

画像
普通では、ありえないですけど、鶴が寝そべってる姿だそうです。確かに鶴は確信が持てなかったです。

鶴亀の庭は、1630年(寛永7年)小堀遠州によって作成。神仙蓬莱の庭をとして構成し、徳川家の永遠の繁栄を寿ぐことに主題に作庭されました。

ここで時計を見ると10時55分でした。そろそろ予約してあるホテルに向かっても、いい時間となりました。ここを出て前途した拝観受付で聞いた訳です。そして入口の大きな案内図を見ていると・・・。

画像
受付の人が来られ、亀島と鶴島・・・どちらが正解か教えてもらいました。最初に、この案内図を見て入れば良かったんですね。

小堀遠州の庭として有名な、二条城 二の丸庭園大徳寺塔頭 孤篷庵には行きました。また、最近では南禅寺 方丈庭園にも足を運んでいます。今年も特別公開される孤篷庵は、何度行っても素晴らしいです。ただ行列は必至ですが

最後に、再び大寧軒に向かって歩いていると、私らが大寧軒を出るきっかけになった、団体さんが出て来られました。要するに私らが金地院に入ってる間、大寧軒に入られたてたことになります。

画像

この東照宮の参道入口にあたる表門は常に閉まっています。拝観は金地院の総門からとなります。私らが本堂から出る時に、観光客の方が入ってこられましたし、この門から参道を見ると数名な方が写真を撮られてました。これで拝観の予定を終了して、こらからホテルに向かいます。つづく。

【南禅寺塔頭 金地院 鶴亀の庭】



この記事へのトラックバック