道元が開いた曹洞宗の大本山 永平寺【後編】へ

永平寺の七堂伽藍の一番奥にあるのが法堂です。この日は堂内で法要をされていました。数十名の雲水さん(修行僧)を始め、大声でお経を詠まれるので凄い迫力でした。そのため、お賽銭とお焼香と参りだけし早々と出ることにしました。(僧侶の方で優しく座っていかれるように言われましたが、私らには時間の制約があるので・・・)

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伽藍の中心となるお堂のためか、人の出入りが多くて・・・法堂全景を撮りたかったんですが・・・これが精一杯でした。

1843年(天保14年)の再建で、法堂は住持が教えを説く所で、禅寺ではもっとも重要視されるお堂です。堂内中央の須弥壇に本尊・聖観音像を安置。正面には有栖川宮幟仁親王(ありすがわのみや たかひとしんのう)の「法王法」の扁額が架かっています。

この法堂から再び登廊を下りますが、東側に大光明蔵(だいこうみょうぞう)がありました。

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1930年(昭和5年)再建の総檜本造りでだそうで、参拝者はこれ以上進めませんが、この永平寺では枯山水庭園や池泉回遊式庭園があるわでもないので、このよう前庭があるのは珍しいかと思います。

ここで永平寺の七堂伽藍ですが、特に重要な建物で、日常の修行欠かすことの出来ない建物を言います。山門・仏殿・僧堂・庫院・東司・浴室・法堂のことで特に、僧堂・東司・浴室は三黙道場と言って一切の私語が禁止されています。

法堂から下りますが、法堂から仏殿を撮りました。これから折り返しですが、当初参拝時間を60分取ってありましたが、これだけ広いと余ると思ってた時間がギリギリになりそうです。

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次は、七堂伽藍の一つ大庫院です。上の写真は瑞雲閣と言って、大庫院の一部です。ここからは入れません。ここは食事を司る台所や賓客の接待の間があります。

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この日は、何か行事があるのか知りませんが、各伽藍で幕を付けられる作業をされてました。時間があったら、作業が終わるまで待ったかも知れませんが・・・その点が残念でした。

この建物は、1930年(昭和5年)の再建です。玄関の正面には、足の速いことで知られる韋駄尊天が祀られています。

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ここも多くの人が入って来られます。1階には食事を作る典座寮(てんざりょう)と呼ばれる台所があるそうですが、そこまでは見られなかったです。

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また、京都の萬福寺でもあった雲版(うんぱん)がありました。これを見たらやっぱり台所だったんだなぁ・・・と思いました。

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ここで大すりこぎ棒と張り紙があって、何だろう・・・と探しました。探す必要はなかったです。文字通り・・・すりこぎでした。私と他の参拝者が同時に気がつかいたようで・・・その方も写真撮られてましたね。永平寺名物と書いてありましたが・・・本当かなぁ。

僧堂と大庫院をつなぐ回廊と山門と仏殿を結ぶ参道が交わるところに中雀門があります。1852年(嘉永5年)道元禅師600回遠忌に建てられました。

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上の写真は仏殿から見た物で、下の写真が山門から見た物です。見た限りどちらが表か裏か分からないです。多分山門側が表なんでしょうけど。

大庫院から山門に至る途中に左側を見ると松平公廟所がありました。多分・・・案内が出てたんだと思います。それでないと気が付かない

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越前福井藩(北ノ庄藩)第3代藩主(結城秀康の次男)の墓所で五輪塔もあるそうです。永平寺でもっとも古い建物で、元の勅使門とも言われています。

そうこうしてたら山門までやってきました。そこで団体さんにガイドさんが山門の説明されてました。あんまり人が多いので、写真も撮れないので、終わるのを待つしかありません。

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ここの山門は、仁王像じゃなくて、四天王が祀られてました。上の写真の左から多聞天王像(北)持国天王像(東)。下の写真の左から増長天王像(南)広目天王像(西)・・・四天王は珍しいのでは。

1749年(寛延2年)の再建で、永平寺最古の建築物です。永平寺の表玄関で両側には仏法の守護神である四天王が祀られています。山門の上には、道元禅師による「吉祥山永平寺」命名由来の扁額が掲げられています。さらに階上には釈迦如来牟尼仏を中心に16羅漢・500大羅漢が祀られています。

それより皆さん上を見上げてるので、ひょっとして上がれるのと思ってしまいましたが、残念ながら閉まってました。それより山門の外観を撮りたかったど・・・。

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あの木の向こう・・・垂れ幕が少しだけ見えてるのが山門です。分からないですね。この参道は靴を履いていけたのでしょうか

それより永平寺七伽藍の一つ、浴室が写ってました。階段の突き当たりに小さく写ってるのがそれです。

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禅宗の浴室も妙心寺・建仁寺・相国寺は見た事があります。特にどれも同じようなものでした。ここも多分・・・一緒でしょう

こちらは前編でアップした、報恩塔(納経塔)です。何処が正面か分かりませんが、また違った表情・・・かなぁ

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いろいろ堂内を巡りましたが、ついに最後の祠堂殿です。1930年(昭和5年)の新築で一般の方の法要などに使われます。

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入口に法要時の写真撮影はご遠慮くださいと書いてありましたが、なにもされてませんでしたので、撮りました

堂内に書いてあったので、大数珠を探すと頭の上でした。永平寺でも大数珠繰りをされるんでしょうか

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ここ祠堂殿内の雰囲気は、大変厳かな空気が漂ってました。静かにお参りを済ませて出ました。ここも結構多くの人が来られてました。

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このあと傘松閣から吉祥閣を通って出ました。途中、土産物店もあって少し物色しましたが・・・。

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再び、鬱蒼として杉木立の参道を今度は下りながら歩いて行きました。まだまだ団体客が来られています。門前にたくさんの土産物店があるのが分かるような気がします。

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ここに突いたのが10時40分で、帰ってきたのが11時35分でした。少し土産物店で買い物をし、再びタクシーに乗って、一路JR福井駅に向かいます。

このタクシーに乗る前にJR福井駅構内にある観光案に寄りました。その時「帰りに養浩館まで送ってくれるから頼んでみたら」と言われました。この駅から観タクンでは、出発駅から帰着駅まで決まってて、コース変更はできないと書いてあり、私も知ってました。それでも観光案内て言われたので、運転手さんに「帰り養浩館で下ろしてくれますか」と尋ねたら「それは・・・別料金が要ります」と言われました。「それなら柴田神社は」「それなら良いですよ」と。私も少しムッとしましたし、運転手さんも戸惑われかと思います。観光案内所では要らんこと言わんことです そうこうしてたら柴田神社に着きました。つづく。

【大本山 永平寺 山門】



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