坂本龍馬など維新の志士が眠る聖地 京都霊山護國神社へ
霊山観音を出て、次ぎに観光なら二寧坂から産寧坂を通って清水寺に行けばと言うより殆どの方がそちらに向かわれます。しかし、今日は前途のとおりメジャーな所は行きません。ここから京都霊山護國神社に行くことを事前に決めてました。
高台寺の駐車場の中を横切って、石段を下りますが、上から見ると外国人(西洋人)の集団が上がって行かれます。そして着物を着た親子連れ(言葉から中国人)も上がって行かれます。しかし、ここを上がっても京都霊山護國神社があるぐらいで、「そんなに見所は無いのになぁ」と思うとともに「写真撮れないよ」と思いました。
駐車場から石段を降りると目の前がちょうと京都霊山護國神社の石鳥居があって、お決まりの狛犬がいます。ここから見るとかなり登るようで・・・。
ここまでは何度か来たことがあって、特に福山雅治主演のNHK大河ドラマ「龍馬伝」(2010年放送)で紹介されたので是非と思いつつ、今日になってしまった次第です。
距離はそんなにありませんが、けっこうな登りが続きます。途中に「維新の道」と書かれた石標があって、松下幸之助氏の直筆と書いてありました。
ここを過ぎた辺りで、前方の着物連れ親子を抜きました。着物を着て坂を登られてたので「歩くの遅いなぁ」と思い、抜いた時に、言葉が・・・「中国人だったんだ」と。何処がで着物をレンタルされてるんでしょう。
たかが3分程度の登りでしたが、結構・・・しんどかった・・・です。その証拠に姉と女房はかなり遅れました。護國神社と書かれた石標の上を見ると、看板があって・・・。
そこには、坂本龍馬・中岡慎太郎と書かれています。それが・・・ここに来た目的で、もう殆どの人が知ってる有名スポットです。特に坂本龍馬ファンには聖地なんでしょう
。
後続はほっといて
、先にお参りすることにしました。いつものように手水舎(てみずや)で手を清めますが、先に登られた外国人の観光客は・・・
何処へ・・・
。
答えは・・・ある所に屯されてましたが、これは後程
。本当は、そこに居られると困るんですが・・・

。
今なら本殿前は空いてるので・・・その本殿前には、石灯籠か何か知りませんが、上の写真には、坂本龍馬の文字が、下の写真には中岡慎太郎の文字が刻まれてました。
最近、造られたように思います。真新しいように感じましたが、さて何でしょうね
。それよりお参りが先です。
後で外人さんが見ていますが、いつものように二礼二拍一礼でお参りしました。やはり手前が拝殿で奥に本殿がありました。
1868年(慶応4年)明治天皇の詔により、維新を迎えることなく亡くなった幕末の志士たちを祀るために建立されたのが神社創建のはじまりで、坂本龍馬、中岡慎太郎、木戸孝允ら、多くの志士たちが祀られています。
お参りを済ませて後を見ると、後続が登り切って、ベンチで休憩しています。それをほっといて
社務所を探すと、芙蓉の花が咲いてる奥がそれらしき建物でしたが。
芙蓉の花は綺麗でしたが、社務所には誰もいません。今日は神社用の朱印帳も持ってきたので、留守では困るです
。
ここで、遅れて登ってきた姉と妻を連れて坂本龍馬のお墓参りに向かいます。入口は、先程・・・外人さんが屯してた新しい社務所です。
ここで朱印を聞くと、受付されてました。ここは先に朱印帳を出して帰りに受け取ると良いでしょう。但し霊山墓地に行く場合のことですが。
ここが霊山墳墓の入口です。私がここに着いた時、外人さんがここに屯されてました。入るには拝観料300円が必要で・・・悩まれたみたいです。(想像です
)
ここの入口は駅の改札口みたいになってます。たまたま小銭をたくさんもってて助かりましたが、ここに300円を入れると入口が開くんです。小銭が無かったら両替機もあるみたいです。
入ると目指すは、坂本龍馬&中岡慎太郎のお墓です。それには、この急な階段を登らなければなりません。
広い墓地の中に、このような案内図の看板が出ています。(何カ所かありました)迷うことはありませんが、坂本龍馬や木戸孝允なんかは、案内板も出ているので、探す必要はありません。
もう汗だくになって階段を登り切り着きました。そこには円山公園の銅像に比べて、遙かに小さい銅像がありました。
写真で見ると大きく見えますが、小さいです
。二人とも京の市街地を見ています。それより遙か彼方の土佐の方向だろうか
。
左が坂本龍馬。右が中岡慎太郎のお墓です。1867年(慶応3年)11月15日 近江屋において殺害され後、ここに埋葬されたそうです。
ここから見る京都市街地は綺麗です。この坂本龍馬の墓地の前は展望台になってて、こうして景色を楽しめます。何より空いてて良かったです。『龍馬伝』が放送された年は、多かったでしょうね。
ここで2人を下に降ろして私だけ、最高部にある木戸孝允の墓地まで行くつもりでしたが、「せっかくだし行くわ」と言うことで、ここからまだまだ上がります。急な階段を登り切ったところにありました。木戸孝允(桂小五郎)のお墓です。
その左隣に奥さんの幾松こと木戸松子のお墓が仲良く並んでいました。この木戸孝允のお墓が一番立派でした。
後は下りだけですが、もう膝がガクガクしてきました。途中にあった長州勤王烈士墓域です。この先を進んだら坂本龍馬のお墓に出るんです。
坂本龍馬のお墓前の展望台から見えなかった京都タワーが、ここから見るとはっきり見えました。
あと有名人では、大村 益次郎や吉村 寅太郎もあったそうですけど、前を通っても気が付かなかったです。そして下る途中に見えて来たのが、幕末維新ミュージアム「霊山歴史館」です。
時間があれば寄って行こうとは計画してましたが、いろいろスケジュールが押してきたので、今日は断念と言うより、入館料もいるのでやめたと言ったほうが正解かも
。私は、戦国歴史ファンで、幕末の知識は、そんなにありません。それでも歴史好きは一度行ってみる所ですね。
今日は、この後も頑張って歩いてもらう予定でした。それで降りたら暫くベンチに座って休憩し、タオルを交換したりしてゆっくりしました。そして10時26分次ぎに向けて、ここを出ました。
【京都霊山護國神社 本殿】

高台寺の駐車場の中を横切って、石段を下りますが、上から見ると外国人(西洋人)の集団が上がって行かれます。そして着物を着た親子連れ(言葉から中国人)も上がって行かれます。しかし、ここを上がっても京都霊山護國神社があるぐらいで、「そんなに見所は無いのになぁ」と思うとともに「写真撮れないよ」と思いました。
駐車場から石段を降りると目の前がちょうと京都霊山護國神社の石鳥居があって、お決まりの狛犬がいます。ここから見るとかなり登るようで・・・。
ここまでは何度か来たことがあって、特に福山雅治主演のNHK大河ドラマ「龍馬伝」(2010年放送)で紹介されたので是非と思いつつ、今日になってしまった次第です。
距離はそんなにありませんが、けっこうな登りが続きます。途中に「維新の道」と書かれた石標があって、松下幸之助氏の直筆と書いてありました。
ここを過ぎた辺りで、前方の着物連れ親子を抜きました。着物を着て坂を登られてたので「歩くの遅いなぁ」と思い、抜いた時に、言葉が・・・「中国人だったんだ」と。何処がで着物をレンタルされてるんでしょう。
たかが3分程度の登りでしたが、結構・・・しんどかった・・・です。その証拠に姉と女房はかなり遅れました。護國神社と書かれた石標の上を見ると、看板があって・・・。
そこには、坂本龍馬・中岡慎太郎と書かれています。それが・・・ここに来た目的で、もう殆どの人が知ってる有名スポットです。特に坂本龍馬ファンには聖地なんでしょう

後続はほっといて




答えは・・・ある所に屯されてましたが、これは後程




今なら本殿前は空いてるので・・・その本殿前には、石灯籠か何か知りませんが、上の写真には、坂本龍馬の文字が、下の写真には中岡慎太郎の文字が刻まれてました。
最近、造られたように思います。真新しいように感じましたが、さて何でしょうね

後で外人さんが見ていますが、いつものように二礼二拍一礼でお参りしました。やはり手前が拝殿で奥に本殿がありました。
1868年(慶応4年)明治天皇の詔により、維新を迎えることなく亡くなった幕末の志士たちを祀るために建立されたのが神社創建のはじまりで、坂本龍馬、中岡慎太郎、木戸孝允ら、多くの志士たちが祀られています。
お参りを済ませて後を見ると、後続が登り切って、ベンチで休憩しています。それをほっといて


芙蓉の花は綺麗でしたが、社務所には誰もいません。今日は神社用の朱印帳も持ってきたので、留守では困るです

ここで、遅れて登ってきた姉と妻を連れて坂本龍馬のお墓参りに向かいます。入口は、先程・・・外人さんが屯してた新しい社務所です。
ここで朱印を聞くと、受付されてました。ここは先に朱印帳を出して帰りに受け取ると良いでしょう。但し霊山墓地に行く場合のことですが。
ここが霊山墳墓の入口です。私がここに着いた時、外人さんがここに屯されてました。入るには拝観料300円が必要で・・・悩まれたみたいです。(想像です

ここの入口は駅の改札口みたいになってます。たまたま小銭をたくさんもってて助かりましたが、ここに300円を入れると入口が開くんです。小銭が無かったら両替機もあるみたいです。
入ると目指すは、坂本龍馬&中岡慎太郎のお墓です。それには、この急な階段を登らなければなりません。
広い墓地の中に、このような案内図の看板が出ています。(何カ所かありました)迷うことはありませんが、坂本龍馬や木戸孝允なんかは、案内板も出ているので、探す必要はありません。
もう汗だくになって階段を登り切り着きました。そこには円山公園の銅像に比べて、遙かに小さい銅像がありました。
写真で見ると大きく見えますが、小さいです


左が坂本龍馬。右が中岡慎太郎のお墓です。1867年(慶応3年)11月15日 近江屋において殺害され後、ここに埋葬されたそうです。
ここから見る京都市街地は綺麗です。この坂本龍馬の墓地の前は展望台になってて、こうして景色を楽しめます。何より空いてて良かったです。『龍馬伝』が放送された年は、多かったでしょうね。
ここで2人を下に降ろして私だけ、最高部にある木戸孝允の墓地まで行くつもりでしたが、「せっかくだし行くわ」と言うことで、ここからまだまだ上がります。急な階段を登り切ったところにありました。木戸孝允(桂小五郎)のお墓です。
その左隣に奥さんの幾松こと木戸松子のお墓が仲良く並んでいました。この木戸孝允のお墓が一番立派でした。
後は下りだけですが、もう膝がガクガクしてきました。途中にあった長州勤王烈士墓域です。この先を進んだら坂本龍馬のお墓に出るんです。
坂本龍馬のお墓前の展望台から見えなかった京都タワーが、ここから見るとはっきり見えました。
あと有名人では、大村 益次郎や吉村 寅太郎もあったそうですけど、前を通っても気が付かなかったです。そして下る途中に見えて来たのが、幕末維新ミュージアム「霊山歴史館」です。
時間があれば寄って行こうとは計画してましたが、いろいろスケジュールが押してきたので、今日は断念と言うより、入館料もいるのでやめたと言ったほうが正解かも

今日は、この後も頑張って歩いてもらう予定でした。それで降りたら暫くベンチに座って休憩し、タオルを交換したりしてゆっくりしました。そして10時26分次ぎに向けて、ここを出ました。
【京都霊山護國神社 本殿】