幻の名城 北ノ庄城跡 柴田神社へ

永平寺を11時40分に出たタクシーは、JR福井駅を通過して柴田神社に12時5分に着きました。

私の事前の計画では、福井市内の観光時間を3時間と設定しました。その時間内に歩いて廻れるコースを練りに練って決め、食事のできる所も事前に何回所か候補は決めました。その何カ所か廻るコースの一つが柴田勝家が築城し、現在では幻の名城と言われる北ノ庄城の跡に建つ柴田神社でした。

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再び福井市内に戻ってきたら雨が降ってました。タクシーは柴田神社の北側で止めてくれました。それにしても福井市内は降らんやろと思ってたのに・・・ショックです。

北向きの鳥居をくぐると次ぎに西向きに大きな石鳥居が立っていましたし、鳥居には柴田神社の額も架かってました。

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その鳥居をくぐると境内社の稲荷神社がありました。本尊は、宇賀之魂命が祀られています。

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柴田勝家が北ノ庄城の鎮守社として創建したものと伝えられています。そうですね、ここが北ノ庄城が建っていたんですね。1998年(平成10年)に新築されたものです。

稲荷社をお参りしたら元に戻って、柴田神社の手水舎で手を清めます。それより胸がドキドキする銅像が見えています。

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かつての北ノ庄城にあったであろう井戸「お市の水」を復元されました。

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「お市の水」は、お市の方が自ら三人の愛娘、お茶々・お初・お江与を育て、後には幸せな越前の三姉妹と言われたことにあやかり訪れた人が美しく幸せになるように祈りを込めて作られたそうです。

お市の水のモデル・・・お市の方像が立っていました。ご存じ織田信長の妹君で、この北ノ庄城で自刃された話は有名です。

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2011年(平成23年)NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」のドラマ紀行(8話)で、この柴田神社を知りました。やっと訪問できました。

そのお隣がお市の方の三姉妹・・・浅井三姉妹・・・三姉妹像です。左から茶々・江・初です。解説不要ですよね。

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お市の方が柴田勝家に嫁いだ時、三姉妹も勝家の居城「北ノ庄」に移り暮らしました。しかし北ノ庄城での暮らしも、わずか1年にも満たないものでした。

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神社の片隅にひっそりと立っているお市の方の慰霊碑です。

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ここから撮れば、お市の方と三姉妹が一緒に入りました。次は・・・当然、勝家です。雨が降っているで、傘をさして片手での撮影でしんどかったです。

柴田勝家だけ離れてて、北ノ庄公園の北側に柴田勝家像はあります。勝家は別名・鬼柴田、かかれ柴田、瓶割り柴田と呼ばれることもあって、この神社には・・・。

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1967年(昭和42年)柴田勝家が福井市の基礎を創成した事跡を顕彰して、柴田神社の氏子らにより造立されました。

ここでは瓶割り柴田の逸話を元に、実際に成就したい願い事を瓶に書き鉾を用いて貫き割るようです。社務所にて置いてありました。

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1570年(元亀元年)織田信長は近江の六角氏の押さえとして家臣の柴田勝家を長光寺城に置きました。その後、六角義賢・義治父子が長光寺城を包囲、水路をを絶たれてしまい落城の危機を迎えました。そこで勝家は、瓶に残っていた水を城兵に飲ませ、残りの水が入った瓶をすべて割ってしまいました。己の邪念を打ち砕き強い信念を持って背水の陣で臨み、見事に敵を打ち破った、という話です。そのことから柴田勝家は「瓶割り柴田」と呼ばれました。

それでは元に戻ります。三姉妹像の前には、境内社の三姉妹神社がありました。

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お市の方の娘の三姉妹、茶々・初・江を祀られています。1998年(平成10年)本殿造営にあわせ新築されたものです。

雨が降ってるので、拝殿に入りお参りします。本殿はその奥に見えています。また、この柴田神社のために、神社用の朱印帳も持ってきので、在宅を祈るだけです。

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先に社務所に行きました。しかし、誰もいません。「不在の時は呼び鈴を押して・・・」と書いてあったので、呼び鈴を押すと・・・奥から出て来られました。遠路来たので、ホッとしました。

書いていただいてる間に本殿に向かって二礼二拍一礼でお参りしました。少しばかりのお賽銭もね。なお、本殿は、下の写真のように斜めから見ることができます。

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本殿も1998年(平成10年)に新築されました。本殿・拝殿・三姉妹神社・稲荷神社とともに新築され遷宮されました。

柴田神社は「柴田勝家・お市の方」絆深き二柱の大神と「三人の姫」を祀られ、夫婦・家族・兄妹の絆を神得とする「絆の宮」として暑く尊敬されています。

最後は、幻の名城北ノ庄城を遺構を見て行きます。と言っても殆ど残ってはいませんが・・・。1993年(平成5年)の発掘調査で、江戸時代以前の地層から幅25㍍の堀跡と石垣の遺構が発見されました。

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1996年(平成8年)に発掘された江戸時代以前の石垣の遺構です。調査の結果、元は高く積み上げられてた石垣が、福井城築城の際に取り除かれ、根石のみ残ったものです。

柴田勝家の居城、北ノ庄城を訪れた宣教師ルイス・フロイスは、壮大な9層の天守閣がそびえ、屋根瓦がたいへん美しかったと伝えています。かつて本丸があったとされる場所は柴田神社となり、勝家が祀られています。その周辺からは当時の石垣が見つかりました。道路や橋などを整備し、街づくりにも努めた勝家は、今日の福井市の基盤を築いたと言われています。

壮大な9層の天守閣が聳えてた北ノ庄城の面影は全くありません。前途したNHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」を見るまで、北ノ庄城=福井城と思ってました。最後に柴田公園の全景を撮って次へと向かいました。

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それより、北ノ庄城と書きましたが、北の庄城と書いてあるのもあるし、北庄城と書いてあるのもありました。どれが正解なんでしょうか

【柴田神社 本殿】



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