越前福井藩主松平家の別邸 養浩館庭園【前編】へ
越前つるき蕎麦で昼食をすませ、地図を見ながら養浩館(ようこうかん)を目指しましたが、取りあえずJR福井駅を目指しました。福井駅には7分程度で着く予定で、そこからは地図が頭に入ってました。
JR福井駅から養浩館まで歩いて15分と見てました。その時間がもったいなく思えて、結局タクシーで移動することにしました。タクシーでワンメータ、養浩館東門に13時8分に着きました。
入ると、目を疑いました。凄い人なんです。「やっぱり人気あるんだ」と思いましたが、もう来れないかも知れないので、入ります。受付で「歴史博物館との共通券は」と聞かれたので、即座に共通券を購入しました。340円でした。これは当初の予定どおりです。
この時は気が付かなかったですが、団体さんの集団でした。今日は、一乗谷朝倉氏遺跡、永平寺そして養浩館・・・つくづく団体さんと縁がある日てした。受付の人が「建物の中から見学してください」と案内がありましたので、先に建物に入ります。靴を脱いで入ると最初の部屋が櫛形ノ間です。
西の池に面して花頭くずしの連窓が見られ、これが櫛を連想させることからこの名が付いたとか。この建物の中には、そんなに人は居ませんでした。皆さん庭を散策されています。
窓の人に庭が見えています。先に建物に入りましたが、早く庭が見たい気持ちは抑えられなかったです。
いろいろ想像を巡らして来ましたが、想像以上に綺麗です。池泉回遊式庭園となっており後程庭を一周します。
アメリカの日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」が選ぶ 2014年日本庭園ランキング 1位 足立美術館(島根県) 2位 桂離宮(京都府) 3位 山本亭(東京都) 4位 御所西 京都平安ホテル(京都府) 5位 養浩館庭園(福井県)
養浩館庭園は見事5位に入っています。その庭園を福井に来たらどうしても見たいと思ってたんで、念願が叶いました。次は、この建物の北側にある御湯殿です。
風呂を備えた御湯殿とその前面の御上り場、後方の釜場となる土間からなります。この風呂は、禅宗寺院で見られる蒸し風呂でした。中も覗けますが、何もありません。
最初の部屋に戻って、今度は建物の南側を見てます。御次ノ間と奥、御座ノ間です。
気が付くと雨がやんで晴れ間が出てきました。「今頃遅いわ」と思いましたが、庭園に来て晴れてくれたのは有り難かったです。
いつの間にか建物中に人が居なくなってました。庭の人も少なくなって来て、団体さんが帰り支度されてるようで、こうなると暫くは独占できそう。で、次は金砂子ノ御間です。
ご覧のように何もないと思ったら、壁を良く良くみると、壁砂に金砂子が混ざってました。そのためその名が付きました。そして次の部屋に移動です。
建物の南側に移動して、御座ノ間です。出書院の麻の葉模様の欄間は桑材の一枚板で、精巧緻密な透彫になっています。
ここが、この建物の中心で藩主の座が設けられてることから、その名がつきました。違い棚な出書院など見所が多い部屋でした。
御座ノ間の隣の部屋は、御次ノ間で、その縁には、白大理石の手水鉢が据えられていました。
ここからは、綺麗に並んだ飛び石が見られ、数寄屋造りの建物に良く似合っています。あとで庭に降りますが、晴れてきたのが何よりです。
この建物の東に突き出して設けられた離座敷の御月見ノ間に移動です。文字通り月を愛でるお部屋のようですが、それは後程。
ここで注目したのは。脇棚の螺鈿作りの装飾品でしょう。この写真では遠いので、下にアップを。
青貝入りの螺鈿細工が施された脇棚をアップしてみました。この頃になると完全に私ら夫婦だけになりました。もちん庭も人影は消えてます。団体さんが完全に出て行かれました。
それではお月見を楽しみ方です。こちらは東側で月見台があり、目の前の清流を愛でながら、昇ってくる月を楽しみます。
こちらは御月見ノ間の西面で、雲窓の出書院から池に映る月を愛でるようになっています。今年は9月27日がお月見でしたね。(アップする頃に終わってるでしょう)
ここから庭園の景色や福井城本丸を借景としながら、殿様は優雅なお月見の時間を過されたんでしょう。
雲窓の出書院から庭を見るとこんな風に見えます。朝方の雨が嘘のように晴れました。(一乗谷でも晴れてよ)
最後は、鎖ノ間と呼ばれる部屋です。ここには鶏鳴ノ板戸がありました。いやでも鶏・・・目立ちます。
御座の間の背面に位置する部屋です。杉戸には鶏が描かれていました。京都で、いろんな杉戸を見て来たので、作者がだれだか気になりました。
遠路来たので、全ての部屋を見て、そこからの庭の風景も楽しみました。庭には人影もなくなったし、最後に築山を撮って、ここを出ました。
この邸の建物は、池の東岸に配された「御茶屋」と呼ばれた屋敷が中心で、主座敷となる「御座ノ間」とその南東に設けられた「御月見ノ間」から構成されています。そしてその北には廊下でつながれた「御湯殿」がありました。「御茶屋」は数奇屋造建築で、柿葺寄棟のむくり屋根で覆われています。
1945年(昭和20年)7月19日の福井大空襲で焼失したのを1993年(平成5年)に再建されたんですね。建物は真新しく、、この先何十年経つと馴染んでくるのでしょう。次は庭園を散策します。
【養浩館庭園 御月見ノ間】
JR福井駅から養浩館まで歩いて15分と見てました。その時間がもったいなく思えて、結局タクシーで移動することにしました。タクシーでワンメータ、養浩館東門に13時8分に着きました。
入ると、目を疑いました。凄い人なんです。「やっぱり人気あるんだ」と思いましたが、もう来れないかも知れないので、入ります。受付で「歴史博物館との共通券は」と聞かれたので、即座に共通券を購入しました。340円でした。これは当初の予定どおりです。
この時は気が付かなかったですが、団体さんの集団でした。今日は、一乗谷朝倉氏遺跡、永平寺そして養浩館・・・つくづく団体さんと縁がある日てした。受付の人が「建物の中から見学してください」と案内がありましたので、先に建物に入ります。靴を脱いで入ると最初の部屋が櫛形ノ間です。
西の池に面して花頭くずしの連窓が見られ、これが櫛を連想させることからこの名が付いたとか。この建物の中には、そんなに人は居ませんでした。皆さん庭を散策されています。
窓の人に庭が見えています。先に建物に入りましたが、早く庭が見たい気持ちは抑えられなかったです。
いろいろ想像を巡らして来ましたが、想像以上に綺麗です。池泉回遊式庭園となっており後程庭を一周します。
アメリカの日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」が選ぶ 2014年日本庭園ランキング 1位 足立美術館(島根県) 2位 桂離宮(京都府) 3位 山本亭(東京都) 4位 御所西 京都平安ホテル(京都府) 5位 養浩館庭園(福井県)
養浩館庭園は見事5位に入っています。その庭園を福井に来たらどうしても見たいと思ってたんで、念願が叶いました。次は、この建物の北側にある御湯殿です。
風呂を備えた御湯殿とその前面の御上り場、後方の釜場となる土間からなります。この風呂は、禅宗寺院で見られる蒸し風呂でした。中も覗けますが、何もありません。
最初の部屋に戻って、今度は建物の南側を見てます。御次ノ間と奥、御座ノ間です。
気が付くと雨がやんで晴れ間が出てきました。「今頃遅いわ」と思いましたが、庭園に来て晴れてくれたのは有り難かったです。
いつの間にか建物中に人が居なくなってました。庭の人も少なくなって来て、団体さんが帰り支度されてるようで、こうなると暫くは独占できそう。で、次は金砂子ノ御間です。
ご覧のように何もないと思ったら、壁を良く良くみると、壁砂に金砂子が混ざってました。そのためその名が付きました。そして次の部屋に移動です。
建物の南側に移動して、御座ノ間です。出書院の麻の葉模様の欄間は桑材の一枚板で、精巧緻密な透彫になっています。
ここが、この建物の中心で藩主の座が設けられてることから、その名がつきました。違い棚な出書院など見所が多い部屋でした。
御座ノ間の隣の部屋は、御次ノ間で、その縁には、白大理石の手水鉢が据えられていました。
ここからは、綺麗に並んだ飛び石が見られ、数寄屋造りの建物に良く似合っています。あとで庭に降りますが、晴れてきたのが何よりです。
この建物の東に突き出して設けられた離座敷の御月見ノ間に移動です。文字通り月を愛でるお部屋のようですが、それは後程。
ここで注目したのは。脇棚の螺鈿作りの装飾品でしょう。この写真では遠いので、下にアップを。
青貝入りの螺鈿細工が施された脇棚をアップしてみました。この頃になると完全に私ら夫婦だけになりました。もちん庭も人影は消えてます。団体さんが完全に出て行かれました。
それではお月見を楽しみ方です。こちらは東側で月見台があり、目の前の清流を愛でながら、昇ってくる月を楽しみます。
こちらは御月見ノ間の西面で、雲窓の出書院から池に映る月を愛でるようになっています。今年は9月27日がお月見でしたね。(アップする頃に終わってるでしょう)
ここから庭園の景色や福井城本丸を借景としながら、殿様は優雅なお月見の時間を過されたんでしょう。
雲窓の出書院から庭を見るとこんな風に見えます。朝方の雨が嘘のように晴れました。(一乗谷でも晴れてよ)
最後は、鎖ノ間と呼ばれる部屋です。ここには鶏鳴ノ板戸がありました。いやでも鶏・・・目立ちます。
御座の間の背面に位置する部屋です。杉戸には鶏が描かれていました。京都で、いろんな杉戸を見て来たので、作者がだれだか気になりました。
遠路来たので、全ての部屋を見て、そこからの庭の風景も楽しみました。庭には人影もなくなったし、最後に築山を撮って、ここを出ました。
この邸の建物は、池の東岸に配された「御茶屋」と呼ばれた屋敷が中心で、主座敷となる「御座ノ間」とその南東に設けられた「御月見ノ間」から構成されています。そしてその北には廊下でつながれた「御湯殿」がありました。「御茶屋」は数奇屋造建築で、柿葺寄棟のむくり屋根で覆われています。
1945年(昭和20年)7月19日の福井大空襲で焼失したのを1993年(平成5年)に再建されたんですね。建物は真新しく、、この先何十年経つと馴染んでくるのでしょう。次は庭園を散策します。
【養浩館庭園 御月見ノ間】