橿原神宮 秘庭 特別拝観【文華殿】へ
橿原神宮本殿の特別参拝に始まって、勅使館から貴賓館を巡ってきました。そして最後は、文華殿(重要文化財)です。
特別参拝でもらった案内図がありますが、立看板が出てるので迷わずに行けました。次の文華殿がもっとも距離が離れたかと思います。
貴賓から歩いて4分、10時18分文華殿の表門に着きました。勅使館・貴賓館が少し物足りなさを感じたので、この門構えは期待できそう
。
門を入って右手に何か分かりませんが・・・ありました。何だろうと考えてる暇がないので、先に進みます。
門を入って少し進むと右手に玄関が見え、そこで受付されていました。そこで特別公開観覧券を差し出し、最後に半券を切られます。
靴を脱いで上がる前に、前庭を撮りました。どうやら・・・奥に続いてるようですが、これは後程分かります。そして靴を下駄箱に入れます。ここも普段は非公開で、結婚式や披露宴などに使われてるそうです。
奈良県天理市柳本町にあった織田家旧柳本藩邸の「表向御殿」を1967年(昭和42年)に移築、復元したもの。江戸時代末期の1844年(天保15年)に建立された屋形の一部分で、1万石藩邸の遺構として珍しい存在。移築に際して重要文化財に指定されました。
玄関を上がると正面に玄関乃間があって、奥の絵をみたいけど日差しが強くて・・・「えっ
狩野正信
がここで見られる
」と思いきや・・・。
案内を良く良く読むと「狩野周信」(かのうちかのぶ)でした。案内では江戸狩野派のようですね。額縁に入っているので、ガラスに反射して、殆ど見えない
。
次が使者乃間で、橿原神宮で毎年4月29日の昭和祭と11月23日の新嘗祭(にいなめさい)で奉納れる久米舞(くめまい)の衣装が展示さてます。
実際の久米舞の写真も展示されてました。これだけで訪れのは・・・しんどいかなぁ
。
玄関はここまでで、次ぎに大書院に入ります。ここには神職さんが案内のためスタンバイされてました。ただこの時は、先客の相手をされてましたが。
後で神職さんら聞いた話で衝撃
を受けたのは・・・ここが地元天理市の柳本小学校の校舎として使われてたことでした。
「え
小学校の校舎だったの
」武家屋敷が校舎
現在、重要文化財の建物が校舎
何度も聞き返しましたよ
。
校舎が古くなって新築される時に、取り壊されのはもったいなにので、橿原神宮に移築されることになったらしいです。それで、最初の部屋は下段 三乃間(上の写真)です。
下の写真は、下段 二乃間です。衣装や屏風が展示れてましたが、部屋の中には入れません。それより庭が気になりましたが、後程
。
最後が、下段・中段・上段乃間が一列に並んでいます。一段づつ上段に向かって高くなってて、殿様が家臣とここで対面されたのでしょうね。
上を見上げると、鳳凰をあしらった極彩色鮮やかな透かし彫りの欄間が見応えありました。欄間と言えば・・・本殿参拝時の事を思い出しました。
本殿では写真が撮れませんでしたが、これは「竹」なんです。正式には「竹の節欄間」(たけのふしらんま)と教えてもらいました。
ここで先客も出て行かれたので、縁側に腰を降ろしました。そして庭をゆっくり眺めると、神職さんが案内していただきました。
見た所やっと、庭園らしい庭園に巡り会いました
。聞くところによると今年の夏に修復されたとか。苔の形は雲を表しています。
大書院の前に広がる庭園はむ、「いわれ庭」と言い。1973年(昭和48年)に庭園研究家の森蘊(おさむ)さんにより作庭された庭園は、40年以上が経過しため、伸びすぎた木を切ったり、芝生を張り直すなどの改修を今年の夏に実施。森蘊のお弟子さんにより、作庭当時の美しい姿を取り戻しました。
美しいスギ苔と白砂が見応えありました。やはり修復されたばかり、綺麗ですね。ここも普段非公開なのは残念な気がします。
庭園の南側から東側に移動しました。上段・中段・下段乃間から廊下を挟んで庭園を見ています。
織田尚長によって創建された織田邸は、1830年(文政13年)の火災で焼失。1836年(天保7年)から9年がかりの1844年(天保15年)に再建されました。しかし明治維新で織田邸のうち大部分の80余りの部屋は壊されましたが、表向御殿だけが奇跡的に残り、地元の小学校舎を経て橿原神宮に移築保存されました。
見学を終えて、お手洗いを借りた時、この表向御殿の北側を見ることができました。向に見えているのが庭園の東側です。
見学を終えて玄関から10時36分に出ました。ここに来て1時間40分もたってました。少々疲れ気味です
。しかし、今日は一箇所だけ計画してました。そのため橿原神宮前駅に向かいます。行きは間違いましたが、帰りはまっすぐ向かうと見えて来ました。
実は、次ぎに大阪線に乗って向かう予定にしていました。しかし「人身事故の影響で止まってる」との情報が入ってきました。
疲れた体に助け船と・・・良い方に解釈して、京都に戻ることにしました。少しゆっくりしたかったけど、特急券売り場で聞くと、11時00分発が間に合いそうで、それで帰る事に。
11時00分発 近鉄特急 京都駅11時54分着に乗りました。電車好きには特急良いですよね。ゆっくりできるし、景色は楽しみめるし、乗り鉄かなぁ
。
京都駅には昼に着きました。お昼を食べて、病院に見舞いに行くか、非公開文化財特別公開の残りに行くか決めかねてました。
【橿原神宮 文華殿】

特別参拝でもらった案内図がありますが、立看板が出てるので迷わずに行けました。次の文華殿がもっとも距離が離れたかと思います。
貴賓から歩いて4分、10時18分文華殿の表門に着きました。勅使館・貴賓館が少し物足りなさを感じたので、この門構えは期待できそう

門を入って右手に何か分かりませんが・・・ありました。何だろうと考えてる暇がないので、先に進みます。
門を入って少し進むと右手に玄関が見え、そこで受付されていました。そこで特別公開観覧券を差し出し、最後に半券を切られます。
靴を脱いで上がる前に、前庭を撮りました。どうやら・・・奥に続いてるようですが、これは後程分かります。そして靴を下駄箱に入れます。ここも普段は非公開で、結婚式や披露宴などに使われてるそうです。
奈良県天理市柳本町にあった織田家旧柳本藩邸の「表向御殿」を1967年(昭和42年)に移築、復元したもの。江戸時代末期の1844年(天保15年)に建立された屋形の一部分で、1万石藩邸の遺構として珍しい存在。移築に際して重要文化財に指定されました。
玄関を上がると正面に玄関乃間があって、奥の絵をみたいけど日差しが強くて・・・「えっ



案内を良く良く読むと「狩野周信」(かのうちかのぶ)でした。案内では江戸狩野派のようですね。額縁に入っているので、ガラスに反射して、殆ど見えない

次が使者乃間で、橿原神宮で毎年4月29日の昭和祭と11月23日の新嘗祭(にいなめさい)で奉納れる久米舞(くめまい)の衣装が展示さてます。
実際の久米舞の写真も展示されてました。これだけで訪れのは・・・しんどいかなぁ


玄関はここまでで、次ぎに大書院に入ります。ここには神職さんが案内のためスタンバイされてました。ただこの時は、先客の相手をされてましたが。
後で神職さんら聞いた話で衝撃


「え






校舎が古くなって新築される時に、取り壊されのはもったいなにので、橿原神宮に移築されることになったらしいです。それで、最初の部屋は下段 三乃間(上の写真)です。
下の写真は、下段 二乃間です。衣装や屏風が展示れてましたが、部屋の中には入れません。それより庭が気になりましたが、後程

最後が、下段・中段・上段乃間が一列に並んでいます。一段づつ上段に向かって高くなってて、殿様が家臣とここで対面されたのでしょうね。
上を見上げると、鳳凰をあしらった極彩色鮮やかな透かし彫りの欄間が見応えありました。欄間と言えば・・・本殿参拝時の事を思い出しました。
本殿では写真が撮れませんでしたが、これは「竹」なんです。正式には「竹の節欄間」(たけのふしらんま)と教えてもらいました。
ここで先客も出て行かれたので、縁側に腰を降ろしました。そして庭をゆっくり眺めると、神職さんが案内していただきました。
見た所やっと、庭園らしい庭園に巡り会いました

大書院の前に広がる庭園はむ、「いわれ庭」と言い。1973年(昭和48年)に庭園研究家の森蘊(おさむ)さんにより作庭された庭園は、40年以上が経過しため、伸びすぎた木を切ったり、芝生を張り直すなどの改修を今年の夏に実施。森蘊のお弟子さんにより、作庭当時の美しい姿を取り戻しました。
美しいスギ苔と白砂が見応えありました。やはり修復されたばかり、綺麗ですね。ここも普段非公開なのは残念な気がします。
庭園の南側から東側に移動しました。上段・中段・下段乃間から廊下を挟んで庭園を見ています。
織田尚長によって創建された織田邸は、1830年(文政13年)の火災で焼失。1836年(天保7年)から9年がかりの1844年(天保15年)に再建されました。しかし明治維新で織田邸のうち大部分の80余りの部屋は壊されましたが、表向御殿だけが奇跡的に残り、地元の小学校舎を経て橿原神宮に移築保存されました。
見学を終えて、お手洗いを借りた時、この表向御殿の北側を見ることができました。向に見えているのが庭園の東側です。
見学を終えて玄関から10時36分に出ました。ここに来て1時間40分もたってました。少々疲れ気味です

実は、次ぎに大阪線に乗って向かう予定にしていました。しかし「人身事故の影響で止まってる」との情報が入ってきました。
疲れた体に助け船と・・・良い方に解釈して、京都に戻ることにしました。少しゆっくりしたかったけど、特急券売り場で聞くと、11時00分発が間に合いそうで、それで帰る事に。
11時00分発 近鉄特急 京都駅11時54分着に乗りました。電車好きには特急良いですよね。ゆっくりできるし、景色は楽しみめるし、乗り鉄かなぁ

京都駅には昼に着きました。お昼を食べて、病院に見舞いに行くか、非公開文化財特別公開の残りに行くか決めかねてました。
【橿原神宮 文華殿】