西陣の名銭湯めぐり 船岡温泉へ

金龍湯を出て、今度は大宮通を南下します。再び建勲通りまで来ると、西に進みます。暫くすると一件のお豆腐屋さんの前で止まりました。大徳寺御用達の「みしま」さんで、お豆腐の試食をいただきました。京都の豆腐を食べ慣れてるので珍しくはなかっですが美味しかったです。試食のあと、建勲通りを西に進み、突き当たりに建勲神社の鳥居があって、そこから南下します。そしてさらさ西陣の前の通り・・・鞍馬口通りに出てきました。そこから少しだけ西に進むと船岡温泉があり、時計の針は14時15分になってました。

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最初に訪れたさらさ西陣から歩いて3分程度での距離に船岡温泉はあります。実は、最初にさらさ西陣に行く途中に下見は済ませてました

船岡温泉に着くと玄関に店主の方が外に出て待っておられました。最初に、船岡温泉前で、林宏樹さんから簡単な歴史を話されました。

1923年(大正12年)に建てられた料理旅館「船岡楼」付属の浴場して営業を開始したのが「船岡温泉」のはじまりです。鞍馬石を用いた立派な石垣が鞍馬口通りで目立ち往時を偲ばせます。温泉の出なかった京都で、1933年(昭和8年)日本で初めて電気風呂を導入して「特殊船岡温泉」として許可を受けました。そして戦後、1947年(昭和22年)銭湯として営業を始め、現在に至っています。2003年(平成15年)に、文化庁の登録有形文化財にも指定されました。

まだ暖簾は掛かってない入口から入ると、靴を下駄箱に預けます。昔比べて、随分カラフルになりました。(これでもです

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私の子供の頃は、「この番号が空いてないと・・・」そんなこだわりは無かったなぁ・・・今日も適当に入れました

靴を預けると番台の前を通ります。金龍湯さんもそうでしたが、今は男湯・女湯の脱衣場が見えないようになってるみたいです。

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ここにも牛乳石鹸・・・置いてありました。この時は急いでて、帰りに撮って分かったんですけど。

番台を通過すると先ず女湯の方に入ります。船岡温泉では日替わりで男湯と女湯が入れ替わるみたいで、要するに向かって左側に入りました。

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こちらへ先に入るのは訳があって・・・これは脱衣場で林宏樹さんから説明を聞いて納得です。

こちらが脱衣場です。噂通りの見事な彫刻が嫌でも目に入って来ます。念願叶って、興奮が抑えきれないです

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こちらにも23名のイベント参加者が入られ一杯。でも皆さん見事な透かし彫りやタイルにを盛んにシャッターを押されて夢中です。なお、今日はイベントのため写真撮影はOKですが、普段の営業中は撮影禁止だそうです。盗撮防止のためとか。

この欄間透かし彫りは、上海事変をモチーフになっているとか。双眼鏡で敵を観察する人、大砲をセットする人、電話を掛ける人・・・見てて飽きないです。

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この見事な透かし彫りは、脱衣場を取り囲むようにありました。葵祭の行列や上賀茂神社の競馬(くらべうま)、今宮神社のお祭りが彫られています。

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お風呂に入りに来て、湯上がりでこれを見たら、湯冷めしてしまうほど見入ってしまいました。どれもこれも見事でした。

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ここで見過ごしてしまいましたが、装飾タイルも見事です。カラフルな和製マジョリカタイルには、明治末期に普及した凹凸のある装飾タイルで、現在は製造中止とか。

また、ここでは必ずケヤキの格天井を見上げましょう。まぁ・・ここに入って直ぐに・・・嫌でも目に入ってしまいますけど、見事な彫刻です。天狗が源義経(牛若丸)に剣術を教えてる場面だそうです。

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林さんが店主の方に「天狗の鼻が白いので、一度折れたんですよね」。店主の方「いえ、一度も折れてませんよ」とありました。確かに鼻が白かったので・・・

ここの透かし彫りは、順次一人の彫刻師が彫っていかれたとか・・・凄いですよね。お風呂に入り来ないと見られないので是非

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林宏樹さんより、この彫刻を彫られた人も聞きましたが、忘れました。ただ写真たけは残したので「子緑刀」でも読めない

さほど広くない脱衣場から浴場に行きたかったんですが、熱心に説明していただきました。それより、脱衣場から浴場には石橋を渡ります。

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この渡り廊下の欄干は、千本鞍馬口にあった菊水橋を、市電の開通時に移築したものです。それにしても豪華なお風呂屋さんですね。

渡り廊下を過ぎると浴槽です。この時、14時30分。営業まであと30分でした。そのため湿気凄い。私は素早く靴下を脱いで、浴場に行きました。

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金龍湯さんと違って、ここはタイルが濡れて、靴下を脱がずい行けば濡れるの必至です

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ここには、いろんな風呂があります。電気風呂くすり風呂あわ風呂エスティジェット風呂高温深風呂。やっぱり家風呂にないものを用意しないとね

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こちらは総檜風呂でしょう。いただいパンフには露天風呂とありましたが、どう見ても室内でした。日々男湯と女湯が入れ替わるので、向こう側にあるのかも。

ここの電気風呂・・・日本で最初に認可されたもので、2代目の店主・大野伍一郎さんが低周波治療器をヒントに考えられたそうで、通産省に何度も足繁く通われて認可されたそうです。蒸し暑い浴室で聞きました

湿気でカメラが気になりだし所、後続の方が露店風呂に行かれました。お風呂屋さんにも露天風呂があるなんて・・・驚きの連続です

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スーパー銭湯なら分かるんですが、街のお風呂屋さんでしょう。時代が変わった・・・ようで。

渡り廊下の下に池があって渡ってきんですが、その渡り廊下のタイルが見事でした。写真を撮り損ねたのが残念ですが、少し見えてるでしょう

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男性は靴下を脱げば済みますが、女性はスリッパを借りられたされてました。それにしても蒸し暑いので(お風呂屋さんだし当たり前かも)出ようとしたら・・・。

ここで閃きが・・・ここは男湯と女湯が繋がってるんです。営業中はもちろん行き来はできませんが、今日と言うか今はできます。このまま女湯へ行ってしまおうと・・・。

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その通り抜けの手前にあったのが、うたせ湯でした。そして・・・その先がやっばり開いてました。

この日は向かって右側が女湯でした。そこで左側から右側に移動します。まだ誰も行かれてません。チャンスです。この先、ページが多くなったので後編につづきます。

【船岡温泉】



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    Excerpt: 釘抜地蔵を出て千本通りを北上します。そして寺之内通りに出るので東へ進み、最初の道をひたすら北上します。釘抜地蔵の表門から歩くこと12分で、遠くに船岡山と石段が見えてきました。 Weblog: 古寺とお城の旅日記Ⅱ racked: 2016-04-05 05:00