京都浄土宗寺院 特別大公開 清涼院へ
今年も京都浄土宗寺院 特別大公開がありました。通常非公開の寺院が期間限定で公開されとあって人気のイベントですが、公開日が集中した10月10日に『西陣の名銭湯ぐり』に参加したため、今年は1日だけ2ケ所をに行きました。
いろいろ考えた結果、厳選した寺院は、10月15日(木)と16日(金)の平日しか公開されない所と、その前に一箇所だけ行く計画をたてました。そして最初の寺院に行くためJR藤森駅に降り立ちました。
この駅はホームから上がると駅舎があって、ここから南へ下がります。
京都では南に行くことを下がると言いますが、実際はゆるやかに登って行くんです。天気が良すぎて暑すぎの気候のため登りは堪えました。しかし、正面に伏見桃山城が見えるんです。城好きには、この城は城ではありません。城型観光施設と呼ぶべきでしょう。脱線しました。いつものように地図を頭に入れて歩くこと約10分で着きました。
ここは徳川御三家筆頭尾張初代当主徳川義直ゆかりの清涼院です。昨年初めて公開されましたが、都合で行けなかったので、今年の公開リストに入ってたので是非行きたかった寺院の一つでした。
藤森駅から歩いて15分、ずっとゆるやかな登りでしたので、少々疲れました。Google Earthで地図は頭に入れるんですが、高低差が分からないので・・・。
普段から境内には入れますが、本堂内にはこの時しか入れません。出迎えてくれたのはサルスベルの大木で、京都市指定保存樹となっています。
このサルスベルが咲く頃を見に来ようとしたこともありましたが、ここまでサルスベリだけでは・・・と行かなかったです。
入口から奥に進むと拝観受付の案内が出てました。本堂に直接上がるのではなく、庫裏が受付のようです。ただこの時は誰も居ないみたいで、先に写真を撮ることにしました。
先ずは、清涼院と書かれた大きな石碑です。清涼院という名と、ここの地名が伏見区深草大亀谷五郎太町といいます。よほどの歴史好きでないとヒンとこないでしょう・・・。
私も知らなかったです。地元の人も知らない人が殆どでしょう。徳川義直・・・初代尾張藩主ですよね。
徳川 義直(とくがわ よしなお)は、徳川家康の九男として1601年(慶長5年) に伏見城内の現・清涼院で生まれたとか(諸説有り)。生母がお亀の方で、地名の大亀谷の由来とか。また、義直の幼名を五郎太丸といい、現在の五郎太町は、義直の幼名に因んで付けられたといいます。御三家の一つである尾張藩の初代藩主で、尾張徳川家の始祖でもあります。
誰も居ない間に本堂を撮りました。堂内に住職(尼僧)さんが座ってるのが見えたので、朱印もOKだなぁ・・・と。
雲一つない絶好の天気となりました。まさしく秋晴れが広がっていますが、暑くて暑くて・・・坂を登り切ったあとで・・・もう汗だく。
散策をやめて中に入ることにしました。受付は庫裏の中にあるようです。庫裏の前には白い花が咲いてましたが・・・何だったのか分からずじまいです。
入ると受付があって、先ずは記帳します。座って書いたんですが、もう汗がしたたり落ちて。「駅から歩いてこられたんですか」「藤森駅から登ってきました」と。拝観料は500円でした。京都浄土宗寺院 特別大公開では志納が多いのですが、ここではお茶とお菓子が付いてです。朱印は受付に書き置きがありました。それに住職さんが日付を入れられました。(本音は、住職さんがいるなら書いて欲しかった)
堂内に入って、上着を脱いで汗を拭きお参りしました。なお、堂内は撮影禁止でした。ご本尊は、浄土宗寺院では当然の阿弥陀如来像が祀られていました。
堂内ではお寺の方より簡単な案内がありました。本当に簡単でした。いつも特別拝観でのガイドさんの話に慣れてるかでしょうね。
清涼院のこの場所は、伏見城内の北面、御花畑山荘と呼ばれる御殿があり、そこに徳川家康の側室・お亀の方も住まわれてたと伝わっています。伏見城が破却された旧御花畑山荘跡地にささやかな僧庵が建てられ、後に八幡にある正法寺(お亀の方の菩提寺)から道雲至心大徳が移り住み、庵を「福寿庵」と改めて当院の開山となりました。当院五代目に黄檗山萬福寺の清涼観了が入って来られ、以後、浄土宗から黄檗宗に改められ名も「清涼庵」に改められました。しばらくは黄檗僧の隠居所でしたが、九代目に瑞空天慶大徳が浄土宗より入られ、以降、浄土宗の尼僧が入られ現在まで続いています。近年、浄土宗総本山知恩院の末寺となっています。
本尊をお参りのあと、いよいよ寺宝を見せてもらいました。寺宝といっても2点だけです。徳川義直の木像(立ち姿で高さ30㎝ほど)とお亀の方の肖像画(掛け軸)です。
義直の立ち姿は珍しいとの事でした。滅多に見られないので、すごく近くに寄って見せてもらいました。もう一つのお亀の方ですが、ウィキペディアに画像がありました。清涼院蔵と書いてあったので、間違いないかと思います。
私は、この2点だけを見に来たと言っても過言ではないので、もう充分満足しました。次ぎに寺カフェに移動です。案内にしたがって書院に移動しました。
ここでも私だけでした。入る時、1人が出て行かれたので・・・ここも独占です。ここからは綺麗な庭を眺めながらお茶をいただきます。
お茶は普通の。お菓子は名古屋のだそうです。美味しかったです。さすがに義直のゆかりの寺ですね。尾張名古屋の銘菓が出てきました。
今日は後一箇所行く所がありますが、距離がかなり離れています。そのため汗が引いた頃に再び本堂に戻りました。そのとき、本堂西側に広がる庭園を撮りました。
肉眼では分かるんですが、ここからの眺望が綺麗なんです。京都市街地を見下ろすほど、ここは高台にあるんですね。木々と垣根が邪魔して写真には撮れなかったんです。
再び本堂に戻りました。ただ本堂内におられた住職さんが変な顔をされたのが気になってて・・・それは玄関まで来たら分かりました。
本堂前から境内を撮りました。本当は振り返って堂内を撮りたかったです。でも伏見城も広かったようですね。ここが城内だったということは・・・。
玄関まで戻ると受付の人が「アレレ」という顔をされて、「向かから出られなかったんですか」と。どうらや一方通行だったようで、でも拝観者が一人しかいなので関係なかったです。
どうらやこちらが書院の出口だったようです。見落としたかも知れないので・・・でも出口と書いてあったかなぁ・・・無かったように思いますが・・・。
こちらは多分井戸でしょう。確認した訳ではありませんが。白い芙蓉の花が綺麗でした。
ここで入れ違いに一人が入られました。その人も独占ですね。拝観期間が長いのと2年続けての拝観のためでしょう。私は、まだまだ境内を散策します。
境内右手奥にあったのが、秋葉山大権現を祀る権現堂です。お堂の前の石灯籠の形が変わってました。
そのまま奥に進むとお地蔵さんが。さすかにここまで誰も来ないでしょう・・・狭い境内・・・そうでもなかいか。
この手水舎には秋葉山の文字が読み取れます。
境内は広くないし、そんなに長居はできないので、早々にここをでることにしました。それでも30分はここにいたことになります。そして再びJR藤森駅まで戻ります。今度は下りのため楽できます。
JR藤森駅の近くまで来ると学生が目立ちます。その学生さんたちが早足で駅に向かわれるで、多分電車が来るんだろうと想像はできましたが、切符を買ってホームに行くとタッチの差で、出て行きました。
ここの時刻表は知らないので、皆さんの行動で読めたのに・・・仕方ないです。ベンチに座って次のを待ちました。
JR奈良線に乗って次が稲荷駅です。ここは外国人観光客で、いつも一杯です。もちろん沢山乗って来られました。私は次の東福寺駅で下車し、隣接している京阪電車に乗り換えです。ここもタッチの差で京阪電車が手で行きました。
京阪東福寺駅では、京阪特急を見送りました。ここは普通電車しか止まりません。これから秋の紅葉では、大阪の地下鉄以上に混み合います。それが嫌で・・・秋の東福寺に行ったことがありません。
これはら京阪電車で三条まで行きます。次が平日の2日しか拝観しない寺院で、拝観時間は15時まで。それで先を急ぎます。
【清涼院 玄関】
いろいろ考えた結果、厳選した寺院は、10月15日(木)と16日(金)の平日しか公開されない所と、その前に一箇所だけ行く計画をたてました。そして最初の寺院に行くためJR藤森駅に降り立ちました。
この駅はホームから上がると駅舎があって、ここから南へ下がります。
京都では南に行くことを下がると言いますが、実際はゆるやかに登って行くんです。天気が良すぎて暑すぎの気候のため登りは堪えました。しかし、正面に伏見桃山城が見えるんです。城好きには、この城は城ではありません。城型観光施設と呼ぶべきでしょう。脱線しました。いつものように地図を頭に入れて歩くこと約10分で着きました。
ここは徳川御三家筆頭尾張初代当主徳川義直ゆかりの清涼院です。昨年初めて公開されましたが、都合で行けなかったので、今年の公開リストに入ってたので是非行きたかった寺院の一つでした。
藤森駅から歩いて15分、ずっとゆるやかな登りでしたので、少々疲れました。Google Earthで地図は頭に入れるんですが、高低差が分からないので・・・。
普段から境内には入れますが、本堂内にはこの時しか入れません。出迎えてくれたのはサルスベルの大木で、京都市指定保存樹となっています。
このサルスベルが咲く頃を見に来ようとしたこともありましたが、ここまでサルスベリだけでは・・・と行かなかったです。
入口から奥に進むと拝観受付の案内が出てました。本堂に直接上がるのではなく、庫裏が受付のようです。ただこの時は誰も居ないみたいで、先に写真を撮ることにしました。
先ずは、清涼院と書かれた大きな石碑です。清涼院という名と、ここの地名が伏見区深草大亀谷五郎太町といいます。よほどの歴史好きでないとヒンとこないでしょう・・・。
私も知らなかったです。地元の人も知らない人が殆どでしょう。徳川義直・・・初代尾張藩主ですよね。
徳川 義直(とくがわ よしなお)は、徳川家康の九男として1601年(慶長5年) に伏見城内の現・清涼院で生まれたとか(諸説有り)。生母がお亀の方で、地名の大亀谷の由来とか。また、義直の幼名を五郎太丸といい、現在の五郎太町は、義直の幼名に因んで付けられたといいます。御三家の一つである尾張藩の初代藩主で、尾張徳川家の始祖でもあります。
誰も居ない間に本堂を撮りました。堂内に住職(尼僧)さんが座ってるのが見えたので、朱印もOKだなぁ・・・と。
雲一つない絶好の天気となりました。まさしく秋晴れが広がっていますが、暑くて暑くて・・・坂を登り切ったあとで・・・もう汗だく。
散策をやめて中に入ることにしました。受付は庫裏の中にあるようです。庫裏の前には白い花が咲いてましたが・・・何だったのか分からずじまいです。
入ると受付があって、先ずは記帳します。座って書いたんですが、もう汗がしたたり落ちて。「駅から歩いてこられたんですか」「藤森駅から登ってきました」と。拝観料は500円でした。京都浄土宗寺院 特別大公開では志納が多いのですが、ここではお茶とお菓子が付いてです。朱印は受付に書き置きがありました。それに住職さんが日付を入れられました。(本音は、住職さんがいるなら書いて欲しかった)
堂内に入って、上着を脱いで汗を拭きお参りしました。なお、堂内は撮影禁止でした。ご本尊は、浄土宗寺院では当然の阿弥陀如来像が祀られていました。
堂内ではお寺の方より簡単な案内がありました。本当に簡単でした。いつも特別拝観でのガイドさんの話に慣れてるかでしょうね。
清涼院のこの場所は、伏見城内の北面、御花畑山荘と呼ばれる御殿があり、そこに徳川家康の側室・お亀の方も住まわれてたと伝わっています。伏見城が破却された旧御花畑山荘跡地にささやかな僧庵が建てられ、後に八幡にある正法寺(お亀の方の菩提寺)から道雲至心大徳が移り住み、庵を「福寿庵」と改めて当院の開山となりました。当院五代目に黄檗山萬福寺の清涼観了が入って来られ、以後、浄土宗から黄檗宗に改められ名も「清涼庵」に改められました。しばらくは黄檗僧の隠居所でしたが、九代目に瑞空天慶大徳が浄土宗より入られ、以降、浄土宗の尼僧が入られ現在まで続いています。近年、浄土宗総本山知恩院の末寺となっています。
本尊をお参りのあと、いよいよ寺宝を見せてもらいました。寺宝といっても2点だけです。徳川義直の木像(立ち姿で高さ30㎝ほど)とお亀の方の肖像画(掛け軸)です。
義直の立ち姿は珍しいとの事でした。滅多に見られないので、すごく近くに寄って見せてもらいました。もう一つのお亀の方ですが、ウィキペディアに画像がありました。清涼院蔵と書いてあったので、間違いないかと思います。
私は、この2点だけを見に来たと言っても過言ではないので、もう充分満足しました。次ぎに寺カフェに移動です。案内にしたがって書院に移動しました。
ここでも私だけでした。入る時、1人が出て行かれたので・・・ここも独占です。ここからは綺麗な庭を眺めながらお茶をいただきます。
お茶は普通の。お菓子は名古屋のだそうです。美味しかったです。さすがに義直のゆかりの寺ですね。尾張名古屋の銘菓が出てきました。
今日は後一箇所行く所がありますが、距離がかなり離れています。そのため汗が引いた頃に再び本堂に戻りました。そのとき、本堂西側に広がる庭園を撮りました。
肉眼では分かるんですが、ここからの眺望が綺麗なんです。京都市街地を見下ろすほど、ここは高台にあるんですね。木々と垣根が邪魔して写真には撮れなかったんです。
再び本堂に戻りました。ただ本堂内におられた住職さんが変な顔をされたのが気になってて・・・それは玄関まで来たら分かりました。
本堂前から境内を撮りました。本当は振り返って堂内を撮りたかったです。でも伏見城も広かったようですね。ここが城内だったということは・・・。
玄関まで戻ると受付の人が「アレレ」という顔をされて、「向かから出られなかったんですか」と。どうらや一方通行だったようで、でも拝観者が一人しかいなので関係なかったです。
どうらやこちらが書院の出口だったようです。見落としたかも知れないので・・・でも出口と書いてあったかなぁ・・・無かったように思いますが・・・。
こちらは多分井戸でしょう。確認した訳ではありませんが。白い芙蓉の花が綺麗でした。
ここで入れ違いに一人が入られました。その人も独占ですね。拝観期間が長いのと2年続けての拝観のためでしょう。私は、まだまだ境内を散策します。
境内右手奥にあったのが、秋葉山大権現を祀る権現堂です。お堂の前の石灯籠の形が変わってました。
そのまま奥に進むとお地蔵さんが。さすかにここまで誰も来ないでしょう・・・狭い境内・・・そうでもなかいか。
この手水舎には秋葉山の文字が読み取れます。
境内は広くないし、そんなに長居はできないので、早々にここをでることにしました。それでも30分はここにいたことになります。そして再びJR藤森駅まで戻ります。今度は下りのため楽できます。
JR藤森駅の近くまで来ると学生が目立ちます。その学生さんたちが早足で駅に向かわれるで、多分電車が来るんだろうと想像はできましたが、切符を買ってホームに行くとタッチの差で、出て行きました。
ここの時刻表は知らないので、皆さんの行動で読めたのに・・・仕方ないです。ベンチに座って次のを待ちました。
JR奈良線に乗って次が稲荷駅です。ここは外国人観光客で、いつも一杯です。もちろん沢山乗って来られました。私は次の東福寺駅で下車し、隣接している京阪電車に乗り換えです。ここもタッチの差で京阪電車が手で行きました。
京阪東福寺駅では、京阪特急を見送りました。ここは普通電車しか止まりません。これから秋の紅葉では、大阪の地下鉄以上に混み合います。それが嫌で・・・秋の東福寺に行ったことがありません。
これはら京阪電車で三条まで行きます。次が平日の2日しか拝観しない寺院で、拝観時間は15時まで。それで先を急ぎます。
【清涼院 玄関】