京都浄土宗寺院 特別大公開 西雲院へ
京阪電車を三条で降りました。次の目的地を考えたら丸太町駅で下車した方が近いです。しかし、そこから徒歩の時間を考えると三条からタクシーでの移動を選択しました。
京阪三条駅ではタクシー乗り場があるので、確実に乗れるのと、あの金戒光明寺の坂というか階段がきついです。タクシーは15分足らずで金戒光明寺の山門前で降ろしてくれました。
今からあの三重塔まで階段で登ります。三重塔と言いましたが、その途中で左折するんですけど
。
ここで注目してほしいのは、階段を登り初めて直ぐにあるお地蔵さんです。アフロヘアーの仏像として最近注目されています。
正式には、五劫思惟阿弥陀仏像として祀られていますが、通常の阿弥陀仏と違い頭髪(螺髪・らほつ)がかぶさるような非常に大きな髪型が特徴です。
三重塔の手前に会津藩墓地の石標があるので、そこを左に進みます。暫く道なりに進むと西雲院の表門が見えて来ました。
こちらから西雲院に入ります。もう一つ門があったので、南門の方から入ったことになります。
写真では写らないようにしましが、ここは先程の清涼院に比べて、拝観者が多です。写真を撮るのも苦労しました
。そこで人が途切れた間に、先ずは本堂を撮りました。
どうやら本堂内には入れるみたいで、皆さん行き来されてるのが見えました。後程お参りします。
門を入った正面が入口のようで・・・普段は入れないので、もちろん上がります。そして・・・朱印もね。
入る前に左手に庫裏がありました。今回、平日しか公開されなくて・・・それにしても人が多い・・・です。
看板が見えてます。「池玉瀾展」と書いてあります。池玉瀾・・・知らないです。勉強不足で・・・
。
入口の幕をくぐった左手に朱印と書いてありましたが、出て来られません。女房の大声でもダメでした。ガツクリ
。それにしてもやたら狛犬が目立ちます。至る所に置いてあると言うか・・・何だろう
。
ここから靴を下駄箱に入れて上がりました。大きな立て屏風がお出迎えですが、その裏にも受付はありませんでした。自由にどうぞ、と言う感じです。
受付が無いので朱印の事も聞けません。仕方ないので、真っ先に本堂に向かいました。堂内の写真も自由に撮れましたし、誰も居なかったので、ゆっくりお参りできました。
内陣中央に本尊の阿弥陀如来立像が祀られてました。浄土宗ではお馴染みですよね。写真中の左手奥には法然上人像、写真下の右手奥には善導大師像などがありました。
西雲院は安土桃山時代、豊臣秀吉の朝鮮出兵の折に、かの地より連れて来られた宗巌(そうごん)によって、1616年(元和2年)に創建されたました。宗巌は、当初秀吉の妻・ねねに仕えますが、その後は家臣の姫に仕えるようになりました。しかし、その姫が17歳で亡くなると出家の道を選び、金戒光明寺で姫の墓参りをしていたのを、法主の了的上人に認められ、法然常人由来の「紫雲石」を賜り当院を創建しました。
ここまで来たので、せっかくなので客殿での「池玉瀾展」に向かいました。本堂を出て再び渡り廊下を通りますが、その前、綺麗に庫裏が見えました。
そして書院と客殿前には綺麗な枯山水庭園がありました。天気良すぎましたね、角度によって撮りにくいこと
。
ここが書院で、休憩できました。入った時は、ここに10名程度座られ談笑されてました。それで本堂に向かった次第です。
ここで休憩せずに、予備知識無しで客殿に入りました。ここでは「池玉瀾展」がされてて、客殿内には20数名に方が座って、話を聞いてます。どうやら檀家であった池玉瀾の絵画約30点を展示されてたようです。
池玉瀾(いけの ぎょくらん)(1728~1784)は女流画家で池大雅(いけの たいが)の妻。画を柳沢淇園や大雅に学び、歌を冷泉為村に学びました。大雅と同じように自由三昧な生活をし、奇行・逸話等が多い。1784年(天明4年)没。
もらった由緒書を呼んでも、分からないです
。客殿も大人数のため話を聞かずに出ました。ダメ元で庫裏の中を覗くと、朱印・・・されてて一人待ってました。
ここで朱印をいただきました。書いていただいて間に、少しだけ話を。「今日は拝観者多ですね」「昨日は少なかったんですが、今日は多くの人にお越しいただいてます」と。「普段は拝観さないんですか
」「観光寺院ではないので、やってません。しかし、お参りしたいと来られた拒めないです」と。書かれてる時に話かけてスイマセン
。
最後に、「紫雲石と玉瀾の墓参り、行かれましたか
」と言われたので、「まだです。行ってみます」と返答して、ここを出ました。場所は、この時聞きました。
朱印所を出て、ほぼ対面にある紫雲石が祀られているお堂を見学てす。
法然上人が、ここ金戒光明寺で、この石に腰をかけられました。美しい夕日の中、念仏を唱えられると、前の谷から紫雲がわき上がったと言います。その縁で浄土宗を開かれたとか。これは以前、金戒光明寺の特別鑑賞会で聞いたような・・・。当院の山は紫雲山。石は「紫雲石」と称されています。
次は池玉瀾墓参です。しかし、迷いました
。「門を出たら案内が出ています。」と聞いたので東門を散策しても案内はありません。もう一度朱印所で確認して南門と分かって、再度行きました。
南門から小さいですけど案内が出てました。お花が供えてあって、お焼香をしてお参りを済ませました。
最後に、もう一度境内に入って、本堂(上の写真)を撮り東門(下の写真)から出ました。
東門を出たら、会津藩墓地に出ることができます。何度か来てるので西雲院の前も来てました。それにしても次から次へと来られます。そして写真撮られてました
。
今日は、これで帰りました。今年の浄土宗寺院大公開は二箇所しか行けませんでしたが、来年以降も開催されることを望みます。ここから真如堂の境内を通って白川通りからバスにて帰路に着きました。
【西雲院 紫雲石】

京阪三条駅ではタクシー乗り場があるので、確実に乗れるのと、あの金戒光明寺の坂というか階段がきついです。タクシーは15分足らずで金戒光明寺の山門前で降ろしてくれました。
今からあの三重塔まで階段で登ります。三重塔と言いましたが、その途中で左折するんですけど

ここで注目してほしいのは、階段を登り初めて直ぐにあるお地蔵さんです。アフロヘアーの仏像として最近注目されています。
正式には、五劫思惟阿弥陀仏像として祀られていますが、通常の阿弥陀仏と違い頭髪(螺髪・らほつ)がかぶさるような非常に大きな髪型が特徴です。
三重塔の手前に会津藩墓地の石標があるので、そこを左に進みます。暫く道なりに進むと西雲院の表門が見えて来ました。
こちらから西雲院に入ります。もう一つ門があったので、南門の方から入ったことになります。
写真では写らないようにしましが、ここは先程の清涼院に比べて、拝観者が多です。写真を撮るのも苦労しました

どうやら本堂内には入れるみたいで、皆さん行き来されてるのが見えました。後程お参りします。
門を入った正面が入口のようで・・・普段は入れないので、もちろん上がります。そして・・・朱印もね。
入る前に左手に庫裏がありました。今回、平日しか公開されなくて・・・それにしても人が多い・・・です。
看板が見えてます。「池玉瀾展」と書いてあります。池玉瀾・・・知らないです。勉強不足で・・・

入口の幕をくぐった左手に朱印と書いてありましたが、出て来られません。女房の大声でもダメでした。ガツクリ


ここから靴を下駄箱に入れて上がりました。大きな立て屏風がお出迎えですが、その裏にも受付はありませんでした。自由にどうぞ、と言う感じです。
受付が無いので朱印の事も聞けません。仕方ないので、真っ先に本堂に向かいました。堂内の写真も自由に撮れましたし、誰も居なかったので、ゆっくりお参りできました。
内陣中央に本尊の阿弥陀如来立像が祀られてました。浄土宗ではお馴染みですよね。写真中の左手奥には法然上人像、写真下の右手奥には善導大師像などがありました。
西雲院は安土桃山時代、豊臣秀吉の朝鮮出兵の折に、かの地より連れて来られた宗巌(そうごん)によって、1616年(元和2年)に創建されたました。宗巌は、当初秀吉の妻・ねねに仕えますが、その後は家臣の姫に仕えるようになりました。しかし、その姫が17歳で亡くなると出家の道を選び、金戒光明寺で姫の墓参りをしていたのを、法主の了的上人に認められ、法然常人由来の「紫雲石」を賜り当院を創建しました。
ここまで来たので、せっかくなので客殿での「池玉瀾展」に向かいました。本堂を出て再び渡り廊下を通りますが、その前、綺麗に庫裏が見えました。
そして書院と客殿前には綺麗な枯山水庭園がありました。天気良すぎましたね、角度によって撮りにくいこと

ここが書院で、休憩できました。入った時は、ここに10名程度座られ談笑されてました。それで本堂に向かった次第です。
ここで休憩せずに、予備知識無しで客殿に入りました。ここでは「池玉瀾展」がされてて、客殿内には20数名に方が座って、話を聞いてます。どうやら檀家であった池玉瀾の絵画約30点を展示されてたようです。
池玉瀾(いけの ぎょくらん)(1728~1784)は女流画家で池大雅(いけの たいが)の妻。画を柳沢淇園や大雅に学び、歌を冷泉為村に学びました。大雅と同じように自由三昧な生活をし、奇行・逸話等が多い。1784年(天明4年)没。
もらった由緒書を呼んでも、分からないです

ここで朱印をいただきました。書いていただいて間に、少しだけ話を。「今日は拝観者多ですね」「昨日は少なかったんですが、今日は多くの人にお越しいただいてます」と。「普段は拝観さないんですか


最後に、「紫雲石と玉瀾の墓参り、行かれましたか

朱印所を出て、ほぼ対面にある紫雲石が祀られているお堂を見学てす。
法然上人が、ここ金戒光明寺で、この石に腰をかけられました。美しい夕日の中、念仏を唱えられると、前の谷から紫雲がわき上がったと言います。その縁で浄土宗を開かれたとか。これは以前、金戒光明寺の特別鑑賞会で聞いたような・・・。当院の山は紫雲山。石は「紫雲石」と称されています。
次は池玉瀾墓参です。しかし、迷いました

南門から小さいですけど案内が出てました。お花が供えてあって、お焼香をしてお参りを済ませました。
最後に、もう一度境内に入って、本堂(上の写真)を撮り東門(下の写真)から出ました。
東門を出たら、会津藩墓地に出ることができます。何度か来てるので西雲院の前も来てました。それにしても次から次へと来られます。そして写真撮られてました

今日は、これで帰りました。今年の浄土宗寺院大公開は二箇所しか行けませんでしたが、来年以降も開催されることを望みます。ここから真如堂の境内を通って白川通りからバスにて帰路に着きました。
【西雲院 紫雲石】