織田信長が作らせた庭園が残る真如院へ
世界文化遺産 西本願寺の近くに、織田信長が足利義昭のために造ったされる庭園が特別公開されたので、見て来ました。
毎年秋に、7日間だけ公開されます。今年は10月24日(土)~26日(月)、10月31日(土)~11月3日(火)の7日間でしたので、26日(月)会社の出張ついでに、ちょっこと寄って来た次第です。ただ家からカメラと朱印帳を持参してきたので確信犯ですけど。
バスを大宮五条で下車し、五条通りを東に進むと猪熊通りの信号があります。それを北に進めば左手に、真如院の表門が見えて来ます。
特に、看板や道案内も出ていません。それより前方を歩いてた外国人・・・多分夫婦だと思いますが、入って行かれました。京都の人でも知らない人が多いのに・・・。
前途の通り、表門に着きましたが、何も看板は出ていません。そんなに寺院を良く、地図を見ながら来られたと感心してましたが、撮影に困るので、中に入られまで待ちました。
目印は、唯一この張り紙でしょう。張り紙にあるように、ここの見所は庭園です。数年前から知ってましたが、中々都合がつかず行けずじまいでした。
門を入ると、正面に玄関があって、そこから入ります。見た限り小さい寺院のようで・・・空いてたら良いのになぁ・・・と思い入ると・・・。
拝観料は600円でした。そして朱印帳を出してお願いしたのと、絵葉書を購入しました。トータル1100円でした。何故、絵葉書を買ったのかと言うと・・・。
ここは拝関受付から先は撮影禁止なんです。もちろん知ってましたし、それが今まで来なかった最大の理由です。で、家から真如院だけ行くのは面倒だし、そこで・・・たまたま出掛ける予定が入ったので来て見ました。
朱印帳を受付で預けて、庭を穴が空くほどじっくり鑑賞しました。予想どおり小さな庭園で、動き廻ってみるような庭園ではありません。後ではテープレコーダーから庭の解説が延々と流れています。上の写真はポストカードからですが、この写真は良く紹介されますね。写真が撮れないからこれしかないのでしょう。
真如院は、日蓮宗大本山本圀寺の元塔頭で、1535年(天文4年)日映上人により創建されましたが、度々火災に見舞われます。1949年(昭和24年)に現在地に移転。1961年(昭和31年)昭和の名作庭家・重森三玲により、桃山時代の美しい庭園に復元されました。織田信長と足利義昭の関係ですが、室町幕府15代・足利義昭は、織田信長と共に上京を果たします。その時、この寺院が宿院とされました。日の出の勢いがあった信長でしたが、京の都の人心を把握するに容易なことではありません。そこで、義昭の歓心を買うには名庭を贈る必要があったと考えたのでしょう。ここに義昭が宿院する当院に庭園を造らせたというわけです。
うろこ石を並べた独特の枯山水庭園で、園内に瓜実灯篭、烏帽子石なんかありました。 .約5分ぐらい見てたでしょうか、真如院を出ました。ここは一度来れば充分です。写真は撮れませんでしたので、絵葉書を見て思い出すことにします。
庫裏の前に、小さな庭園がありましたが、特に見るべきものでもなかったです。入って出るまで10分弱てした。
再びバスに乗って社に戻りました。これくいなら寄り道をしたとは思われないでしょう。前から一度は行こうと思ってた庭園を見られて良かったです。でも・・・もう再訪はないですけど。
【真如院 庭園】
毎年秋に、7日間だけ公開されます。今年は10月24日(土)~26日(月)、10月31日(土)~11月3日(火)の7日間でしたので、26日(月)会社の出張ついでに、ちょっこと寄って来た次第です。ただ家からカメラと朱印帳を持参してきたので確信犯ですけど。
バスを大宮五条で下車し、五条通りを東に進むと猪熊通りの信号があります。それを北に進めば左手に、真如院の表門が見えて来ます。
特に、看板や道案内も出ていません。それより前方を歩いてた外国人・・・多分夫婦だと思いますが、入って行かれました。京都の人でも知らない人が多いのに・・・。
前途の通り、表門に着きましたが、何も看板は出ていません。そんなに寺院を良く、地図を見ながら来られたと感心してましたが、撮影に困るので、中に入られまで待ちました。
目印は、唯一この張り紙でしょう。張り紙にあるように、ここの見所は庭園です。数年前から知ってましたが、中々都合がつかず行けずじまいでした。
門を入ると、正面に玄関があって、そこから入ります。見た限り小さい寺院のようで・・・空いてたら良いのになぁ・・・と思い入ると・・・。
拝観料は600円でした。そして朱印帳を出してお願いしたのと、絵葉書を購入しました。トータル1100円でした。何故、絵葉書を買ったのかと言うと・・・。
ここは拝関受付から先は撮影禁止なんです。もちろん知ってましたし、それが今まで来なかった最大の理由です。で、家から真如院だけ行くのは面倒だし、そこで・・・たまたま出掛ける予定が入ったので来て見ました。
朱印帳を受付で預けて、庭を穴が空くほどじっくり鑑賞しました。予想どおり小さな庭園で、動き廻ってみるような庭園ではありません。後ではテープレコーダーから庭の解説が延々と流れています。上の写真はポストカードからですが、この写真は良く紹介されますね。写真が撮れないからこれしかないのでしょう。
真如院は、日蓮宗大本山本圀寺の元塔頭で、1535年(天文4年)日映上人により創建されましたが、度々火災に見舞われます。1949年(昭和24年)に現在地に移転。1961年(昭和31年)昭和の名作庭家・重森三玲により、桃山時代の美しい庭園に復元されました。織田信長と足利義昭の関係ですが、室町幕府15代・足利義昭は、織田信長と共に上京を果たします。その時、この寺院が宿院とされました。日の出の勢いがあった信長でしたが、京の都の人心を把握するに容易なことではありません。そこで、義昭の歓心を買うには名庭を贈る必要があったと考えたのでしょう。ここに義昭が宿院する当院に庭園を造らせたというわけです。
うろこ石を並べた独特の枯山水庭園で、園内に瓜実灯篭、烏帽子石なんかありました。 .約5分ぐらい見てたでしょうか、真如院を出ました。ここは一度来れば充分です。写真は撮れませんでしたので、絵葉書を見て思い出すことにします。
庫裏の前に、小さな庭園がありましたが、特に見るべきものでもなかったです。入って出るまで10分弱てした。
再びバスに乗って社に戻りました。これくいなら寄り道をしたとは思われないでしょう。前から一度は行こうと思ってた庭園を見られて良かったです。でも・・・もう再訪はないですけど。
【真如院 庭園】