細川ガラシャゆかりの勝龍寺城跡へ

長岡天満宮から30分たらずで、勝龍寺城(しょうりゅうじじょう)に着きました。現在は、1992年(平成4年)に本丸及び沼田丸跡が勝龍寺城公園として整備されています。

先ずは、北東隅櫓から見て行きます。小さな模擬櫓もあって、城らしく整備されてます。ただ堀は浅いし、石垣は低いし・・・です。

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それでは、東側の堀から南側の堀へ移動します。堀の中には錦鯉も泳いでいて、思わず写真を撮ったら逃げてしまいました

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南側には、資料館があるので、そちらから入城します。南側に行くと資料館が見えてて、遠目にも虎口らしきものがあるのが分かります。

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城内に入る前に、長岡京市が発掘調査で分かったことが、案内板に書いてありました。ゆっくり読んでから入ると・・・。

城の心臓部にあたる本丸は、東西約105㍍、南北70㍍で、その周囲には水を湛えた幅広い堀が造られて、その内側に高く土を盛り上げた土塁を巡らしてました。堀は深さ3㍍で、幅が15㍍を超え、土塁の裾には石垣が築かれていました。土塁は高さ4㍍で、四方を取り囲み、しかも、最も高く築いた西辺の土塁は、四角い形をした本丸の南側に張り出しました。これは南門から攻め入った敵をこの高い土塁上から攻撃する目的があったと考えられています。

案内板によると本丸跡が発掘調査され、復元されたようです。橋を渡ると左手にがあるので、これから城内に入ります。

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開園時間 4月~10月 9時00分~18時00分 11月~3月 9時00分~13時00分 入園料 無料

門を入ると正面に城型の資料館があるので、入ってみました。外観が天守閣の姿をしてなくて良かったです。個人的な意見ですが、観光型天守閣は好きではありません。

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1階は何も・・・無いです。ただトイレとパンフレットは置いてありました。そして・・・2階に上がります。

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2階は展示室となっていました。展示物も撮ろうとしましたが、撮影禁止と書いてありました。戦国歴史好きには、興味津津でしたね

2階の展示室を見学のあと、外に出ました。天気予報が良い方に外れ、絶好の好天気に恵まれ3連休の初日に来て良かったです。

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ここは、かつて本丸があった所。屋敷が建っていたんてしょうね。今は綺麗に整備された公園です。ただ、私を含めて3名ぐいでしょうか、空いています。

勝龍寺城は南北朝時代、京都へ進出する南朝方に備えて細川頼春が1339年(暦応2年)に築いたのが始まりだと言われています。この城は西国街道と久我畷(こがなわて)を同時に押さえる交通の要所に建ち、応仁の乱では、守護職・畠山 義就(はたけやまよしなり)の乙訓における拠点となりました。戦国時代になると織田信長から、この城を与えられた細川藤孝(幽斎)が1571年(元亀2年)が二重の堀と土塁を持つ立派な城に改修しました。1582年(天正10年)本能寺の変で織田信長が自刀。中国から大返しの羽柴秀吉と大山崎での合戦前に明智光秀は、この城に入り本陣を構えますが、戦に敗れこの城は落城します。

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こちらは北門跡だそうで、発掘調査によって北西隅から北出入口が見つかったようなことが書いてあります。

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同じく、北西付近にあった地蔵像群でした。案内が無かったので、これ以上は分かりませんが・・・。

次ぎに北東に移動すると、発掘調査で高さ4㍍の石垣で築かれた土塁が見つかり、この土塁に登る石段が造られてたのが分かりました。案内には、多聞櫓への階段とありました。

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北東の隅櫓から連なる土塁には2列の石垣が見つかっており、建物は長屋風の建物と考えられ多門櫓であると思われます。(案内板より)

最後にと言うか、これを城内探していのに・・・最後になってしまいました細川忠興・玉(ガラシャ)像です。

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1578年(天正6年)、明智光秀の娘、玉(後のガラシャ夫人)が、勝龍寺城の細川忠興に嫁ぎ、2年間、この城で幸福な新婚時代を過ごしました。しかし父・明智光秀が1582年(天正10年)本能寺の変を起こしたため、2年度丹後の味土野(みどの)に幽閉され、のちに心の平安をキリスト教に求め、洗礼を受けガラシャと呼ばれるようになりました。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いで、石田三成の人質になるのを拒み悲劇的な最期を遂げます。

この時間では、正面に太陽の光を浴びるので、強烈な逆光で撮るのに困りました。このあと、出るのは北門と決めていたので、そちらに向かいます。

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あの資料館を出て、すぐに右に行けば良かったてんすが、左に行ったので、最後となってしまいました

城内を横切ってると「ガラシャおもがげの水」と書かれたものが・・・ありました。

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「地下水100%の水道水」と書かれてましたが、地下水水道水どっちやねん。飲料水たそうですけど、この寒さでは。

城巡りでは、必ずと言ってもいいほど、井戸跡はあります。城内ではもっとも重要なものでしょう。その井戸跡が4ケ所発掘調査で見つかったそうで、その中の3ケ所は、細川藤孝の城改修時に造られたそうです。

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発掘調査でも、こんこんと水が湧き出てたそうです。特に覗き込んで見たわけではありませんが・・・。

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16歳で嫁いできたガラシャは同い年の忠興と、2年間この城内で暮らしたんですね。資料館では、NHK大河ドラマに「明智光秀」をとありましたが、実現したから面白いでしょうね。

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前途のとおり北門から出ました。久々の城巡りはやっぱり良かったです。城好きの虫がうずきました。今年も何カ所か回りたいです。

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北門を出て向に南東隅櫓が見えています。その前の道をガラシャ通りと言い、写真の左側に向かって歩き、JR「長岡京」駅に向かいます。

その途中には、勝龍寺城の土塁跡もあるので、見てから帰ります。

【勝龍寺城 細川忠興・玉(ガラシャ)像】



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