勝龍寺城の土塁が残る神足神社へ
勝龍寺城の北門から歩いて5分足らずで、目的地の神足神社(こうたりじんじゃ)に着きました。ここは神社ではなく勝龍寺城の土塁を見に来た訳ですが・・・。
大きな看板が出てるので、遠目からも直ぐに分かりました。着いて見て、土塁も直ぐに分かったんですが、ここで困ったことに。
この日は、3連休の初日ですので、ここで多くの子供達が遊んでいるんです。子供達を撮るわけに行かないので・・・それに退いてもらう訳にもいかないので、ここで神社をメインにすることに切り替えました。
子供達が遊んでいるのを横目に神社の正面まで行きました。そして正面から石造鳥居から境内に入りました。
手前の鳥居は、近年建てられたように綺麗でした。奥にも鳥居があって、奥に進むと・・・。
奥に進むと、左手に手水舎があって、その奥に見えているのが勝龍寺城の土塁跡です。
そのまま進むと、左手に社務所がありました。よかったら朱印をいただこうと思いましたが、呼んで誰も出てこられません。
ここまで来たら本殿の方で祝詞が聞こえてきて・・・そのために社務所が留守だったようで・・・由緒書きや朱印があったかどうか知りませんが、少し残念てした。
旧神足村(こうたりむら)の産土神(うぶすなかみ)。式内社(しきないしゃ)で「延喜式(えんぎしき)」にのる乙訓十九座の一つで「神足神社(こうだにのじんじゃ)」とみえる。また、文徳天皇(もんとくてんのう)の854年(斉衡元年)に国の官社にあげられている。祭神は「舎人親王(とねりしんのう)(天武天皇の子)」であるといわれている。当社には「桓武天皇の夢」として次のような伝説が残っている。《田村(神足村の旧名)の池に天から神が降り立ち、宮中を南から襲おうとした悪霊を防いでおられた夢を見られたと言う。天皇は目覚められ、田村にこの神を祭る社を建てさせ、太刀と絹を秘蔵させた。》以後、この社は「神足神社」と、田村は「神足村」と呼ばれるようになったと言われる。 (長岡京市観光協会)
それで、次ぎに拝殿でお参りします。拝殿前には古札が山積みに
。とんどで焼かれるのでしょうね、地元の方が来られてました。
祭神は、天神立命(天武天皇第四皇子・舎人親王(とねりしんのう))。そして・・・いろいろ調べると・・・面白い逸話を見つけました。
2011年(平成23年)女子サッカーワールドカップで、なでしこジャパンは優勝
しました。その時の守護神は、京都府長岡京市出身の海堀あゆみ選手です
。その海堀選手に「長岡京市スポーツ賞市民栄誉賞」が贈られ、決勝戦でのPKをスーパーセーブで止めた「神の足」になぞらえ神足神社のお守りなどが贈られたそうです。
奥に本殿があるようで、横から回ってみました。少しだけ見えているでしょう
。やっぱり地元の方がご祈祷受けられてました。
予定外の神社参拝でしたが、先を急ぐのでここを出ようとしたら、境内摂社を見つけました。埜神(のがみ)社と呼ばれるそうです。
祭神は、鹿屋野比売命(かやのひめのみこと)が祀られています。(表の看板から)
最後に、千度石を見つけました。お百度石は、どの神社でもみかけるですが、千ですか・・・初めて見ました。
ここから10分足らずのJR「長岡京」駅まで歩きました。私は以前の駅名「神足」駅の方が印象深いですが、1995年(平成7年)9月1日に名称変更となりました。
神足村に始まって、長岡町から長岡京市に変わり、人口は増えました。阪急では特急が止まるようになりましたが、JRは普通電車しか止まりません。
その普通電車に乗って、次へと向かいました。阪急に乗らずにJRに乗ったのは勝龍寺城から近かった訳ではありません
。
【神足神社 本殿】

大きな看板が出てるので、遠目からも直ぐに分かりました。着いて見て、土塁も直ぐに分かったんですが、ここで困ったことに。
この日は、3連休の初日ですので、ここで多くの子供達が遊んでいるんです。子供達を撮るわけに行かないので・・・それに退いてもらう訳にもいかないので、ここで神社をメインにすることに切り替えました。
子供達が遊んでいるのを横目に神社の正面まで行きました。そして正面から石造鳥居から境内に入りました。
手前の鳥居は、近年建てられたように綺麗でした。奥にも鳥居があって、奥に進むと・・・。
奥に進むと、左手に手水舎があって、その奥に見えているのが勝龍寺城の土塁跡です。
そのまま進むと、左手に社務所がありました。よかったら朱印をいただこうと思いましたが、呼んで誰も出てこられません。
ここまで来たら本殿の方で祝詞が聞こえてきて・・・そのために社務所が留守だったようで・・・由緒書きや朱印があったかどうか知りませんが、少し残念てした。
旧神足村(こうたりむら)の産土神(うぶすなかみ)。式内社(しきないしゃ)で「延喜式(えんぎしき)」にのる乙訓十九座の一つで「神足神社(こうだにのじんじゃ)」とみえる。また、文徳天皇(もんとくてんのう)の854年(斉衡元年)に国の官社にあげられている。祭神は「舎人親王(とねりしんのう)(天武天皇の子)」であるといわれている。当社には「桓武天皇の夢」として次のような伝説が残っている。《田村(神足村の旧名)の池に天から神が降り立ち、宮中を南から襲おうとした悪霊を防いでおられた夢を見られたと言う。天皇は目覚められ、田村にこの神を祭る社を建てさせ、太刀と絹を秘蔵させた。》以後、この社は「神足神社」と、田村は「神足村」と呼ばれるようになったと言われる。 (長岡京市観光協会)
それで、次ぎに拝殿でお参りします。拝殿前には古札が山積みに

祭神は、天神立命(天武天皇第四皇子・舎人親王(とねりしんのう))。そして・・・いろいろ調べると・・・面白い逸話を見つけました。
2011年(平成23年)女子サッカーワールドカップで、なでしこジャパンは優勝


奥に本殿があるようで、横から回ってみました。少しだけ見えているでしょう

予定外の神社参拝でしたが、先を急ぐのでここを出ようとしたら、境内摂社を見つけました。埜神(のがみ)社と呼ばれるそうです。
祭神は、鹿屋野比売命(かやのひめのみこと)が祀られています。(表の看板から)
最後に、千度石を見つけました。お百度石は、どの神社でもみかけるですが、千ですか・・・初めて見ました。
ここから10分足らずのJR「長岡京」駅まで歩きました。私は以前の駅名「神足」駅の方が印象深いですが、1995年(平成7年)9月1日に名称変更となりました。
神足村に始まって、長岡町から長岡京市に変わり、人口は増えました。阪急では特急が止まるようになりましたが、JRは普通電車しか止まりません。
その普通電車に乗って、次へと向かいました。阪急に乗らずにJRに乗ったのは勝龍寺城から近かった訳ではありません

【神足神社 本殿】