京都十六社朱印めぐり 吉祥院天満宮へ

JR「長岡京」駅を出た普通電車は、8分で「西大路」駅に着きました。「長岡京」駅で、進行方向に向かって後側の車両に乗ったところ、「西大路」駅では一番前が改札でした。どうてもいい話ですが、今後私が「西大路」駅を利用する場合のために書きとどめておきます

西大路駅から、西大路通りを南に下がると、西大路九条の交差点に出ます。その九条通りを西に入ると、西高瀬川が流れているので、その川沿いの道をひたすら南下すること12分で、次の目的地京都十六社朱印巡りの2番目、吉祥院天満宮に着きました。

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写真右手が保育園。左が児童公園になってて、子供達やお迎えの母親で一杯。賑やかな所かなぁと思ったら、ここだけでした

この吉祥院天満宮には,近くも通ったことがないので思い切り初めです。賑やかな園児の横をすり抜け境内に出て、いったん南の鳥居前に出ました。

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ここが、この吉祥院天満宮の入口でしょう。みたところ境内そんなに広くないです。それより合格祈願でしょうね、学生さんが多です

鳥居をくぐって、左手には手水所(吉祥水)があるので・・・毎回同じ事を書いているので、もう良いでしょう

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そして拝殿前に行き、人の空くのを待ちました。老夫婦や若者まで、拝殿前でお祈りされたました。それでは拝殿前に進みます。

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拝殿前には、幼少時の菅原道真公のお姿が・・・凄く可愛い・・・お姿です。そして奥に見えているのが本殿です。

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御祭神は、先程の長岡天満宮と同じ、菅原道真公で、御利益は、受験合格・開運招福、知恵と能力開発の神様です。

吉祥院天満宮は、菅原道真公がお亡くなれて31年目に当たる平安時代の934年(承平4年)に菅原家ゆかりの道真公誕生の地に朱雀天皇の勅命により創建された最初の天満宮です。これより先、平安遷都とともに恒武天皇に随行された道真公の祖父清公卿は遣唐使の命を受けて唐へ向かう途中の海上ににて暴風に遭遇、船が転覆しかけた時、吉祥天女に平安を祈ったところ、天女が現れ風雨が静まりました。その吉祥天女の霊験を得て入唐、無事任務を終えて帰国後、自邸内にお堂を建て吉祥天女の尊像を祀られたました。これが吉祥院の由来で地名の起源となっています。境内には道真公の臍の緒を埋めたと伝えられる「胞衣(えな)塚」をはじめ、少年時代に習字に使用したという「硯の水」や顔を写したと伝える「鑑(かがみ)の井」などがあります。

次ぎに、社務所で十六社の朱印とMy朱印帳に御朱印をいただきました。そして由緒書きを尋ねたら、朱印に付けてもらいました。(確認したわけではありませんが、由緒書きだなら有料かも)

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御守りやお札は、当然ありましたが、ここではキテイちゃんの御守りもあって、学生さんが多く来られるからでしょうか

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神馬の横にはキティちゃんが・・・このキティちゃん・・・ずっとしゃべってるんですが・・・何をしゃべってたか・・・忘れました

せっかくここまで来たので、境内を散策です。先ずは、菅原道真公が少年時代に習字に使用したという「硯之水」です。

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この神社から東へ0.5㎞の所に碑が残っていますが、近年新たに境内に井戸を掘り、硯型の碑を建てられたそうです。

次が、菅原道真公の臍の緒を埋めたと伝えられる「胞衣(えな)」です。ここは以前テレビで紹介されたので、覚えていました。

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845年(承和12年)6月15日にここでお生まれになったと言うことでしょう。初宮参りには吉祥院天満宮で祈祷のあと、赤ちゃんの鼻をつまみ泣かせ発声の始めとする・・・この塚の小石を「お食い初め石」として授与されます。

最後に、吉祥院(吉祥天女社)でお参りです。由緒は上記を参照してください。正直、ここに来るまで、ここは知らなかったことでした。

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堂内を覗こうとしましたが、階段を上がれないので見えません。ここまで来たのに、少し残念でした。社務所では、ここの朱印もいただけます。

冬の風景にふさわしく、葉ボタンの展示もありました。見にくいですが、真ん中には猿の置物もありました。ここにはバスの便が不便で(1時間に1本)車で来られる人が殆どでしょう。

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次の移動を考え、ネットでタクシーを呼びました。タクシーが来るまで10分ぐらいかかるので、上記のような写真を撮ってしまた。すると予定より早くタクシーが着いて、早々と乗り込んみ次へと向かいました。

【吉祥院天満宮 拝殿】



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