京都十六社朱印めぐり 六孫王神社へ

吉祥院天満宮からタクシーで移動してやって来たのは、桜の名所で、京都十六社朱印めぐり六孫王神社です。約10分で着きましたが、歩いたら30分はかかったかと思うので当初の予定どおりです。

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壬生川の八条交差点で止めてもらいました。桜の時期には何度も足を運んでいますが、この時期には初めての訪問です。

境内には東側の鳥居から入りました。桜の時期なら、ここから満開の桜を楽しめます。桜は、2014年4月2015年4月に来ました。

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最初の鳥居をくぐると、次ぎにまた、鳥居があり、その正面が本殿です。ここは何度か来てるので、お参りのあと朱印をいただきます。

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それに、境内を見た所空いてます。3組ほとでしょうか参拝に来られてました。ここは桜の時に何度か来てるので、あっさりの筈がやっぱり写真撮ってしまいます。

六孫王(ろくそんのう)は、清和天皇の六男を父として生まれ、経基(つねもと)と名づけられたが、皇室では六男の六と天皇の孫ということで六孫王と呼れ、15歳にて元服、源の姓を賜わり、源経基(みなもとのつねもと)と名乗りました。王は現在の社地に住居を構え、臨終に臨み「霊魂滅するとも龍(神)となり西八条の池に住みて子孫の繁栄を祈るゆえにこの地に葬れ」と遺言。王の長子満仲(みつなか)は遺骸を当地に埋葬しその前に社殿を築いたのが、六孫王神社の始まりです。

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二の鳥居を過ぎると、ちょうど大阪方面に向かう新幹線が通過していきました。思わず写真に撮りましたが、さっぱり分からないですね

新幹線に見とれて(鉄道も好きなんです)しまいましが、先に摂末社(せつまつしゃ)の誕生水弁財天社をお参りです。

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ここには神龍池と言われる池があって、その先に太鼓橋があります。清和源氏の祖源経基(みなもとのつねもと)とその息子・満仲誕生のおり井戸上に琵琶湖の竹生島より弁財天を勧請し、安産を祈願し産湯に使ったと云います。(6月13日弁財天御開帳祭)

6月13日・・・今年は月曜日です。昼間に行ってようかなぁ・・・。その右隣には、睦弥稲荷神社がありました。

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初めて奥まで入ってみました。どうしても桜の時期では、こまかく観察する時間が取れないからです

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神竜池に架かる太鼓橋の麓に、祭神不明の末社を見づけました。祠にも何も書いて無いので・・・。

少し脱線しましたが、ここでお参りです。京都市指定文化財の唐門から先は行けませんので、その前で二礼二拍手一礼をしてお祈りしました。

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桜の時にもお参りしましたが、その時は手前が拝殿、奥が本殿だと思ってましたが、何だか違和感があって・・・今日調べてて解決しました。

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唐門の奥に見えるのが拝殿です。その奥が本殿だそうですが、ここからは屋根すら見えません。せめて拝殿前まで行きたいですね。

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その唐門の右隣には、神馬厩舎が新築されてました。厩舎内には、神馬(白馬)もいましたよ。ついでにお賽銭しておきました

ここでは順序は逆ですけど、手水舎を見つけて撮りました。それより朱印です。社務所は・・・です。

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社務所の前に手水舎・・・があったんです。あの桜の時期でも社務所には人が居ませんが、今日は座っておられます。

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ここで、十六社の朱印とMy朱印帳に御朱印をいただきました。これて3社目です。先は長いです。朱印帳には、由緒書き(カラー)も付いてきました・・・と言うより、聞いたからでしょうけど、いただけました。

ここから後、何カ所か回る選択もありましたけど、今晩出掛ける予定があったので、ここから京都駅まで歩き、駅前の吉野家で牛丼を食べて帰りました。

【六孫王神社 本殿】



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