第50回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開 相国寺 長得院へ

今年も1月9日(土)から3月18日(金)まで第50回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開が始まりました。「秘められた京の美をたずねて」の副題で、楽しみにしてたイベントです。

事前に京都市文化観光資源保護財団から招待状を夫婦で4枚(四箇所)いただいていますが、今回は私だけで回る予定にしています。そして早速、地下鉄を乗り継いで「今出川」駅までやってきました。もう何回も行ってる相国寺の境内を進み、本日訪問する寺院の場所を確認(いつもなら事前に地図を確認しますが、行き当たりばったりです)。

最初の訪問は、相国寺塔頭 長得院です。過去にも公開されたことがなく、楽しみにしてました寺院で、山門前にはお馴染みの看板が出てて安心して入れます。

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広い相国寺の境内の北西角にあたり、普段ここまで来ないですね。それに人も歩いてないので、着くまで心配でした

山門を入って左手に臨時の拝観受付所があって、そこで招待状を差し出すと「スタンプラリー」の用紙をいただきました。

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毎回楽しみの一つです。3箇所集めて「ちょっこと一服」・・・楽しみですが・・・毎回同じ店で・・・飽きました

そして今回のガイドブックを200円で買い、それを持って奥に進むと鎮守社があって、正面には臨済宗の寺院らしく庫裏が正面に見えました。

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それと右手には綺麗に刈り込まれた松があって、その下には長得院と書かれた石標を見つけました。多分・・・最近置かれたのでしょうね。綺麗な石標です。

庫裏を右手に見ながら左に曲がると正面に唐門があって、そこでガイドさんが靴入れの袋を持って待ってくれています。

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そこで袋を受け取って、靴を脱ぎますが、その前にたまたま方丈に人が居なかったので、先に撮りました。

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靴を脱いで上がると、前の方の案内をされてて、終わるのを待ちました。室内は撮影禁止でしたので、ゆっくり室内を見ながら待つこと・・・数分・・・やっと終わったので、ガイドさんに次の案内をお願いすると、聞き手は私だけでした

長得院(ちょうとくいん)は、相国寺に15ある塔頭の一つです。相国寺第19世住侍を勤めた高僧である鄂隠慧奯 (がくいんえかつ)によって創建。当初は大幢院(だいどういん)と呼ばれましたが、室町幕府5代将軍・足利義量(よしかず)の菩提寺となり、その法号をとって、「長得院」と名付けられました。その時1425年(応永32年)頃といわれてて、約600年も前のことです。

次ぎに襖絵の案内ですが、前途のとおり撮影できません。それで看板の写真を撮りました。この長得院の見所は、どうらや襖絵のようです。

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長得院は創建以来、場所は移動してませんが、建物は度々火災に見舞われたようです。最後の火災は、天明の大火・・・1788年(天明8年)で焼失し、1834年(天保5年)に再建されました。方丈の襖絵もその頃に描かれたものです。描いたのは、その時代に活躍していた岸派の岸連山(きしれんざん)の筆による水墨障壁画です。方丈向かって左から、礼(らい)の間は「水辺虎図」、中央の室中の間は「山水図」、そして右手の檀那の間は「波涛鷲図(はとうわしず)」で、近年修復されました。

なお、中央の間には、ご本尊が祀られていますが、この特別公開では、襖絵をメインに見てももらうため閉められてました。

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上を見上げると朝鮮通信使による「長得院」の扁額が架かっていました。何故・・・朝鮮通信使なの

次ぎに庭の案内です。も創建以来変わらぬ風景だと言われています。ただ正面から強い日差しを受けて、眩しいことしきりです。

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相国寺の北西に位置するため、南庭を見ると高い建物が見えないので、創建当時と変わらぬ風景を見ることができます。3段の石垣は奥行きをみせるためか、また、墓地を隠すためか詳細はわかりません。一面苔を敷き詰めた庭は素朴さがありました。

案内は、これだけでした。あと方丈を一周して元の唐門前に出て来て終わりです。せっかく来たので一周だけします。

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特に作庭名も分かりませんが、素朴感一杯です。それでゆっくり見させてもらいました。しかし、これだけで・・・何だか物足りなさはありましたね。

ここには12分程度で出ました。残念ながら朱印も無かったし、ただ案内も一人で独占でしたし、何より空いてました

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長得院を出て、相国寺境内の南側を見ています。この次ぎも相国寺塔頭寺院にお邪魔します。寒い冬の日、境内を歩いてる人も少ないです。

ただ次の寺院は、人が多かったです。このギャップは何だろうと思ってしまいました。

【相国寺塔頭 長得院 方丈】



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