京都十六社朱印めぐり 御香宮へ
1月16日(土)は、先週に引き続き京都十六社朱印巡りです。この日のスタートは、京都市伏見区にある御香宮(ごこうのみや)です。多分、我が家から一番遠方だと思うので(調べると長岡天満宮より約3㎞遠いです)この日に一番目に選びました。
御香宮(ごこうのみや)は通称らしく、正式には御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)と言います。冷え込んだ寒い朝、JRと近鉄を乗り継いで「桃山御陵前」駅までやって来ました。今日は、6箇所を回るのをノルマにしているので、この先頑張ります。
ここには初めて来たので、桃山御陵駅も初めて降りました。そして駅を降りると東に少し登っていますが、そちらを見ると朱塗りの鳥居を目にします。
大手筋通りに巨大な鳥居があるのが驚きですが、おかげで迷わずに行けました。この辺りから出勤されてる会社の同僚に取材済みでしたけど。
そのまま東に進むこと5分ぐらいで、重厚な表門まで来ました。実はこの表門に興味があって・・・重要文化財に指定された・・・その訳とは・・・。
伏見城の大手門を1622年(元和8年)年、水戸藩初代藩主徳川頼房によって寄進されました。装飾品での注目は、正面の蟇股(かえるまた)で、4箇所に中国二十四孝のうち 向かって右から楊香、郭巨、唐夫人、孟宗の物語順に並んでいるとか。
蟇股(かえるまた)は、下の写真に写してます(この時は何だか分かりませんでした。取りあえず撮っておこうと)。この表門をくぐると石造鳥居があってくぐります。
ここから北に向かって一直線に石畳の参道を歩いて行きます。見た所空いてますが、誰も・・・じゃないです。
少し歩くと手水舎がありました。じつは前を歩く母親と子供さん2人が歩いてました。すると・・・手と口を清めてました。
偉いなぁ・・・と感心しながら前に進むと拝殿が見えてきました。ちなみに、ここには初めて来ました。ですから何があるのかさっぱり知りません。
拝殿の上は、極彩色の唐破風彫刻が見られました。また、中心には徳川の「三つ葉葵」、その横には「菊の御紋」、さらに豊臣の「桐の御紋」がありました。
余談ですが、ここには多くの境内社かあって、その中には豊国社と東照宮があるんですね、豊臣と徳川が共存しているなんて珍しいです。これだけでも絶対、再訪します。
拝殿から奥に進み本殿前に出ます。そこでお参りしましたし、皆さんされてました。朝の9時前でしたが、ひっきりなしに来られので・・・待ちました。
平成25年度の春季京都非公開文化財特別公開で本殿が特別公開されましたが、この特別公開は期間が短いので行けませんでした。今では行けば良かったと・・・少し後悔。
祭神は、神功皇后・仲哀天皇・応神天皇他6柱。初めは、御諸(もみろ)神社と称しましたが、862年(貞観4年)境内に湧き出した清泉から四方に芳しい香りが漂い、その水が万病に効いた同社の名の由来で、清和天皇よりこの名を賜ったとか。安産・子育ての神として広く尊崇され、親しまれています。同社の「御香水」は伏見七名水の一つで、日本名水百選にも選ばれており、徳川義直・頼信・頼房らが産湯に使ったとも伝わっています。
次ぎに、社務所で京都十六社の朱印とMy朱印帳に朱印をいただきました。ここでも多くの人が京都十六社の袋を持って社務所に来られてました。
朱印をいただくときに、由緒書きを尋ねるとカラー版のをいただきました。これで京都十六社4箇所目です。
近年修復され極彩色が蘇った本殿を見ようとしましたが、屋根しか・・・見えません。本殿左側には御香水がありました。(本殿狙いがたまたま写ってました)
明治期に枯れたとか。それで1982年(昭和57年)に井戸を掘り下げ復元。知ってたら飲んで見たかったです。これでも再訪の必要ありです。
本殿右側には「御香水」と書かれた石標があって、私は、こちらと勘違いしたんです。前には井戸もあるので・・・飲めないだなぁ・・・と。
いつもならくまなく散策しますが、今日はあっさりと(それが、後程・・・大後悔するハメに)。上か絵馬堂で、下が能舞台です。
能楽堂は修復中かどうか知りませんが、荒れてましたね。ここで能を演じられるんでしょうか疑問に思いました。
また、社務所の前には京都市登録天然記念物の御香宮のソテツがありました。
1605年(慶長10年)本殿建築時か、それほど下らない時期に植樹されたと思われる古木です。西株は雌株、東株は雄株たどか。
いつもなら境内社をなるべく見て回るですが、どうしても今日の予定が頭にあって、次へと向かうことにしました。ただ一つだけ、桃山天満宮には寄りました。
境内社にしては立派だなぁと思ってたら、1969年(昭和44年)に近鉄御陵駅前から御香宮境内に遷されようです。こちらも再訪時に詳しく見てみます。
こちらは、表門近くにあった大杉大明神で、境内社はこれぐらいしか見なかったです。ようするに本殿より北側を散策しそこないました。
ここより東側には伏見城が多分、聳えてました。幻の名城ですが、その名残が御香宮にもありました。旧伏見城の残石が置いてありました。
伏見も散策する必要がありますね。ここから東には桃山御陵や乃木神社、南には伏見の酒蔵巡りなんかもあるしね。そう言えば駅を降りると寺田屋の矢印が出てました。
ここには15分もいませんでした。広い境内では短すぎます。再び表門を出て、今度は近鉄じゃなく京阪「桃山」駅を目指します。
近鉄なら徒歩3分。京阪なら徒歩5分ぐらいでしょう。京阪電車を待ってると、大失敗に気が付いて・・・御香宮の庭園・・・小堀遠州の庭を見損ねてたことに気がつきました。昨日までは行くつもりにしてたのに・・・失念してました。200円を納めると見られたのに・・・前途のとおり再訪します。いつか分かりませんが。ここから普通電車に乗って、次と向かいました。
【御香宮 本殿】
御香宮(ごこうのみや)は通称らしく、正式には御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)と言います。冷え込んだ寒い朝、JRと近鉄を乗り継いで「桃山御陵前」駅までやって来ました。今日は、6箇所を回るのをノルマにしているので、この先頑張ります。
ここには初めて来たので、桃山御陵駅も初めて降りました。そして駅を降りると東に少し登っていますが、そちらを見ると朱塗りの鳥居を目にします。
大手筋通りに巨大な鳥居があるのが驚きですが、おかげで迷わずに行けました。この辺りから出勤されてる会社の同僚に取材済みでしたけど。
そのまま東に進むこと5分ぐらいで、重厚な表門まで来ました。実はこの表門に興味があって・・・重要文化財に指定された・・・その訳とは・・・。
伏見城の大手門を1622年(元和8年)年、水戸藩初代藩主徳川頼房によって寄進されました。装飾品での注目は、正面の蟇股(かえるまた)で、4箇所に中国二十四孝のうち 向かって右から楊香、郭巨、唐夫人、孟宗の物語順に並んでいるとか。
蟇股(かえるまた)は、下の写真に写してます(この時は何だか分かりませんでした。取りあえず撮っておこうと)。この表門をくぐると石造鳥居があってくぐります。
ここから北に向かって一直線に石畳の参道を歩いて行きます。見た所空いてますが、誰も・・・じゃないです。
少し歩くと手水舎がありました。じつは前を歩く母親と子供さん2人が歩いてました。すると・・・手と口を清めてました。
偉いなぁ・・・と感心しながら前に進むと拝殿が見えてきました。ちなみに、ここには初めて来ました。ですから何があるのかさっぱり知りません。
拝殿の上は、極彩色の唐破風彫刻が見られました。また、中心には徳川の「三つ葉葵」、その横には「菊の御紋」、さらに豊臣の「桐の御紋」がありました。
余談ですが、ここには多くの境内社かあって、その中には豊国社と東照宮があるんですね、豊臣と徳川が共存しているなんて珍しいです。これだけでも絶対、再訪します。
拝殿から奥に進み本殿前に出ます。そこでお参りしましたし、皆さんされてました。朝の9時前でしたが、ひっきりなしに来られので・・・待ちました。
平成25年度の春季京都非公開文化財特別公開で本殿が特別公開されましたが、この特別公開は期間が短いので行けませんでした。今では行けば良かったと・・・少し後悔。
祭神は、神功皇后・仲哀天皇・応神天皇他6柱。初めは、御諸(もみろ)神社と称しましたが、862年(貞観4年)境内に湧き出した清泉から四方に芳しい香りが漂い、その水が万病に効いた同社の名の由来で、清和天皇よりこの名を賜ったとか。安産・子育ての神として広く尊崇され、親しまれています。同社の「御香水」は伏見七名水の一つで、日本名水百選にも選ばれており、徳川義直・頼信・頼房らが産湯に使ったとも伝わっています。
次ぎに、社務所で京都十六社の朱印とMy朱印帳に朱印をいただきました。ここでも多くの人が京都十六社の袋を持って社務所に来られてました。
朱印をいただくときに、由緒書きを尋ねるとカラー版のをいただきました。これで京都十六社4箇所目です。
近年修復され極彩色が蘇った本殿を見ようとしましたが、屋根しか・・・見えません。本殿左側には御香水がありました。(本殿狙いがたまたま写ってました)
明治期に枯れたとか。それで1982年(昭和57年)に井戸を掘り下げ復元。知ってたら飲んで見たかったです。これでも再訪の必要ありです。
本殿右側には「御香水」と書かれた石標があって、私は、こちらと勘違いしたんです。前には井戸もあるので・・・飲めないだなぁ・・・と。
いつもならくまなく散策しますが、今日はあっさりと(それが、後程・・・大後悔するハメに)。上か絵馬堂で、下が能舞台です。
能楽堂は修復中かどうか知りませんが、荒れてましたね。ここで能を演じられるんでしょうか疑問に思いました。
また、社務所の前には京都市登録天然記念物の御香宮のソテツがありました。
1605年(慶長10年)本殿建築時か、それほど下らない時期に植樹されたと思われる古木です。西株は雌株、東株は雄株たどか。
いつもなら境内社をなるべく見て回るですが、どうしても今日の予定が頭にあって、次へと向かうことにしました。ただ一つだけ、桃山天満宮には寄りました。
境内社にしては立派だなぁと思ってたら、1969年(昭和44年)に近鉄御陵駅前から御香宮境内に遷されようです。こちらも再訪時に詳しく見てみます。
こちらは、表門近くにあった大杉大明神で、境内社はこれぐらいしか見なかったです。ようするに本殿より北側を散策しそこないました。
ここより東側には伏見城が多分、聳えてました。幻の名城ですが、その名残が御香宮にもありました。旧伏見城の残石が置いてありました。
伏見も散策する必要がありますね。ここから東には桃山御陵や乃木神社、南には伏見の酒蔵巡りなんかもあるしね。そう言えば駅を降りると寺田屋の矢印が出てました。
ここには15分もいませんでした。広い境内では短すぎます。再び表門を出て、今度は近鉄じゃなく京阪「桃山」駅を目指します。
近鉄なら徒歩3分。京阪なら徒歩5分ぐらいでしょう。京阪電車を待ってると、大失敗に気が付いて・・・御香宮の庭園・・・小堀遠州の庭を見損ねてたことに気がつきました。昨日までは行くつもりにしてたのに・・・失念してました。200円を納めると見られたのに・・・前途のとおり再訪します。いつか分かりませんが。ここから普通電車に乗って、次と向かいました。
【御香宮 本殿】