臨済宗妙心寺派 法輪寺(達磨寺)へ
臨済宗妙心寺派 法輪寺は、通称:達磨寺で広く知られています。JR円町駅のほど近く、西大路通りを北上し、下立売通を東に入り、天神川を渡って直ぐの南側にあって、訪問日は、12月12日(土)でした。
法輪寺と聞けば、私は嵐山の法輪寺を思い浮かべます。ここ数年、通院している病院からの帰り道に、たまたま見つけました。そして調べると紅葉が綺麗そうなので、12月の通院日に行くことに決めてたんですが、例年なら散ってしまっているのが普通です。
この日の病院は空いてたので、思ってたらより早く終わりました。そのため表門に着いたのは9時30分頃、こんな所(失礼)、誰も来ないだろうと思いきや、タクシーで来られてた先客がいました。まったくの予想外です。
遠くから門の前にタクシーが止まってるのが見えていましかたが、まさか・・・まさか・・・でした。まぁ・・・庭さえ綺麗に撮れたら良いいや。
この週は前途したとおり、二条城のアクアリウム城を見に行きました。その時が冷たい雨降りで・・・まだ・・・この時は大丈夫だったんてすが・・・この夜から寝込むことになるとは・・・予想もできませんでした。
表門を入って右手に拝観受付がありました。普段から常に人が居られるか・・・多分・・・居ないでしょうね。
たまたま、先客居たので、受付におられました。そこで拝観料300円を納め、由緒書きをいただき、「朱印はありますか」と尋ねると「あります」と。そして朱印代300円も納めると・・・「少し待って下さい。案内します」と言われました。
上記写真の所で待っているのと、受付から出て来られ要するに拝観の手順について説明がありました。特別拝観時みたいに、ついてて寺宝や歴史について説明されるのかと勘違いしてしまうところでした。そして先客の位置を確認して、真っ先に向かった先は、本堂です。
12月12日とは思えないほど、まだまだ綺麗でした。予約していた通院日を変更することはできないので、この日まで持ってくれて感謝です。
本堂に来てからいったん下に降りて撮影しました。この庭は「十牛の庭」と呼ばれています。案内では、禅の悟りの段階を牛に例えてあるそうです。
作庭は、1978年(昭和53年)に㈱植音の奥田龍司氏によって造られました。あの建仁寺(潮音庭)を作庭された北山安夫氏と並ぶ現代の庭司(にわし)だそうです。
本堂に上がって、縁側を見ると何やら・・・居る。犬嫌いの私には大型犬に見えて、腰を抜かしそうになりましたが、直ぐに置物と分かって・・・安心。
よくよく見ると銅製の牛が置いてありました。「十牛の庭」に因んで置いてあるのでしょうね。それにしてもユニークですね、縁側に牛の置物なんて・・・。
その牛の置物の後にあったのが、手水鉢でした。自然石をくり抜いたように思いましたが、私の感想です。
ここで、先客の方が本堂に来られ、綺麗に紅葉している庭を見て喜んでました。ただ峠は越えてるんてすけど。その間に本堂の仏間に入ってお参りをしました。
本堂中央には「転法輪」と書かれた扁額があって、琉球中山国円覚寺世代の月羅山和尚の筆だそうです。
本堂内部は、禅宗寺院らしい様式(仏間を挟んで2部屋あったりして・・・)でした。襖絵は3部屋とも同じで(達磨大師が描かれてたんでしょう)・・・上記写真一枚だけにしました。それと最初に写真撮影について尋ねると「何処を撮ってもらっても結構です」と、了解は得ています。
次ぎに本堂(方丈)東側から下に降ります。そこには十三重石塔があって、真っ赤なモミジが綺麗でした。
その十三重石塔には、「少林寺拳法根本道場発祥地」と書かれた石標を見つけました。達磨大師と少林寺・・・何か関係あるのかなぁ・・・。
そして奥にあるのが鐘楼ですが、ここもよくよく見れば・・・少し「ドッキり」します。屋根に人の顔が・・・。
鬼瓦では普通ですが、ここは・・・どうも達磨大師のような・・・気がしますが・・・真意は分かりませんけど。
ここで再び本堂に上がって出ました。次は衆聖堂に入ります。拝観受付を済ませると衆聖堂横に下駄箱があって、そこに靴を入れてスリッパに履き替えます。そして、ここから本堂に行くか衆聖堂に行くかは自由でした。
1718年(享保3年)の創建で、1983年(昭和53年)に3年掛け解体修理されました。臨済宗妙心寺派に属し、通称、達磨寺の名で親しまれています。1727年(享保12年)大愚和尚を開山とし、開基荒木宗禎に帰依を受けた万海和尚が創立しました。
本当は本堂から外に出ることなく衆聖堂に入れますが、先ずは外観です。命名は、旧妙心寺管長、山田無文老師だそうです。
1階には十六羅漢像が取り囲んでいる中、達磨が所狭しと置いてあります。ただ達磨の数では次ぎに行く、達磨堂に及びませんが。
1階から次ぎに2階に上がります。最初の案内でキネマ殿とも言われ、日本の映画関係者(全てだそうです)の位牌があるそうで・・・衆聖堂の裏側の階段を上がると・・・。
眺望を期待しましたが・・・西山が少し見える程度でした。住宅街にあるで、仕方ないですね。
お堂に入ると、位牌が廻りを取り囲んでて、中央には仏涅槃木像に目が行きます。桃山時代の作だとか。触っていいのかどうか分からなかったので・・・お参りだけで下に降りました。
最後に、この寺のメインでしょうね達磨堂です。(拝観料を納めると順番は自由です。私はたまたま最後になっただけです)
通称が達磨寺と言われる由縁でしょうね。堂内は大小の達磨で一杯です。案内によると、三国一を称する起上り達磨をはじめ、諸願成就に奉納された達磨およそ八千余が祀られてるそうです。
最初、ここに来た時、先客は達磨堂に入られたので、私は本堂を先にした訳です。ここではお堂の前まで行けるのでお参りを済ませ天井を見上げると・・・。
多く見るのが龍図ですよね。たまに鳳凰図がありますが、達磨図は珍しいでしょうね、私は初めて見ました。
さほど広くないので25分程度で寺を出ました。帰る時には朱印帳も拝観受付所に置いてあって、箱に入れたりしてたら、手水鉢など見つけたので、少しだけ写真を撮りました。
ここから円町まで歩いて、JR円町駅まで帰える前に、通院時の楽しみの一つである、パン屋さんで買い物。しかし前途したとおり、この夕方より熱発で寝込んだため、3日ほど食事できず・・・もったいないことをしました。やっぱり今年は、健康に注意したいですね。無理せずに。
【臨済宗妙心寺派 法輪寺(達磨寺) 本堂】
法輪寺と聞けば、私は嵐山の法輪寺を思い浮かべます。ここ数年、通院している病院からの帰り道に、たまたま見つけました。そして調べると紅葉が綺麗そうなので、12月の通院日に行くことに決めてたんですが、例年なら散ってしまっているのが普通です。
この日の病院は空いてたので、思ってたらより早く終わりました。そのため表門に着いたのは9時30分頃、こんな所(失礼)、誰も来ないだろうと思いきや、タクシーで来られてた先客がいました。まったくの予想外です。
遠くから門の前にタクシーが止まってるのが見えていましかたが、まさか・・・まさか・・・でした。まぁ・・・庭さえ綺麗に撮れたら良いいや。
この週は前途したとおり、二条城のアクアリウム城を見に行きました。その時が冷たい雨降りで・・・まだ・・・この時は大丈夫だったんてすが・・・この夜から寝込むことになるとは・・・予想もできませんでした。
表門を入って右手に拝観受付がありました。普段から常に人が居られるか・・・多分・・・居ないでしょうね。
たまたま、先客居たので、受付におられました。そこで拝観料300円を納め、由緒書きをいただき、「朱印はありますか」と尋ねると「あります」と。そして朱印代300円も納めると・・・「少し待って下さい。案内します」と言われました。
上記写真の所で待っているのと、受付から出て来られ要するに拝観の手順について説明がありました。特別拝観時みたいに、ついてて寺宝や歴史について説明されるのかと勘違いしてしまうところでした。そして先客の位置を確認して、真っ先に向かった先は、本堂です。
12月12日とは思えないほど、まだまだ綺麗でした。予約していた通院日を変更することはできないので、この日まで持ってくれて感謝です。
本堂に来てからいったん下に降りて撮影しました。この庭は「十牛の庭」と呼ばれています。案内では、禅の悟りの段階を牛に例えてあるそうです。
作庭は、1978年(昭和53年)に㈱植音の奥田龍司氏によって造られました。あの建仁寺(潮音庭)を作庭された北山安夫氏と並ぶ現代の庭司(にわし)だそうです。
本堂に上がって、縁側を見ると何やら・・・居る。犬嫌いの私には大型犬に見えて、腰を抜かしそうになりましたが、直ぐに置物と分かって・・・安心。
よくよく見ると銅製の牛が置いてありました。「十牛の庭」に因んで置いてあるのでしょうね。それにしてもユニークですね、縁側に牛の置物なんて・・・。
その牛の置物の後にあったのが、手水鉢でした。自然石をくり抜いたように思いましたが、私の感想です。
ここで、先客の方が本堂に来られ、綺麗に紅葉している庭を見て喜んでました。ただ峠は越えてるんてすけど。その間に本堂の仏間に入ってお参りをしました。
本堂中央には「転法輪」と書かれた扁額があって、琉球中山国円覚寺世代の月羅山和尚の筆だそうです。
本堂内部は、禅宗寺院らしい様式(仏間を挟んで2部屋あったりして・・・)でした。襖絵は3部屋とも同じで(達磨大師が描かれてたんでしょう)・・・上記写真一枚だけにしました。それと最初に写真撮影について尋ねると「何処を撮ってもらっても結構です」と、了解は得ています。
次ぎに本堂(方丈)東側から下に降ります。そこには十三重石塔があって、真っ赤なモミジが綺麗でした。
その十三重石塔には、「少林寺拳法根本道場発祥地」と書かれた石標を見つけました。達磨大師と少林寺・・・何か関係あるのかなぁ・・・。
そして奥にあるのが鐘楼ですが、ここもよくよく見れば・・・少し「ドッキり」します。屋根に人の顔が・・・。
鬼瓦では普通ですが、ここは・・・どうも達磨大師のような・・・気がしますが・・・真意は分かりませんけど。
ここで再び本堂に上がって出ました。次は衆聖堂に入ります。拝観受付を済ませると衆聖堂横に下駄箱があって、そこに靴を入れてスリッパに履き替えます。そして、ここから本堂に行くか衆聖堂に行くかは自由でした。
1718年(享保3年)の創建で、1983年(昭和53年)に3年掛け解体修理されました。臨済宗妙心寺派に属し、通称、達磨寺の名で親しまれています。1727年(享保12年)大愚和尚を開山とし、開基荒木宗禎に帰依を受けた万海和尚が創立しました。
本当は本堂から外に出ることなく衆聖堂に入れますが、先ずは外観です。命名は、旧妙心寺管長、山田無文老師だそうです。
1階には十六羅漢像が取り囲んでいる中、達磨が所狭しと置いてあります。ただ達磨の数では次ぎに行く、達磨堂に及びませんが。
1階から次ぎに2階に上がります。最初の案内でキネマ殿とも言われ、日本の映画関係者(全てだそうです)の位牌があるそうで・・・衆聖堂の裏側の階段を上がると・・・。
眺望を期待しましたが・・・西山が少し見える程度でした。住宅街にあるで、仕方ないですね。
お堂に入ると、位牌が廻りを取り囲んでて、中央には仏涅槃木像に目が行きます。桃山時代の作だとか。触っていいのかどうか分からなかったので・・・お参りだけで下に降りました。
最後に、この寺のメインでしょうね達磨堂です。(拝観料を納めると順番は自由です。私はたまたま最後になっただけです)
通称が達磨寺と言われる由縁でしょうね。堂内は大小の達磨で一杯です。案内によると、三国一を称する起上り達磨をはじめ、諸願成就に奉納された達磨およそ八千余が祀られてるそうです。
最初、ここに来た時、先客は達磨堂に入られたので、私は本堂を先にした訳です。ここではお堂の前まで行けるのでお参りを済ませ天井を見上げると・・・。
多く見るのが龍図ですよね。たまに鳳凰図がありますが、達磨図は珍しいでしょうね、私は初めて見ました。
さほど広くないので25分程度で寺を出ました。帰る時には朱印帳も拝観受付所に置いてあって、箱に入れたりしてたら、手水鉢など見つけたので、少しだけ写真を撮りました。
ここから円町まで歩いて、JR円町駅まで帰える前に、通院時の楽しみの一つである、パン屋さんで買い物。しかし前途したとおり、この夕方より熱発で寝込んだため、3日ほど食事できず・・・もったいないことをしました。やっぱり今年は、健康に注意したいですね。無理せずに。
【臨済宗妙心寺派 法輪寺(達磨寺) 本堂】