京都十六社朱印めぐり 藤森神社へ
京阪「伏見桃山」駅で、9時17分発の電車に乗りました。予定では30分頃になる筈が・・・そこで思い出した訳です庭園のことを・・・戻る事も少しは考えましたが、切符も買ったし・・・それで諦め普通電車に乗りました。そして6分程度で、次ぎ目的地である「墨染」駅に着きました。
そこから歩いて7分程度で、京都十六社朱印巡りの藤森神社に着きました。ここには2013年6月の紫陽花苑に来たので2回目です。
ここには9時30分過ぎに着きました。3年前の暑い梅雨時に来て以来ですが、道は覚えてました。途中、その時お昼を食べたとんかつ梅村が、京うどんの店に変わってたりして、いろいろ変化を楽しみながら鳥居前まで来ました。
案内を読むと、近藤勇が石造鳥居の扁額を外したとか、前回はアジサイだけ見に来たので、知らないこと・・・多です。
鳥居から拝殿、本殿と一直線につながっています。ただ今日は朝早いのに人が多いです。神職さんも何を準備されてるし・・・このことがずっと気になってました。
以前も見ましたが、蒙古塚の石標と第一紫陽花苑です。梅雨時に咲き誇るアジサイも今は・・・こんなもんです。
かつては7つの塚があり、七ツ塚ともいわれた。伝承によれば蒙古兵の首塚、戦利品の兵器を納めた所ともいう。
正面に拝殿が近づいてきました。本殿とともに御所より賜ったもので、割拝殿として有名だとか、後でもらう由緒書きより。
ここの前に椅子があって、神職さんがロープを張る準備されてました。よほど聞いてみようと思いましたが、帰ってから調べました。御木始・御弓始(おきはじめ・おゆみはじめ)の行事があったですね。人が多いはずです。
ここから左手に手水舎があって、ここでは皆さんされてます。当たり前の事でしょうど・・・感心です。
手水舎の前には神馬像が。5月5日に行われる藤森神社の駈馬神事は勇壮な馬術を見られます。
次は当然、本殿です。もちろんお参り。少し人が途切れるのを待って参拝しました。1712年゜(正徳2年)に中御門天皇より賜り、京都御所の内侍所の建物を賜ったものです。
正面から本殿は見えないので、後程横から見てみました。先程行った御香宮の本殿みたいな極彩色・・・はないようですね。
祭神は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、日本武尊(やまとたける)、早良親王、神功皇后、井上内親王、別雷命(わけいかずちのみこと)、応神天皇、仁徳天皇など12柱。平安遷都以前に創祀されたと伝わり、神功皇后は新羅信仰の凱旋を記念して、軍旗や武器を納めた奉納先である旗塚が同社の起こりだとか。また、同社は5月5日の「端午の節句」の発祥の地といわれ、同日に藤森祭が行われます。
次ぎに朱印ですが、社務所では多くの若い女性が朱印をもらうため並ばれています。何故若い女性が朱印を・・・これは金曜日にある現象をNHKローカルニュースで放送され、それで知りました。
これは後程、説明することにして、ここで十六社の朱印をいたたぎました。My朱印帳は2013年6月の訪問時にいただいています。
今、若い女性の間で、刀剣がブームだそうです。いわいる刀剣女子と呼ばれてて、各地の博物館や刀剣ゆかりの神社で朱印巡りをされてるようで、ここ藤森神社も朱印巡りの4神社のうちの一つだそうで・・・金曜日に放送を見なかったら・・・分からなかったことかも知れません。
お参りと朱印を済ませたので、帰っても良かったんですが、境内を散策することにしました。先ずは本殿横にあった不二の水(御神水)から。
さすがに美味しい水が湧く伏見ですね。先程訪れた御香宮にもありましたし、この藤森にありました。地下100㍍から湧き出てる水で、連日この水を汲みに行列が絶えないそうです。
その奥に一段と高い所にある切り株に目が行きました。横は「神功皇后 御旗塚」と石標には書かれています。
「いちの木さん」とも呼ばれており、参拝すると腰痛が治ると伝えられています。そして、この御旗塚に近藤勇も参拝して腰痛を治したそうです。
次ぎに藤森七福神です。見た所最近建立されたのかなぁ・・・最近、都七福神の映像を見たばかりで・・・。
左から福禄寿(ふくろくじゅ)、弁財天(べんざいてん)、布袋尊(ほていそん)、毘沙門天(びしゃもんてん)、恵比寿天(えびすてん)、大黒天(だいこくてん)、寿老人(じゅろうじん)どれも表情が豊かです。
先程、由緒で菖蒲の節句発祥の神社と紹介しましたが、節句に飾る武者人形には藤森の神が宿るとされ、その象徴として建立されたとか。
下の写真は、本堂前の像ですが、勝運の神「菖蒲の節句発祥の地」と書かれています。
次から境内社です。主に本殿の裏に安置されてて、一つづ見て行きます。この辺りはアジサイが咲く頃にはの第二紫陽花苑となるんですが、先ずは重要文化財の八幡宮 本殿から。
1483年(永享10年)室町幕府第6代将軍・足利義教(よしのり)建立と書いてありました。祭神は、応神天皇です。
さすがに古社ですね、境内社でも重要文化財があるなんて・・・次が八幡宮の左隣に隣接して建っている、末社群です。
右から、吉野神社、廣田神社、諏訪神社、住吉神社、厳島神社、熊野神社、天満宮社です。ここはあっさりと、次ぎに進みます。
次ぎも重要文化財、大将軍社 社殿です。祭神は、磐長姫命(いわながひめのみこと)で、建立はも1483年(永享10年)室町幕府第6代将軍・足利義教です。
桓武天皇が都の四方に守護神として祀られたもので、古来より方除け神として親しまれています。
東西南北のうち、藤森は南方の守護神として建立されたんですね。そして、ここの並びの最後は、霊験天満宮です。
ここは駒札がないので、由緒など分かりませんが、霊験あらたかな天満宮でしょうか。
最後の最後、藤森稲荷神社です。本堂の南側にあって、鳥居をくぐると狐が・・・直ぐに分かりました。
ここのアジサイは品種も豊富で見応えありますが、蚊に注意が必要です。その時はあまり境内を散策しなかったので、これで充分です。藤森神社には20分弱ぐらいで、次へと向かうため再び京阪「墨染」駅に戻りました。JR「藤森」駅でもありますが、少し遠いので京阪を選択。ただ普通電車が15分に一本のため駅で座って待ちました。そして次へと向かいます。
【藤森神社 本殿】
そこから歩いて7分程度で、京都十六社朱印巡りの藤森神社に着きました。ここには2013年6月の紫陽花苑に来たので2回目です。
ここには9時30分過ぎに着きました。3年前の暑い梅雨時に来て以来ですが、道は覚えてました。途中、その時お昼を食べたとんかつ梅村が、京うどんの店に変わってたりして、いろいろ変化を楽しみながら鳥居前まで来ました。
案内を読むと、近藤勇が石造鳥居の扁額を外したとか、前回はアジサイだけ見に来たので、知らないこと・・・多です。
鳥居から拝殿、本殿と一直線につながっています。ただ今日は朝早いのに人が多いです。神職さんも何を準備されてるし・・・このことがずっと気になってました。
以前も見ましたが、蒙古塚の石標と第一紫陽花苑です。梅雨時に咲き誇るアジサイも今は・・・こんなもんです。
かつては7つの塚があり、七ツ塚ともいわれた。伝承によれば蒙古兵の首塚、戦利品の兵器を納めた所ともいう。
正面に拝殿が近づいてきました。本殿とともに御所より賜ったもので、割拝殿として有名だとか、後でもらう由緒書きより。
ここの前に椅子があって、神職さんがロープを張る準備されてました。よほど聞いてみようと思いましたが、帰ってから調べました。御木始・御弓始(おきはじめ・おゆみはじめ)の行事があったですね。人が多いはずです。
ここから左手に手水舎があって、ここでは皆さんされてます。当たり前の事でしょうど・・・感心です。
手水舎の前には神馬像が。5月5日に行われる藤森神社の駈馬神事は勇壮な馬術を見られます。
次は当然、本殿です。もちろんお参り。少し人が途切れるのを待って参拝しました。1712年゜(正徳2年)に中御門天皇より賜り、京都御所の内侍所の建物を賜ったものです。
正面から本殿は見えないので、後程横から見てみました。先程行った御香宮の本殿みたいな極彩色・・・はないようですね。
祭神は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、日本武尊(やまとたける)、早良親王、神功皇后、井上内親王、別雷命(わけいかずちのみこと)、応神天皇、仁徳天皇など12柱。平安遷都以前に創祀されたと伝わり、神功皇后は新羅信仰の凱旋を記念して、軍旗や武器を納めた奉納先である旗塚が同社の起こりだとか。また、同社は5月5日の「端午の節句」の発祥の地といわれ、同日に藤森祭が行われます。
次ぎに朱印ですが、社務所では多くの若い女性が朱印をもらうため並ばれています。何故若い女性が朱印を・・・これは金曜日にある現象をNHKローカルニュースで放送され、それで知りました。
これは後程、説明することにして、ここで十六社の朱印をいたたぎました。My朱印帳は2013年6月の訪問時にいただいています。
今、若い女性の間で、刀剣がブームだそうです。いわいる刀剣女子と呼ばれてて、各地の博物館や刀剣ゆかりの神社で朱印巡りをされてるようで、ここ藤森神社も朱印巡りの4神社のうちの一つだそうで・・・金曜日に放送を見なかったら・・・分からなかったことかも知れません。
お参りと朱印を済ませたので、帰っても良かったんですが、境内を散策することにしました。先ずは本殿横にあった不二の水(御神水)から。
さすがに美味しい水が湧く伏見ですね。先程訪れた御香宮にもありましたし、この藤森にありました。地下100㍍から湧き出てる水で、連日この水を汲みに行列が絶えないそうです。
その奥に一段と高い所にある切り株に目が行きました。横は「神功皇后 御旗塚」と石標には書かれています。
「いちの木さん」とも呼ばれており、参拝すると腰痛が治ると伝えられています。そして、この御旗塚に近藤勇も参拝して腰痛を治したそうです。
次ぎに藤森七福神です。見た所最近建立されたのかなぁ・・・最近、都七福神の映像を見たばかりで・・・。
左から福禄寿(ふくろくじゅ)、弁財天(べんざいてん)、布袋尊(ほていそん)、毘沙門天(びしゃもんてん)、恵比寿天(えびすてん)、大黒天(だいこくてん)、寿老人(じゅろうじん)どれも表情が豊かです。
先程、由緒で菖蒲の節句発祥の神社と紹介しましたが、節句に飾る武者人形には藤森の神が宿るとされ、その象徴として建立されたとか。
下の写真は、本堂前の像ですが、勝運の神「菖蒲の節句発祥の地」と書かれています。
次から境内社です。主に本殿の裏に安置されてて、一つづ見て行きます。この辺りはアジサイが咲く頃にはの第二紫陽花苑となるんですが、先ずは重要文化財の八幡宮 本殿から。
1483年(永享10年)室町幕府第6代将軍・足利義教(よしのり)建立と書いてありました。祭神は、応神天皇です。
さすがに古社ですね、境内社でも重要文化財があるなんて・・・次が八幡宮の左隣に隣接して建っている、末社群です。
右から、吉野神社、廣田神社、諏訪神社、住吉神社、厳島神社、熊野神社、天満宮社です。ここはあっさりと、次ぎに進みます。
次ぎも重要文化財、大将軍社 社殿です。祭神は、磐長姫命(いわながひめのみこと)で、建立はも1483年(永享10年)室町幕府第6代将軍・足利義教です。
桓武天皇が都の四方に守護神として祀られたもので、古来より方除け神として親しまれています。
東西南北のうち、藤森は南方の守護神として建立されたんですね。そして、ここの並びの最後は、霊験天満宮です。
ここは駒札がないので、由緒など分かりませんが、霊験あらたかな天満宮でしょうか。
最後の最後、藤森稲荷神社です。本堂の南側にあって、鳥居をくぐると狐が・・・直ぐに分かりました。
ここのアジサイは品種も豊富で見応えありますが、蚊に注意が必要です。その時はあまり境内を散策しなかったので、これで充分です。藤森神社には20分弱ぐらいで、次へと向かうため再び京阪「墨染」駅に戻りました。JR「藤森」駅でもありますが、少し遠いので京阪を選択。ただ普通電車が15分に一本のため駅で座って待ちました。そして次へと向かいます。
【藤森神社 本殿】