巨大な木彫りの龍が棲む 瀧尾神社へ
京阪「墨染」駅から普通電車に乗って、「東福寺」駅まて8分で着きました。駅を降りて右手に進むと、紅葉の名所である東福寺に行けますが、今日の目的地は左手に進みます。そしたら途中で朱塗りの鳥居の前を通りました。
瀧尾神社(たきおじんじゃ)と書かれた石標で、当社の名前を知りました。先を急ぎますが、少しだけ寄って行こうと、鳥居をくぐりました。
入ると、正面に拝殿があって、その奥か本殿のようです。境内は誰もいませんと言いたいところ、団体さんが・・・歩こう会の・・・そんな感じでした。
実は、この拝殿は靴を脱いで上がることがてきます。それは本殿側から・・・でした。ここは是非靴を脱いで上がりましょう。
と書きましたが、この時は気が付きませんでした。この拝殿の中に棲む恐ろしいものを・・・。一週間後に再び「東福寺」駅におりたった私は、再びこの瀧尾神社に寄りました。
何故一週間後に再び、ここに来たのかは、あるイベントに参加したからです。そして、いよいよ拝殿に上がります。土足厳禁のためスリッパに履き替え、上を見上げると・・・。
見上げると巨大な木彫りの龍が棲んでました。全長8㍍もあるといいます。夜な夜な水を飲みに行く伝わる龍ですが、今は網も取り払われ、いつでも見られるようになっていました。ただ頭が修復中のため外れているのが残念です。
このあと本殿前に来ました。手前から拝所・幤殿・本殿が並んでおり、本殿は「北山貴船奥院御社」旧殿を移築、一部改築したもの。
ここには動物の彫刻が至る所にあります。これらの彫刻は九山新太郎の手によるもので、京彫刻の九山家は東本願寺、善光寺なども手掛け、当主は代々九山新之丞を名乗る名門だそうです。
瀧尾神社の創建、由緒ははっきりしませんが、1586年(天正10年)10月、豊臣秀吉の方広寺大仏殿建立に伴い、当地に移ってきたと伝わっています。また、当地は、泉涌寺の僧のまもりところであったとも言われて居ます。京の豪商・下村家は、当社を崇敬すること篤く、1738年(元文3年)以降、数度にわたって社殿の修復を行ってきて、現在の社殿も下村家の援助により、1839年(天保10年)から翌年にかけて造営されたものです。
本殿を横から見ると綺麗な曲線を描いた屋根でした。お参りのあと、順番は逆ですが、団体さんが屯していた手水舎を撮りました。近く付くと水がでるとか・・・そんなこと書いてありました。
こちらが社務所です。前には「朱印あります」と書いてありましたが、呼んでもベルを押しても誰もでてきてくれません。
一週間後もそうでしたが、以外や以外・・・イベントから帰る時、ここを通ったら社務所開いてました。夕方遅い時間のため電気が付いてたんで分かったことですが、朱印帳を持ってきてなかったのと、電車の時間がせまってたんで寄りませんでした。
最後が絵馬舎です。この絵馬舎を初め、拝殿・拝所・幣殿・東西廊・手水舎などの一連の社殿が1984年(昭和59年)京都市指定文化財となりました。
何も知らず寄った神社でしたが、歴史があったり、見応えある龍の彫刻があったりして、寄り道して良かったです。あと、2000年(平成12年)に瀧尾神社境内へ一部が移された三嶋神社にもよりました。
由緒など分からないので・・・それより右端に写ってる鳥居が気になって・・・それで正面からお参りすると・・・。
左から愛宕神社・大丸稲荷社・金刀比羅宮・瀧尾天満宮でした。大丸・・・そうです、あの大丸百貨店の関係がありました。
下村彦右衛門は京都市伏見区で生まれ、江戸中期に行商から大呉服商になり、後の大丸百貨店の基礎を築いた天下の豪商です。瀧尾神社は、その下村彦右衛門が熱心に参ったことで知られ、現在の社殿も、下村一族の資本によるといわれています。
最後に、西側の鳥居から出ました。南側は木造でしたが、こちらは石造りでした。見たとおり狭い境内で足早で出て行った・・・そんな感じです。
ここには5分弱で、次へと向かいました。少し寄り道しましたが、先を急ぎます。今日は6箇所回る予定が、まだ2箇所です。
【瀧尾神社 本殿】
瀧尾神社(たきおじんじゃ)と書かれた石標で、当社の名前を知りました。先を急ぎますが、少しだけ寄って行こうと、鳥居をくぐりました。
入ると、正面に拝殿があって、その奥か本殿のようです。境内は誰もいませんと言いたいところ、団体さんが・・・歩こう会の・・・そんな感じでした。
実は、この拝殿は靴を脱いで上がることがてきます。それは本殿側から・・・でした。ここは是非靴を脱いで上がりましょう。
と書きましたが、この時は気が付きませんでした。この拝殿の中に棲む恐ろしいものを・・・。一週間後に再び「東福寺」駅におりたった私は、再びこの瀧尾神社に寄りました。
何故一週間後に再び、ここに来たのかは、あるイベントに参加したからです。そして、いよいよ拝殿に上がります。土足厳禁のためスリッパに履き替え、上を見上げると・・・。
見上げると巨大な木彫りの龍が棲んでました。全長8㍍もあるといいます。夜な夜な水を飲みに行く伝わる龍ですが、今は網も取り払われ、いつでも見られるようになっていました。ただ頭が修復中のため外れているのが残念です。
このあと本殿前に来ました。手前から拝所・幤殿・本殿が並んでおり、本殿は「北山貴船奥院御社」旧殿を移築、一部改築したもの。
ここには動物の彫刻が至る所にあります。これらの彫刻は九山新太郎の手によるもので、京彫刻の九山家は東本願寺、善光寺なども手掛け、当主は代々九山新之丞を名乗る名門だそうです。
瀧尾神社の創建、由緒ははっきりしませんが、1586年(天正10年)10月、豊臣秀吉の方広寺大仏殿建立に伴い、当地に移ってきたと伝わっています。また、当地は、泉涌寺の僧のまもりところであったとも言われて居ます。京の豪商・下村家は、当社を崇敬すること篤く、1738年(元文3年)以降、数度にわたって社殿の修復を行ってきて、現在の社殿も下村家の援助により、1839年(天保10年)から翌年にかけて造営されたものです。
本殿を横から見ると綺麗な曲線を描いた屋根でした。お参りのあと、順番は逆ですが、団体さんが屯していた手水舎を撮りました。近く付くと水がでるとか・・・そんなこと書いてありました。
こちらが社務所です。前には「朱印あります」と書いてありましたが、呼んでもベルを押しても誰もでてきてくれません。
一週間後もそうでしたが、以外や以外・・・イベントから帰る時、ここを通ったら社務所開いてました。夕方遅い時間のため電気が付いてたんで分かったことですが、朱印帳を持ってきてなかったのと、電車の時間がせまってたんで寄りませんでした。
最後が絵馬舎です。この絵馬舎を初め、拝殿・拝所・幣殿・東西廊・手水舎などの一連の社殿が1984年(昭和59年)京都市指定文化財となりました。
何も知らず寄った神社でしたが、歴史があったり、見応えある龍の彫刻があったりして、寄り道して良かったです。あと、2000年(平成12年)に瀧尾神社境内へ一部が移された三嶋神社にもよりました。
由緒など分からないので・・・それより右端に写ってる鳥居が気になって・・・それで正面からお参りすると・・・。
左から愛宕神社・大丸稲荷社・金刀比羅宮・瀧尾天満宮でした。大丸・・・そうです、あの大丸百貨店の関係がありました。
下村彦右衛門は京都市伏見区で生まれ、江戸中期に行商から大呉服商になり、後の大丸百貨店の基礎を築いた天下の豪商です。瀧尾神社は、その下村彦右衛門が熱心に参ったことで知られ、現在の社殿も、下村一族の資本によるといわれています。
最後に、西側の鳥居から出ました。南側は木造でしたが、こちらは石造りでした。見たとおり狭い境内で足早で出て行った・・・そんな感じです。
ここには5分弱で、次へと向かいました。少し寄り道しましたが、先を急ぎます。今日は6箇所回る予定が、まだ2箇所です。
【瀧尾神社 本殿】