泉涌寺 七福神めぐり 恵比須神お参り(第3番 今熊野観音寺 本堂)へ
次は泉涌寺 七福神めぐりの中では、最も多く訪れてる寺院です。最近では2014年10月に訪れています。
西国三十三ヶ所の第15番札所でもあり、洛陽三十三所の第19番札所てもある泉涌寺塔頭 今熊野観音寺に13時46分に着きました。新善光寺から4分程度で着いたことになります。ここでは恵比須神にお参りします。
2014年10月に詳しく書いたので、ここではあっさりと。一旦下って川を渡り、また登る参道ですが、ここが入口です。
また、階段があってやっと正面に本堂が見えましたが、着いたら直ぐに本堂にあがり右側から靴を脱いで堂内に入りました。
堂内に入ると、今熊野観音寺のお坊さんよりお話がありました。普段から堂内に入れたかどうか記憶が定かじゃありませんが・・・。
弘法大師空海が、この月輪の地を訪れた時、老翁と出会い十一面観世音菩薩像を祀ってほしいと授けられ、それを大師は嵯峨天皇に奏上し、天皇の許可を得て寺を建立したのが始まり。本尊は弘法大師作と云われる十一面観世音菩薩像ですが秘仏ですので、固く厨子は閉まっています。その前には御前立が祀られていました。真言宗泉涌寺派 新那智山 観音寺 通称 今熊野観音寺で親しまれています。
今日の主役はあくまで七福神です。堂内向かって右側に恵比須神像が祀られているので、法話のあと皆でお参りしました。そして、ここでトイレ休憩となりましので、時間まで皆さん三々五々境内を散策です。
先ずは大師堂から。弘法大師ゆかりの東寺にも国宝・大師堂がありますね。この日は時間が無いので上まであがりませんでした。2014年10月では、上がってお参りしています。
それより歳も歳だしぼけ封じ観音にお参りしました。最近・・・物忘れが多くて・・・困っています。
次ぎに大師堂のお隣に移動して、今熊野観音寺の鎮守社を見てみました。最近、京都十六社朱印巡りをしているので、どうしても目が行ってしまいます。先ずは稲荷社で、稲荷明神が祀られています。
そして稲荷社のお隣が熊野権現社がひっそりと鎮座されています。
弘法大師空海が、この地で熊野権現と逢われたそうで、その縁で守護神になられたとか。
さらに南側を見ると鐘楼がありました。歴史がありそうな梵鐘も太平洋戦争で拠出されたそうですが、無事戻ってきたようですね。
本当は、ここから東の山腹にある多宝塔まで行きたかったんですが、時間が無いので無理です。仕方ないので本堂前に戻りました。先ずは五智の井から。
弘法大師ゆかりの霊泉が、今でもこんこんと湧き出てる井戸だそうです。多分飲めるのでしょうね。ちなみに手水鉢は階段下にあったので、最後に。
こちらは本堂前にあった手水鉢ですが、水出てなかったような・・・そんな気がします。それより、その横にあった灯籠に注目です。
これだけ寺巡りしていると覚えました。織部灯籠でしょうね、解説はありませんでしたが、切支丹灯籠でしょう。間違い無いかと思います。
最後に、ここ今熊野観音寺が創建した当時のものの三重石塔を撮ってから休憩に入りました。
駆け足で境内を巡りましたが、ここには何度も来てるので目新しい発見は無かったですね。この日の七福神巡りでは、トイレのある寺院が限られてるので、ここでは必ずトイレに行くことにしてました。
今日は入って休憩しませんでしたが、夏場では汗をここで引かせ、水分を補給したりしたもんです。西国巡礼の方は、この日は見ませんでしたが・・・。
境内を見ると、ここには「泉涌寺七福神巡り」の幟が出ていません。ここだでしたね無かったのは・・・いつも・・・日々西国三十三箇所の巡礼者が訪れるので忙しいのでしょう。
ほど高い所ににある多宝塔にはいつか行きたいと思いながら、ここを・・・いつも・・・出てて・・・そして今日もです。
前途した手水鉢は、ここ階段下にありました。ここで手を清め階段を上がって本堂にお参り・・・する・・・のでしょう。
ここには13時46分に入って、休憩時間を含めて14時10分に出て行きました。次は私の未訪の寺院です。
【今熊野観音寺 ぼけ封じ観音】
西国三十三ヶ所の第15番札所でもあり、洛陽三十三所の第19番札所てもある泉涌寺塔頭 今熊野観音寺に13時46分に着きました。新善光寺から4分程度で着いたことになります。ここでは恵比須神にお参りします。
2014年10月に詳しく書いたので、ここではあっさりと。一旦下って川を渡り、また登る参道ですが、ここが入口です。
また、階段があってやっと正面に本堂が見えましたが、着いたら直ぐに本堂にあがり右側から靴を脱いで堂内に入りました。
堂内に入ると、今熊野観音寺のお坊さんよりお話がありました。普段から堂内に入れたかどうか記憶が定かじゃありませんが・・・。
弘法大師空海が、この月輪の地を訪れた時、老翁と出会い十一面観世音菩薩像を祀ってほしいと授けられ、それを大師は嵯峨天皇に奏上し、天皇の許可を得て寺を建立したのが始まり。本尊は弘法大師作と云われる十一面観世音菩薩像ですが秘仏ですので、固く厨子は閉まっています。その前には御前立が祀られていました。真言宗泉涌寺派 新那智山 観音寺 通称 今熊野観音寺で親しまれています。
今日の主役はあくまで七福神です。堂内向かって右側に恵比須神像が祀られているので、法話のあと皆でお参りしました。そして、ここでトイレ休憩となりましので、時間まで皆さん三々五々境内を散策です。
先ずは大師堂から。弘法大師ゆかりの東寺にも国宝・大師堂がありますね。この日は時間が無いので上まであがりませんでした。2014年10月では、上がってお参りしています。
それより歳も歳だしぼけ封じ観音にお参りしました。最近・・・物忘れが多くて・・・困っています。
次ぎに大師堂のお隣に移動して、今熊野観音寺の鎮守社を見てみました。最近、京都十六社朱印巡りをしているので、どうしても目が行ってしまいます。先ずは稲荷社で、稲荷明神が祀られています。
そして稲荷社のお隣が熊野権現社がひっそりと鎮座されています。
弘法大師空海が、この地で熊野権現と逢われたそうで、その縁で守護神になられたとか。
さらに南側を見ると鐘楼がありました。歴史がありそうな梵鐘も太平洋戦争で拠出されたそうですが、無事戻ってきたようですね。
本当は、ここから東の山腹にある多宝塔まで行きたかったんですが、時間が無いので無理です。仕方ないので本堂前に戻りました。先ずは五智の井から。
弘法大師ゆかりの霊泉が、今でもこんこんと湧き出てる井戸だそうです。多分飲めるのでしょうね。ちなみに手水鉢は階段下にあったので、最後に。
こちらは本堂前にあった手水鉢ですが、水出てなかったような・・・そんな気がします。それより、その横にあった灯籠に注目です。
これだけ寺巡りしていると覚えました。織部灯籠でしょうね、解説はありませんでしたが、切支丹灯籠でしょう。間違い無いかと思います。
最後に、ここ今熊野観音寺が創建した当時のものの三重石塔を撮ってから休憩に入りました。
駆け足で境内を巡りましたが、ここには何度も来てるので目新しい発見は無かったですね。この日の七福神巡りでは、トイレのある寺院が限られてるので、ここでは必ずトイレに行くことにしてました。
今日は入って休憩しませんでしたが、夏場では汗をここで引かせ、水分を補給したりしたもんです。西国巡礼の方は、この日は見ませんでしたが・・・。
境内を見ると、ここには「泉涌寺七福神巡り」の幟が出ていません。ここだでしたね無かったのは・・・いつも・・・日々西国三十三箇所の巡礼者が訪れるので忙しいのでしょう。
ほど高い所ににある多宝塔にはいつか行きたいと思いながら、ここを・・・いつも・・・出てて・・・そして今日もです。
前途した手水鉢は、ここ階段下にありました。ここで手を清め階段を上がって本堂にお参り・・・する・・・のでしょう。
ここには13時46分に入って、休憩時間を含めて14時10分に出て行きました。次は私の未訪の寺院です。
【今熊野観音寺 ぼけ封じ観音】