泉涌寺 七福神めぐり 布袋尊お参り(第4番 来迎院 本堂)へ
今熊野観音寺を出たら次は泉涌寺塔頭 来迎院(らいごういん)です。ここは初めて訪れるのため場所は知らないので、スタッフの方について行くと、すぐのお隣でした。ここでは泉涌寺 七福神めぐり 布袋尊をお参りします。
布袋さんと言えば思い浮かべるのは萬福寺でしょうね。ここのも楽しみにしてましたし、初訪問の来迎院の様子も楽しみにしてました。それより今熊野観音寺からこんなに近いとは思ってなかです。早々に山門に着きました。
山門を入って左に行くと、含翠庭(がんすいてい)がありますが、拝観料300円で見られます。忠臣蔵で有名な大石内蔵助は、ここで仇討の策を練ったとか・・・そんな逸話・・・探して見たかった・・・です。
未練はありましたが、ここにはいつでも来られるので再訪・・・計画します。そして来迎院の副住職さんの案内が本堂前で始まりました。
弘法大師が806年゜(大同元年)唐土で感得した三宝荒神を奉安したのが来迎院の始まりとされていますが、その後荒廃しますが、藤原信房が1218年(建保6年)泉涌寺の第四世・月翁(がつおう)和尚に帰依して一院を興し泉涌寺の子院としました。
この本堂廻りには前途のとおり弘法大師ゆかりのものがあって、こちらは弘法大師像です。
また、こちらは弘法大師ゆかりの独鈷水です。弘法大師が独鈷(とっこ)をもって掘った名水が湧き出てるとか。(独鈷とは、密教で使う仏具の一種。金属製の、両端がとがった短い棒。手で持って煩悩(ぼんのう)を打ち砕く意を表す。)
本堂前ではゆっくりしなくて、これから石段を上がることになります。それは・・・いつもなら本堂に安置されてる布袋尊像が上にあるお堂に移されてるからです。
ここから石段を上がります。風邪引きには堪えますし、何より寒いです。会員さんが一列になって上がりきると、そこには・・・。
来迎院に高所に建つ広幅殿荒神堂には、木像荒神坐像一躯・木像護法神立像五躯(共に重要文化財)が安置されています。
ここで堂内の扉が、少しだけ開いてるでしょう。そこから覗いて布袋尊像を拝むわけです。これでも精一杯スタッフの方が努力され、開けてもらったようです。
堂内は暗くて遠かったけど、私は充分見えました。スタッフの方に感謝てすが、できれば堂内に入ってお参りしたかったです。(無理でしょうけど)
最後に鎮守社にもお参りしました。会員さんの殆どの方も行かれました。
先程、大石内蔵助の話をしましたが、由緒書きにもう少し詳しく書いてありました。
1701年(元禄14年)に赤穂を出て浪人となった大石内蔵助は、当時泉涌寺長老で来迎院住職であった卓厳韶興宗師を頼り、山科に居を構え来迎院の檀家となりました。大石内蔵助は書院を再建したり茶室「含翠軒」を建立したりして、茶を嗜むと共に仇討ちの秘策を練り同士と密会したといいます。
ここには14時12分に入って、14時25分に山門を出ました。次は番外の観音様をお参りですが、その前に寒いのでお部屋に入って休憩が入るみたいです。
【泉涌寺塔頭 来迎院 本堂】
布袋さんと言えば思い浮かべるのは萬福寺でしょうね。ここのも楽しみにしてましたし、初訪問の来迎院の様子も楽しみにしてました。それより今熊野観音寺からこんなに近いとは思ってなかです。早々に山門に着きました。
山門を入って左に行くと、含翠庭(がんすいてい)がありますが、拝観料300円で見られます。忠臣蔵で有名な大石内蔵助は、ここで仇討の策を練ったとか・・・そんな逸話・・・探して見たかった・・・です。
未練はありましたが、ここにはいつでも来られるので再訪・・・計画します。そして来迎院の副住職さんの案内が本堂前で始まりました。
弘法大師が806年゜(大同元年)唐土で感得した三宝荒神を奉安したのが来迎院の始まりとされていますが、その後荒廃しますが、藤原信房が1218年(建保6年)泉涌寺の第四世・月翁(がつおう)和尚に帰依して一院を興し泉涌寺の子院としました。
この本堂廻りには前途のとおり弘法大師ゆかりのものがあって、こちらは弘法大師像です。
また、こちらは弘法大師ゆかりの独鈷水です。弘法大師が独鈷(とっこ)をもって掘った名水が湧き出てるとか。(独鈷とは、密教で使う仏具の一種。金属製の、両端がとがった短い棒。手で持って煩悩(ぼんのう)を打ち砕く意を表す。)
本堂前ではゆっくりしなくて、これから石段を上がることになります。それは・・・いつもなら本堂に安置されてる布袋尊像が上にあるお堂に移されてるからです。
ここから石段を上がります。風邪引きには堪えますし、何より寒いです。会員さんが一列になって上がりきると、そこには・・・。
来迎院に高所に建つ広幅殿荒神堂には、木像荒神坐像一躯・木像護法神立像五躯(共に重要文化財)が安置されています。
ここで堂内の扉が、少しだけ開いてるでしょう。そこから覗いて布袋尊像を拝むわけです。これでも精一杯スタッフの方が努力され、開けてもらったようです。
堂内は暗くて遠かったけど、私は充分見えました。スタッフの方に感謝てすが、できれば堂内に入ってお参りしたかったです。(無理でしょうけど)
最後に鎮守社にもお参りしました。会員さんの殆どの方も行かれました。
先程、大石内蔵助の話をしましたが、由緒書きにもう少し詳しく書いてありました。
1701年(元禄14年)に赤穂を出て浪人となった大石内蔵助は、当時泉涌寺長老で来迎院住職であった卓厳韶興宗師を頼り、山科に居を構え来迎院の檀家となりました。大石内蔵助は書院を再建したり茶室「含翠軒」を建立したりして、茶を嗜むと共に仇討ちの秘策を練り同士と密会したといいます。
ここには14時12分に入って、14時25分に山門を出ました。次は番外の観音様をお参りですが、その前に寒いのでお部屋に入って休憩が入るみたいです。
【泉涌寺塔頭 来迎院 本堂】