泉涌寺 七福神めぐり 毘沙門天お参り(第6番 悲田院 毘沙門天堂)へ
15時20分に雲龍院の山門を出ると、次は少し距離が離れています。泉涌寺の大門を通って駐車場を横切り、私の時代では月輪中学,(平成26年度から東山泉中学校に統合)と呼ばれてたグランドと校舎の間の道を真っ直ぐ進むと・・・。
「悲田院参道」と書かれた石標が目印です。月輪中学・・・確か同級生がここの出身だったので覚えました。最近校名が変更したんですね、知らなかったです。
この参道の突き当たりに朱塗りの山門が遠くに見えてきます。
この日8番目に訪れたのは泉涌寺塔頭 悲田院といい、泉涌寺 七福神めぐりでは毘沙門天をお参りします。
身寄りの無い老人や貧しい人、親のいない子供達を収容する福祉施設である悲田院は、難波京や平城京内に設けられ、平安京でも東西二箇所の悲田院が設けられました。悲田院と平安郷との関係は不明ですが、寺伝によると鎌倉時代の1308年(延慶元年)無人如導により安居院(上京区)に天台・真言・禅・浄土の四宗兼学の寺院として建立され、平安京の悲田院の名が引き継がれました。その後、戦乱により衰退しますが、1645年(正保2年)如周恵公が高槻城主永井直清の帰依により、この地に移し再興されました。幕末までは高槻藩の庇護の元に大いに栄えました。
ここでは由緒書きが無かったので、駒札から抜粋しました
。山門をくぐると正面に本堂があって、そから靴脱いで上がります。
本堂に入ると住職さんより簡単な案内がありました。表が開けてあるので寒さ・・・堪えます。よって、殆ど話が入ってきませんでした。堂内の一部屋奥に毘沙門天像がありましたが、見にくいことしきりです。横に行ったり下から見たりして頑張りましたが・・・見えない・・・です。
本堂の向かって右側で朱印いただけます。そして、七福神巡りのポスターもご丁寧に貼ってありました。
話が終わると中庭があったので撮りました。真ん中の手水鉢は水琴窟だそうです。
ここも普段から拝観はされてるようですが、住職さんがお留守の時は不可となります。今日は大人数でしたので、今度はゆっくり拝観したいですね。ただ住職さんが在宅がどうか微妙ですが・・・。
ここは眺望が素晴らしいので、スタッフの方も「是非見て行って」と言われたので展望所に行きました。ここからは京都在住の強みを発揮です
。
こちらは北西の方向で、手前に京都タワーが見えてて、そのずっと奥に愛宕山が見えていました。
こちらは北北東の方向で、比叡山が山頂だけ見えています。余談ですが、ここに来る途中JR嵯峨野線に乗って北を見ると、普段は見えない比叡山の奥が見えました。比良山系ですが、真っ白に雪化粧してて、強い寒気の到来を感じさせてくれました。
こちらは北の方向ですが、特徴のあるものが強い寒波によって雲空のため何も見えてません。見てても寒そうでしょう
。
15時25分頃に着いて、再び山門を出たのが15時45分頃でした。ここではたっぷりと時間を取ってもらった・・・朱印が遅れてたようですね。
山門を出ると、今度は階段を下って行きます。あの眺望の良さは高台にありましたから当然ですよね。
階段を降りて、ここまでやって来ました。実はこの角の近くには2番目に訪れた戒光寺があるんです。そうです、ここまで帰って来た訳です。
やっと次が最後です
。この時15時48分、このイベントの終了時間は予定では16時30分となっています。体調不良でしんどかったけど、ラストスパートです
。
【泉涌寺塔頭 悲田院 本堂】

「悲田院参道」と書かれた石標が目印です。月輪中学・・・確か同級生がここの出身だったので覚えました。最近校名が変更したんですね、知らなかったです。
この参道の突き当たりに朱塗りの山門が遠くに見えてきます。
この日8番目に訪れたのは泉涌寺塔頭 悲田院といい、泉涌寺 七福神めぐりでは毘沙門天をお参りします。
身寄りの無い老人や貧しい人、親のいない子供達を収容する福祉施設である悲田院は、難波京や平城京内に設けられ、平安京でも東西二箇所の悲田院が設けられました。悲田院と平安郷との関係は不明ですが、寺伝によると鎌倉時代の1308年(延慶元年)無人如導により安居院(上京区)に天台・真言・禅・浄土の四宗兼学の寺院として建立され、平安京の悲田院の名が引き継がれました。その後、戦乱により衰退しますが、1645年(正保2年)如周恵公が高槻城主永井直清の帰依により、この地に移し再興されました。幕末までは高槻藩の庇護の元に大いに栄えました。
ここでは由緒書きが無かったので、駒札から抜粋しました

本堂に入ると住職さんより簡単な案内がありました。表が開けてあるので寒さ・・・堪えます。よって、殆ど話が入ってきませんでした。堂内の一部屋奥に毘沙門天像がありましたが、見にくいことしきりです。横に行ったり下から見たりして頑張りましたが・・・見えない・・・です。
本堂の向かって右側で朱印いただけます。そして、七福神巡りのポスターもご丁寧に貼ってありました。
話が終わると中庭があったので撮りました。真ん中の手水鉢は水琴窟だそうです。
ここも普段から拝観はされてるようですが、住職さんがお留守の時は不可となります。今日は大人数でしたので、今度はゆっくり拝観したいですね。ただ住職さんが在宅がどうか微妙ですが・・・。
ここは眺望が素晴らしいので、スタッフの方も「是非見て行って」と言われたので展望所に行きました。ここからは京都在住の強みを発揮です

こちらは北西の方向で、手前に京都タワーが見えてて、そのずっと奥に愛宕山が見えていました。
こちらは北北東の方向で、比叡山が山頂だけ見えています。余談ですが、ここに来る途中JR嵯峨野線に乗って北を見ると、普段は見えない比叡山の奥が見えました。比良山系ですが、真っ白に雪化粧してて、強い寒気の到来を感じさせてくれました。
こちらは北の方向ですが、特徴のあるものが強い寒波によって雲空のため何も見えてません。見てても寒そうでしょう

15時25分頃に着いて、再び山門を出たのが15時45分頃でした。ここではたっぷりと時間を取ってもらった・・・朱印が遅れてたようですね。
山門を出ると、今度は階段を下って行きます。あの眺望の良さは高台にありましたから当然ですよね。
階段を降りて、ここまでやって来ました。実はこの角の近くには2番目に訪れた戒光寺があるんです。そうです、ここまで帰って来た訳です。
やっと次が最後です


【泉涌寺塔頭 悲田院 本堂】