京都十六社朱印めぐり わら天神へ
2月3日(水)は節分です。季節の変わり目で、翌日が立春で暦では春ですが、まだまだ寒いです。そして例年どおり節分は地元の天龍寺に行って、七福神巡りをしますが、その前に何カ所か回ってから行くことにしました。
最初は、京都十六社朱印巡りのわら天神に行きました。
わら天神には、嵐電「北野白梅町」駅を降りて、西大路通りを北上します。この西大路踊りは年末の高校駅伝、年始の都道府県対抗女子駅伝で、選手が駆け上がって行きますが、結構坂はきついです。そんな風に思いながら、約12分程度で石造の一の鳥居前に着きました。
鳥居の扁額には「わら天神宮」と架かってて、石標には「敷地神社」と社号が書いてあります。この謎は・・・。
正式には、敷地神社(しきちじんじゃ)と言い、安産の神として親しまれています。安産御守に「藁(わら)」があり、その藁に節があれば男児、節がなければ女児誕生との古くよりのめずらしい信仰が人々の人気を集めてて、通称「わら天神」で広く知られています。
鳥居を入ると西に進みます。ここには2005年(平成17年)に一度訪れているので、久し振り感はあります。京都十六社朱印巡りの幟も出てました。
西に進めば突き当たりになり、そして北に上がりますが、その前に次の二の鳥居が現れます。前の訪問が、10年以上前のことでしたが、徐々に思い出してきました。
鳥居をくぐると左手に手水舎がありました。ここは安産の神様で有名で、私らの後に来られた若い夫婦連れが、丁寧に手や口を清められてました。
その手水舎の前が社務所でした。9時頃に来ましたが、既に神職さんが座られてたので、先に朱印をいただきました。
ここで朱印を待っているの間に、後から来られた若い夫婦連れを見たわけです。この十六社朱印帳に11番目の朱印をいただきました。そしてMy朱印帳にも。これで残り五社となりました。
十六社は直ぐでしたが、朱印帳は少し時間がかかりました。順序は逆ですが、これからお参りです。境内はそんなに広くありません。
同じような摂社が多くて・・・どれが本殿か迷いましたが、木札で判断できました。階段をあがりお参りさせてもらいました。
この御利益は、安産、子授け、家内安全、災難厄除、開運必勝、心願成就とありました。御祭神は、木花開耶姫命(コノハナノサクヤヒメノミコト)です。
古くは北山の神として、大古山背国葛野郡衣笠村に降臨された天神地祇で、古くより土地の人々の信仰を集めていました。831年(天長8年)この地に氷室が設けられ、その夫役が加賀の国より移住し、その地で崇敬していた管生石部神の分霊を勧請して、子々孫々の氏神とすべく、北山の神の西隣に祀って、祭神を管生石部神の御母木花開耶姫命と定めます。1397年(応永4年)足利幕府3代将軍義満が西園寺北山殿を山荘として造営するに方り、参拝に不便になり、両社を合祀し、現在地に移転、1847年(弘化4年)の大補修、1935年(昭和10年)の改修を経て現在に至っています。
次ぎに東隣の摂社・六勝稲荷神社です。ここは試験合格の神として信仰されています。受検ではなく試験ですから、司法試験や公認会計士、税理士等の資格試験を受けられる方の参拝が多いとか。
御祭神は、倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)で、御利益は、開運必勝、試験合格、商売繁盛です。先程の若いカップルは、この神社で熱心にお参りされてました。安産じゃなかった。
六勝神社は、伊勢・石清水・賀茂・松尾・稲荷・春日の六柱神をお祀りした神社で、平安遷都の際に平野神社の地主神社として勧請されました。1873年(明治6年)敷地神社境内に遷座される際、「必勝」の意によって六勝神社に改められました。
次が末社の綾杉明神です。大木の幹が祀られてて、木札の由緒を読んでみると、1896年(明治29年)の暴風で倒壊したそうです。
樹齢千百年に及ぶ神木綾杉の霊を祀るもの。応仁の乱の兵火も逃れたのに、前途とした台風による暴風のため幹から2㍍の高さを残し、倒壊してしまいました。
これで帰っても仕方ないので、末社を巡ります。先ずは大山祇神社(おおやまつみじんじゃ)から。
御祭神は、大山祇神。御利益は、海上守護、農業守護、鉱山守護だそうです。大山祇神は、わら天神の御祭神木花開耶姫命の父神にあたります。
本殿の裏側から境内の東側に出てたら、は末社の八幡神社がありました。
御祭神は、応神天皇、神功皇后、比売大神(ヒメオオカミ)。御利益は、開運厄除、必勝。八幡宮は、神社ではよく見かけますね。
殆ど入って来られない境内をじっくり見たので、次ぎに向かうことにして、最初に紹介すればよかった神楽殿です。
ここにトラックが止まってて、退いてくれるのを待っててんですが、動かないので、トラックを避けて撮った一枚です。
「休憩所」と張り紙がしてあった、神具庫です。そう言えば今日は節分でした。何か行事があったのかなぁ・・・。
神楽殿から南を見ると、正面に見えてるのが二の鳥居で、左に社務所が見えています。時間も早かったからも知れませんが、殆ど入って来られません。
ここには、9時00分頃について9時10分に出ました。この日の目的は10時から特別拝観が始まる寺院です。まだ時間があるので、何カ所か回ります。
【わら天神 本殿】
最初は、京都十六社朱印巡りのわら天神に行きました。
わら天神には、嵐電「北野白梅町」駅を降りて、西大路通りを北上します。この西大路踊りは年末の高校駅伝、年始の都道府県対抗女子駅伝で、選手が駆け上がって行きますが、結構坂はきついです。そんな風に思いながら、約12分程度で石造の一の鳥居前に着きました。
鳥居の扁額には「わら天神宮」と架かってて、石標には「敷地神社」と社号が書いてあります。この謎は・・・。
正式には、敷地神社(しきちじんじゃ)と言い、安産の神として親しまれています。安産御守に「藁(わら)」があり、その藁に節があれば男児、節がなければ女児誕生との古くよりのめずらしい信仰が人々の人気を集めてて、通称「わら天神」で広く知られています。
鳥居を入ると西に進みます。ここには2005年(平成17年)に一度訪れているので、久し振り感はあります。京都十六社朱印巡りの幟も出てました。
西に進めば突き当たりになり、そして北に上がりますが、その前に次の二の鳥居が現れます。前の訪問が、10年以上前のことでしたが、徐々に思い出してきました。
鳥居をくぐると左手に手水舎がありました。ここは安産の神様で有名で、私らの後に来られた若い夫婦連れが、丁寧に手や口を清められてました。
その手水舎の前が社務所でした。9時頃に来ましたが、既に神職さんが座られてたので、先に朱印をいただきました。
ここで朱印を待っているの間に、後から来られた若い夫婦連れを見たわけです。この十六社朱印帳に11番目の朱印をいただきました。そしてMy朱印帳にも。これで残り五社となりました。
十六社は直ぐでしたが、朱印帳は少し時間がかかりました。順序は逆ですが、これからお参りです。境内はそんなに広くありません。
同じような摂社が多くて・・・どれが本殿か迷いましたが、木札で判断できました。階段をあがりお参りさせてもらいました。
この御利益は、安産、子授け、家内安全、災難厄除、開運必勝、心願成就とありました。御祭神は、木花開耶姫命(コノハナノサクヤヒメノミコト)です。
古くは北山の神として、大古山背国葛野郡衣笠村に降臨された天神地祇で、古くより土地の人々の信仰を集めていました。831年(天長8年)この地に氷室が設けられ、その夫役が加賀の国より移住し、その地で崇敬していた管生石部神の分霊を勧請して、子々孫々の氏神とすべく、北山の神の西隣に祀って、祭神を管生石部神の御母木花開耶姫命と定めます。1397年(応永4年)足利幕府3代将軍義満が西園寺北山殿を山荘として造営するに方り、参拝に不便になり、両社を合祀し、現在地に移転、1847年(弘化4年)の大補修、1935年(昭和10年)の改修を経て現在に至っています。
次ぎに東隣の摂社・六勝稲荷神社です。ここは試験合格の神として信仰されています。受検ではなく試験ですから、司法試験や公認会計士、税理士等の資格試験を受けられる方の参拝が多いとか。
御祭神は、倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)で、御利益は、開運必勝、試験合格、商売繁盛です。先程の若いカップルは、この神社で熱心にお参りされてました。安産じゃなかった。
六勝神社は、伊勢・石清水・賀茂・松尾・稲荷・春日の六柱神をお祀りした神社で、平安遷都の際に平野神社の地主神社として勧請されました。1873年(明治6年)敷地神社境内に遷座される際、「必勝」の意によって六勝神社に改められました。
次が末社の綾杉明神です。大木の幹が祀られてて、木札の由緒を読んでみると、1896年(明治29年)の暴風で倒壊したそうです。
樹齢千百年に及ぶ神木綾杉の霊を祀るもの。応仁の乱の兵火も逃れたのに、前途とした台風による暴風のため幹から2㍍の高さを残し、倒壊してしまいました。
これで帰っても仕方ないので、末社を巡ります。先ずは大山祇神社(おおやまつみじんじゃ)から。
御祭神は、大山祇神。御利益は、海上守護、農業守護、鉱山守護だそうです。大山祇神は、わら天神の御祭神木花開耶姫命の父神にあたります。
本殿の裏側から境内の東側に出てたら、は末社の八幡神社がありました。
御祭神は、応神天皇、神功皇后、比売大神(ヒメオオカミ)。御利益は、開運厄除、必勝。八幡宮は、神社ではよく見かけますね。
殆ど入って来られない境内をじっくり見たので、次ぎに向かうことにして、最初に紹介すればよかった神楽殿です。
ここにトラックが止まってて、退いてくれるのを待っててんですが、動かないので、トラックを避けて撮った一枚です。
「休憩所」と張り紙がしてあった、神具庫です。そう言えば今日は節分でした。何か行事があったのかなぁ・・・。
神楽殿から南を見ると、正面に見えてるのが二の鳥居で、左に社務所が見えています。時間も早かったからも知れませんが、殆ど入って来られません。
ここには、9時00分頃について9時10分に出ました。この日の目的は10時から特別拝観が始まる寺院です。まだ時間があるので、何カ所か回ります。
【わら天神 本殿】