京都十六社朱印めぐり 新熊野神社へ
京阪「東福寺」駅から瀧尾神社に寄りましたが、約15分程度で京都十六社朱印巡りの新熊野神社(いまくまのじんじゃ)に着きました。
東大路通りから境内に入りました。この新熊野神社には初訪問です。
鳥居をくぐると左手に楠の大木に目が行きますが、その先にあった手水舎に行きました。本殿に数名、社務所に数名朱印を待ってるようでした。
そして、本殿前に行き、お参りを済ませました。平安京の熊野信仰の聖地として創建され、この本殿は、1673年(寛文13年)に再建さたものです。
祭神は、熊野牟須美大神(くまのふさみのおおかみ)(伊邪那美・いざなみのみこと)で、熊野那智大社と同じ主祭神と同じです。
次ぎに社務所に行って朱印をいただきます。まだ先の人がまだ待っておられます。仕方ないので並ぶことに・・・なりました。
ここで京都十六社朱印巡りの朱印と、My朱印帳に朱印をいただき、由緒書きを50円でもらいました。無料でもいただけたんですが・・・。ここの神職さん・・・よく話されるんですね。それで時間がかかってたんだと思います。内容は書きませんが・・・
。
熊野信仰が盛んだった平安時代末期の1160年(永暦元年)に、後白河上皇によって、京のおける熊野信仰の地として創建されました。後白河上皇は、一生のうち34回も熊野に参詣されましたが、一般の都人は、そう簡単に熊野に行けなかったので、ながらく京の熊野信仰の中心として栄えました。
御朱印をいただいたあとは、境内を散策です。本殿の左右にはご神木の椥(なぎ)があり古来より同社は「梛の宮(なぎのみや)」とも呼ばれてました。
ご神鳥は、サッカーで有名になった「八咫烏」だそうです。熊野信仰では、自然そのものを神ととらえ自然の植物や動物を崇拝されるからです。
そして入口付近で気になった楠の大木です。聞けば創建当時に後白河上皇の、お手植えの楠だとか。樟社と呼ばれ、祭神は、樟大権現。横から中に入ってお参りできます。
「影向の大楠(ようごうのおおくすのき)」と呼ばれる大木で、「影向」とは、神仏か現れるという意味だそうです。
境内の西側へいくと、面白いもを見つけました。熊野古道と書いてありますが、京都にあるわけないのに・・・と思い・・・奥に進むと。
京の熊野古道入口と書いてあるので、どんなとこか興味津津で奥へ奥へ進んで行くと・・・。
だいたい、ここは京都の市街地ですで、そんな鬱蒼とした林があるわけないです。ようするに社殿北側を通って、東側の境内に出るようになってました。
左から若宮社で祭神は天照大神、右には下四社で、祭神は稚産霊命(わくむすびのみこと)、軻遇突智命(かぐつちのみこと)、埴山姫命(はにやまひめのみこと)、弥都波能売命(みづはめのみこと)とありました。
そんなに広くない境内は約20分弱いましたが、先を急ぐので次へと向かうことにしました。ここも十六社を回られてる方や、参拝される方など次々と来られてました。
最後に、大楠さんの「さすり木」をさすってきました。何か御利益がありそうで
。初めての新熊野神社の参拝を終わって、外に出ました。
再び、東大路通りに出て北上して次ぎに向かいました。
【新熊野神社 本殿】

東大路通りから境内に入りました。この新熊野神社には初訪問です。
鳥居をくぐると左手に楠の大木に目が行きますが、その先にあった手水舎に行きました。本殿に数名、社務所に数名朱印を待ってるようでした。
そして、本殿前に行き、お参りを済ませました。平安京の熊野信仰の聖地として創建され、この本殿は、1673年(寛文13年)に再建さたものです。
祭神は、熊野牟須美大神(くまのふさみのおおかみ)(伊邪那美・いざなみのみこと)で、熊野那智大社と同じ主祭神と同じです。
次ぎに社務所に行って朱印をいただきます。まだ先の人がまだ待っておられます。仕方ないので並ぶことに・・・なりました。
ここで京都十六社朱印巡りの朱印と、My朱印帳に朱印をいただき、由緒書きを50円でもらいました。無料でもいただけたんですが・・・。ここの神職さん・・・よく話されるんですね。それで時間がかかってたんだと思います。内容は書きませんが・・・

熊野信仰が盛んだった平安時代末期の1160年(永暦元年)に、後白河上皇によって、京のおける熊野信仰の地として創建されました。後白河上皇は、一生のうち34回も熊野に参詣されましたが、一般の都人は、そう簡単に熊野に行けなかったので、ながらく京の熊野信仰の中心として栄えました。
御朱印をいただいたあとは、境内を散策です。本殿の左右にはご神木の椥(なぎ)があり古来より同社は「梛の宮(なぎのみや)」とも呼ばれてました。
ご神鳥は、サッカーで有名になった「八咫烏」だそうです。熊野信仰では、自然そのものを神ととらえ自然の植物や動物を崇拝されるからです。
そして入口付近で気になった楠の大木です。聞けば創建当時に後白河上皇の、お手植えの楠だとか。樟社と呼ばれ、祭神は、樟大権現。横から中に入ってお参りできます。
「影向の大楠(ようごうのおおくすのき)」と呼ばれる大木で、「影向」とは、神仏か現れるという意味だそうです。
境内の西側へいくと、面白いもを見つけました。熊野古道と書いてありますが、京都にあるわけないのに・・・と思い・・・奥に進むと。
京の熊野古道入口と書いてあるので、どんなとこか興味津津で奥へ奥へ進んで行くと・・・。
だいたい、ここは京都の市街地ですで、そんな鬱蒼とした林があるわけないです。ようするに社殿北側を通って、東側の境内に出るようになってました。
左から若宮社で祭神は天照大神、右には下四社で、祭神は稚産霊命(わくむすびのみこと)、軻遇突智命(かぐつちのみこと)、埴山姫命(はにやまひめのみこと)、弥都波能売命(みづはめのみこと)とありました。
そんなに広くない境内は約20分弱いましたが、先を急ぐので次へと向かうことにしました。ここも十六社を回られてる方や、参拝される方など次々と来られてました。
最後に、大楠さんの「さすり木」をさすってきました。何か御利益がありそうで

再び、東大路通りに出て北上して次ぎに向かいました。
【新熊野神社 本殿】