京都十六社朱印めぐり 粟田神社へ

尊勝院を出て、急な石段を一気に下ります。行きはタクシーて来たのに・・・道を間違えられて踏んだり蹴ったりです。とんだロスタイムに怒り心頭・・・でもないです。怪我の功名で尊勝院に行けたしね

とんだ回り道をしましたが、本日最後の訪問である京都十六社朱印巡り粟田神社に着きました。しかし本殿は階段を上がった先にあります。先程急な階段を登ってきたばりですが・・・とりあえず石造鳥居をくぐります。

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ここの扁額は、旧社名の「感神院新宮」が架かっています。ここも刀剣女子に人気があって、朱印巡りの若女性が訪れていました。

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鳥居の先には手書きの案内板があって、真っ直ぐ石段を登ると本殿へ。右に行きば尊勝院への道順が、そして左に行けば鍛冶神社への道順が書いてありました。鍛冶神社は本殿のあとお参りします。

ゆっくり石段の階段を上がりました。ここの階段は緩やかに登ってるので、そんなに疲れません。そいて登り切るる一歩手前には神馬像がありました。

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神様がお乗りになる馬として、古から神社は馬を飼ってたそうで、そう言えば神社ではよく見かけますね。今日訪れた藤森神社にもありました。

階段を上がると手前に社務所がありますが、それは後程。先ずは空いてる間に本殿にお参りです。先ずは手水舎を探すと・・・。

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立札に「自動式、近づくと水がでます」と書いてありました。センサー付きとは、現代的と言うか・・・中々面白い

次ぎに境内の中央に位置する拝殿です。拝殿は2009年(平成21年)に檜皮葺の屋根を葺き替え美しい姿が蘇っています。

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ここの正面が本殿です。ただ境内は空いてたんですが、お参りする人が途切れなくて・・・待ちました。ここ粟田神社には初めて訪れました。近くの粟粟田山荘までは来てたんですが。

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祭神は、【主座】素戔嗚尊(スサノオノミコト)、大己貴命(オオナムチノミコト) 【左座】八大王子命(ハチダイオウジノミコト) 【右座】奇稲田媛命(クシイナダナヒメノコミト)、神大市媛命(カムオオイチヒメノミコト)、佐須良媛命(サスラヒメノミコト) です。(2017年1月追記 訪問時本殿の柵が取り払われてて中の随神を見ることができました。)

876年(貞観18年)の平安時代に国家と民の安全を祈願する為に全国の諸神へ勅使が遣わされました。その際従五位上出羽守藤原興世は祇園社(現 八坂神社)にて七日七晩祈願されました。その満願の夜、興世の枕元に老翁のお姿の大己貴命が神託を告げられました。興世は神意なりと朝廷に秦上し、勅命により社を建てて御神霊をお祀りされましたのが粟田神社の始まりとされています。また一説には、五代孝昭天皇の分かれである粟田氏が此地を治めていた時に氏神として当社を創建したとも云われています。創建以来、京都の東の出入り口である粟田口に鎮座し、街道を行き交う人々の信仰を集め、旅立ち守護(旅行安全)厄除の神様として知られています。

お参りを済ませたら次ぎに社務所で朱印です。 ご覧の通りここも刀剣女子に人気の神社のため、数名朱印待ちされています。

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ここで十六社朱印巡りの朱印(9個目)とMy朱印帳に御朱印をいただきました。そして・・・いつものように由緒書きも・・・言えばいただけました。

ここに着いたのがちょうど12時てしたが、これだけでは帰りません。境内をゆっくり散策です。先ずは摂社の北向稲荷神社から。

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由緒によると、ここの御祭神が雪丸稲荷他三座で、雪丸稲荷は三条小鍛冶宗近(平安末期の名刀匠)が一条院の勅命により剣を打つ際に相槌を打ったお稲荷さんと云われています。

やっと刀剣の話が出てきました。刀剣と縁が深いのでしょうか興味が湧いてきました。その横には末社の太郎兵衛神社で、面白いと言うか変わった名前に興味が

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青蓮院の御門の西に奉祀されていた土地の守り神だそうです。ここは境内の南側にあり、お隣の北向稲荷神社は、文字通り北に向いてました

今度は境内の南東・・・本殿の南側に移動し、吉兵衛神社です。見た所まだ新しいような・・・そんな風に受けました。
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三条神宮道辺りにあった青蓮院の御門の東に奉祀されていた土地の守り神。先程の太郎兵衛神社が西でしたね。太郎兵衛さんと吉兵衛さん・・・多分・・・誰かの名前でしょうね

次が本殿の裏側・・・境内のもっとも東に移動し摂社の出世恵比須神社です。ここた木札に由緒が書いてありました。

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祭神は、蛭子大神。創建年代は不詳。もとは三条蹴上の夷谷に奉祀されていました。源九郎義経が牛若丸の幼少時代に奥州下向の時、源家再興の祈願をされた恵美須神であり、出世又は門出恵美須と称されました。

次ぎに末社の大神宮です。

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大神宮は元々、青蓮院の坊官である鳥居小路家の旧宅地の鎮護神でしたが、明治になって粟田神社の境内に遷座されました。現在は八幡神と春日神が両脇に配されています。

ここの摂社と末社を巡ると、昨年秋の紅葉時に訪れた青蓮院に行った帰り、地下鉄「東山」駅近くで「坂本龍馬 お龍の結婚式場跡」を見ました。それは青蓮院塔頭跡でしたので、当時の青蓮院の敷地の広さに驚いた次第です。また、今日も青蓮院の名が度々出てくるので、改め明治以前の青蓮院の規模を知ることができました。

ここの末社の最後が多賀社朝日天満宮の社です。

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多賀社ぱ、多賀大社の御分霊を祀り、御利益は縁結び・長寿です。朝日天満宮の祭神は、菅原道真で当然です。御利益も学問の神様ですので、どの天満宮も同じ・・・ですね。

最後に展望です。先程の尊勝院も綺麗でしたが、ここはもっと見晴らしが良いです。ベンチに座って休憩もできますが、さすがに寒いので・・・

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真ん中の写真では、平安神宮の赤い鳥居が見えていますし、下の写真の左端には、比叡山の山頂が確認できます。

これで降りようと思ったら、能舞台を見つけました。多分・・・能舞台で・・・しょうね・・・狂言・・・かも

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今年の干支である申の置物・・・多分・・・紙で造られてたものと思います。場所は境内の南西角あたりでしょう。

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そこから階段を下る前に、社務所の入口を見ると、「京都刀剣朱印巡り」のポスターが貼ってありました。豊国神社・藤森神社・粟田神社・建勲神社の四社を巡るものです。本日、三社を巡ったので、噂通りの人気を納得しました。

ここを登る前に案内した通り、鍛冶神社に参ります。この粟田神社の摂社である小さいな神社にも若い女性のグループが訪問してて暫く待ちました。

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木札によると。京の七口の一つとして知られる粟田口の刀工、三条小鍛冶宗近・粟田口藤四郎吉光と、作金者(かなだくみ)の祖である天目一筒神を祭神に祀られてる神社で、どうりで刀剣女子がお参り来てるはずです。

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境内には、明治天皇の歌碑「太刀」がありました。「真心を こめて錬ひし たちこそは 乱れぬくにの まもりなり けれ」と・・・書いてある・・・みたいです。(読めませんでした)

鍛冶神社を出て、そのまま三条通りに向かいます。次の地下鉄東西線「東山」駅を考えると、少しだけ・・・ほんの少しだけ遠回りになりますが、そこには粟田神社の玄関口があったからです。

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ここの鳥居には「粟田神社」の扁額が架かってました。社号の石標も大きくて、ここから参拝するのが基本なのでしょう。

京の七口の一つ、粟田口。鞍馬口や荒神口、丹波口とならび現在でも使われてる地名ですが、その粟田口ゆかりの神社を参拝できました。京都市をくまなく散策できるのが、この京都十六社朱印巡りの魅力ですね。この日は所用のため、昼も取らずに「東山」駅から帰宅しました。帰宅したらまた、晴れてきたのには笑ってしまいましたが、さすがに雨男です

【粟田神社 拝殿】



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  • 2017年(平成29年) 京都十六社朱印めぐり 新熊野神社・粟田神社へ

    Excerpt: 藤森神社を出て、次ぎに京阪に乗って「東福寺駅」で下車し、途中“瀧尾神社”(後日アップします)を経由して新熊野神社(いまくまのじんじゃ)に着きました。 Weblog: 古寺とお城の旅日記Ⅱ racked: 2017-01-29 02:15
  • 2018年(平成30年) 京都十六社朱印めぐり

    Excerpt: 2018年(平成30年)の年頭に、今年も「京都十六社朱印めぐり」に行きました。1月6日(土)と7日(日)で回りきることができましたので、先ずはダイジェスト版<img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/07_quesmark.gif" />で<img class="emoji" src="https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/webry/01_warai_a.gif" />。 Weblog: 古寺とお城の旅日記Ⅱ racked: 2018-01-27 02:44