京都十六社朱印めぐり 春日神社へ
前日の1月16日(土)には、京都十六社朱印巡りを六箇所巡りました。そして翌日は休養日の予定が、30年以上来ていたコートがついにボロボロになって・・・買いに行くことに・・・。そのついでに京都十六社朱印巡りの春日神社(かすがじんじゃ)に寄りました。
春日神社のある西院は、私が生まれ育った壬生に近くて、地元のようなものです。春日神社ももちろん知ってましたが、こうして参拝に来たのは多分、初めてだと記憶しています。
この日は午前中ゆっくしてたので、着いたのは15時を過ぎてたかも知れません。勝手知ったる西院の地で地図は不要です。本当は16社の最後に行く予定にしてましたが、急遽買い物が入ったので、ついでに来てしまいました。
道路標識では"佐井通り"と書いてありますが、子供の頃から春日通りと呼んでたので、ここでも春日通りと呼びます。四条通りから、その春日通りを北上すると西側に「春日神社」と書かれた社号の石標と大きな石造鳥居が見えてきます。
春日通りから最初の大きな鳥居をくぐると、つぎにまた石造鳥居があります。夕日が眩しいのは分かってたので、十六社の最後、午前中に行く予定にしてたんです。
この鳥居をくぐると直ぐの右手に社務所がありました。お一人朱印をされてたのが遠目から見えてましたが、着くと中には誰もおられません。
ここでベルを押したら中から神職さんが出てこれ、京都十六社とMy朱印帳に御朱印をいただきました。これで10箇所目です。残り六箇所になりました。
ここでは朱印を先にいただきましたが、これかお参りです。手水舎があって、その横の蛙に目が行きました。
一願蛙と書いてありました。水を掛けてお祈りをすと叶うという。よく見ると親蛙の上にが二匹が乗ってます。
本殿は境内の北にあり、夕日を浴びて近所の子供達が遊んでましたし、散歩のついでにお参りに来られる方など、いろいろです。
御祭神は、建御賀豆智命(タケミカヅチノミコト)、伊波比主命(イワイヌシノミコト)、天児屋根命(アメノコヤネノミコト)、比売神(ヒメガミ)が祀られています。
835年(天長10年)淳和天皇が仁明天皇に皇位を譲られ退位される際に淳和院離宮(別名西院・この付近の地名である西院の由来となった)に移られました。この時、奈良の春日大社から分霊をお迎えし、淳和院の守護神とされたことが始まりです。
その淳和院の礎石が境内に残ってました。
今は住宅地、阪急「西院」駅あたりは商業地になってて、かつて離宮だったとは想像できないです。
本殿前には拝殿があって、ここの撮影に一番苦労しました。前途のとおり子供達が遊んでて、退いてくれとは言えないし・・・。
この拝殿したには、砂が敷かれてて砂紋が描かれてました。ですから中に入ることはできなくなってました。
こちらは社務所ですが、注目はその前です。藤棚があって、その頃には見事に咲くそうです。
毎年4月29日の夕刻には、藤花祭が行われます。平安時代より宮中で行なわれた「藤花ノ宴」に因み、御神前に焚かれたかがり火の中で荘厳な雅楽の調べと共に執り行われます。
あと境内を見渡すと、能舞台がありました。近づいて案内を読むと・・・Wi-Fi使えますと・・・ここだけ現代的・・・でした。
こちらは境内西側にある仁孝天皇(にんこうてんのう第120代天皇)御胞衣塚(おえなづか)がありました。
1800年(寛政12年)仁孝天皇ご誕生の折、吉方にあたる春日神社を選ばれ、御胞衣(おえな)を埋蔵されました・・・と書いてありました。
次ぎに境内社を散策です。先ずは還来神社(もどろき)からお参りです。
御祭神は、淳和天皇(じゅんなてんのう・第53代天皇)皇后正子(しょうこ)内親王命、藤原旅子(たびこ)命、橘嘉智子(かちこ)命、古くから旅行安全の神として信仰されています。
こちらは右から猿田彦社(御祭神:猿田彦命、宇豆女命)、天満宮(菅原道真)、太元宮(天御中主神)、金刀比羅宮(大物主神、崇徳天皇)です。
その横には稲荷大明神で御祭神は宇賀御魂命(ウカノミタマノコミト)と辨財天で御祭神は市杵島姫命(イチキシマヒメ)、田心姫命(タコリヒメノミコト)、湍津姫命 (タギツヒメノミコト).
さらに奥へすすむと西院宮(左、御祭神は清和天皇)と住吉社《右、御祭神は底筒男命(ソコツツノオノミコト)、中筒男命(ナカツツノオノミコト)、表筒男命(ウワツツノオノミコト)、大帯姫命(オオタラシヒメノミコト)》が並んでありました。
最後に正面に戻って、春日若宮社で祭神は天押雲根命(アメノオシクモネノミコト)です。
ここには15分程度いました。そんなに広い境内でもないしね。ただ西院 春日神社では、毎月1日、11日、15日には、病気平癒の霊石『疱瘡石』が公開されるので、またお参りに来たいと思います。
帰りは西側の鳥居から出ました。次に向かうお店には西側から出た方が近かったからです。若かった頃に、この辺りをよく通ったので、細い裏道ですが、久し振りに通りました。
これて京都十六社朱印巡りも10箇所となりました。これでこの先、丸太町通りより北側に位置する神社しか残っていません。残りは6箇所を一日で回りきるか、二日程度余裕をみるか思案中です。
【春日神社 本殿】
春日神社のある西院は、私が生まれ育った壬生に近くて、地元のようなものです。春日神社ももちろん知ってましたが、こうして参拝に来たのは多分、初めてだと記憶しています。
この日は午前中ゆっくしてたので、着いたのは15時を過ぎてたかも知れません。勝手知ったる西院の地で地図は不要です。本当は16社の最後に行く予定にしてましたが、急遽買い物が入ったので、ついでに来てしまいました。
道路標識では"佐井通り"と書いてありますが、子供の頃から春日通りと呼んでたので、ここでも春日通りと呼びます。四条通りから、その春日通りを北上すると西側に「春日神社」と書かれた社号の石標と大きな石造鳥居が見えてきます。
春日通りから最初の大きな鳥居をくぐると、つぎにまた石造鳥居があります。夕日が眩しいのは分かってたので、十六社の最後、午前中に行く予定にしてたんです。
この鳥居をくぐると直ぐの右手に社務所がありました。お一人朱印をされてたのが遠目から見えてましたが、着くと中には誰もおられません。
ここでベルを押したら中から神職さんが出てこれ、京都十六社とMy朱印帳に御朱印をいただきました。これで10箇所目です。残り六箇所になりました。
ここでは朱印を先にいただきましたが、これかお参りです。手水舎があって、その横の蛙に目が行きました。
一願蛙と書いてありました。水を掛けてお祈りをすと叶うという。よく見ると親蛙の上にが二匹が乗ってます。
本殿は境内の北にあり、夕日を浴びて近所の子供達が遊んでましたし、散歩のついでにお参りに来られる方など、いろいろです。
御祭神は、建御賀豆智命(タケミカヅチノミコト)、伊波比主命(イワイヌシノミコト)、天児屋根命(アメノコヤネノミコト)、比売神(ヒメガミ)が祀られています。
835年(天長10年)淳和天皇が仁明天皇に皇位を譲られ退位される際に淳和院離宮(別名西院・この付近の地名である西院の由来となった)に移られました。この時、奈良の春日大社から分霊をお迎えし、淳和院の守護神とされたことが始まりです。
その淳和院の礎石が境内に残ってました。
今は住宅地、阪急「西院」駅あたりは商業地になってて、かつて離宮だったとは想像できないです。
本殿前には拝殿があって、ここの撮影に一番苦労しました。前途のとおり子供達が遊んでて、退いてくれとは言えないし・・・。
この拝殿したには、砂が敷かれてて砂紋が描かれてました。ですから中に入ることはできなくなってました。
こちらは社務所ですが、注目はその前です。藤棚があって、その頃には見事に咲くそうです。
毎年4月29日の夕刻には、藤花祭が行われます。平安時代より宮中で行なわれた「藤花ノ宴」に因み、御神前に焚かれたかがり火の中で荘厳な雅楽の調べと共に執り行われます。
あと境内を見渡すと、能舞台がありました。近づいて案内を読むと・・・Wi-Fi使えますと・・・ここだけ現代的・・・でした。
こちらは境内西側にある仁孝天皇(にんこうてんのう第120代天皇)御胞衣塚(おえなづか)がありました。
1800年(寛政12年)仁孝天皇ご誕生の折、吉方にあたる春日神社を選ばれ、御胞衣(おえな)を埋蔵されました・・・と書いてありました。
次ぎに境内社を散策です。先ずは還来神社(もどろき)からお参りです。
御祭神は、淳和天皇(じゅんなてんのう・第53代天皇)皇后正子(しょうこ)内親王命、藤原旅子(たびこ)命、橘嘉智子(かちこ)命、古くから旅行安全の神として信仰されています。
こちらは右から猿田彦社(御祭神:猿田彦命、宇豆女命)、天満宮(菅原道真)、太元宮(天御中主神)、金刀比羅宮(大物主神、崇徳天皇)です。
その横には稲荷大明神で御祭神は宇賀御魂命(ウカノミタマノコミト)と辨財天で御祭神は市杵島姫命(イチキシマヒメ)、田心姫命(タコリヒメノミコト)、湍津姫命 (タギツヒメノミコト).
さらに奥へすすむと西院宮(左、御祭神は清和天皇)と住吉社《右、御祭神は底筒男命(ソコツツノオノミコト)、中筒男命(ナカツツノオノミコト)、表筒男命(ウワツツノオノミコト)、大帯姫命(オオタラシヒメノミコト)》が並んでありました。
最後に正面に戻って、春日若宮社で祭神は天押雲根命(アメノオシクモネノミコト)です。
ここには15分程度いました。そんなに広い境内でもないしね。ただ西院 春日神社では、毎月1日、11日、15日には、病気平癒の霊石『疱瘡石』が公開されるので、またお参りに来たいと思います。
帰りは西側の鳥居から出ました。次に向かうお店には西側から出た方が近かったからです。若かった頃に、この辺りをよく通ったので、細い裏道ですが、久し振りに通りました。
これて京都十六社朱印巡りも10箇所となりました。これでこの先、丸太町通りより北側に位置する神社しか残っていません。残りは6箇所を一日で回りきるか、二日程度余裕をみるか思案中です。
【春日神社 本殿】