第50回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開 東福寺塔頭 即宗院へ
東福寺には日下門を通って入りました。そこから通天橋の拝観受付所や方丈庭園入口などは横目に見て、そのまま境内東の奥に進みます。
今日の目的は、この先を曲がった先にあります。その手前には偃月橋が架かっており、橋の突き当たりが国宝・龍吟庵です。
その龍吟庵の手前を東に行くと、そこには通常非公開の東福寺塔頭 即宗院があって、6年振りに第50回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開で公開されました。
前回2010年に公開された時に来たので、私も6年振りの訪問です。階段の上、山門の前に拝観受付がありました。
今年の「冬の旅」五箇所目ですが、初めて拝観料600円を払いました。今まで招待券でしたので。これで合計5つスタンプを集めたので、「おおきにキャンペーン」に応募できます。抽選ですので、当たるかあ当たらないかは運まかせ。
6年前は、山門前で案内がありましたが、今回は無かったので、私が案内します。この地井さん山門にも仁王像があるんですが、それが石造りなんです。
東福寺の塔頭寺院の中で、山門に仁王像を安置しているのは、即宗院だけとか。石造りの仁王像は、薩摩でよく見られるそうで、即宗院が薩摩藩ゆかりの寺であることが分かります。
前回は素通りしようとしたら、ガイドさんに呼び止められたんです。案内が無いと存在すら分からないですよね。山門を入ると、次ぎに中門があるので、それもくぐります。
すると左手に本堂が見えます。本堂と言っても普通の家みたいな造りです。拝観は、その本堂に入ることになりますが、先に庭を見ることにしました。
前方に門が見えます。その門を入ると前方には書院が見えました。
6年前の拝観と同じく、これより先は行けません。今回も庭の散策もできないようですね、残念。
一度、秋の公開で訪問したかったんですが、後程聞くガイドさんの話では、昨年の秋に6年振りに公開されたようです。知らなかった・・・またしても・・・残念。
ここに来るまで、断片的な記憶しか残っていませんでしたが、前回の間の悪い案内だったことなど・・・思い出しました。そんなことで、本堂に入ることにしました。
本堂内には、多くの椅子が置いてあって、座ってガイドさんの話を聞きました。堂内や寺宝の撮影は禁止されてました。ただ庭に向けてはOKでしたので、ガラス越しですが綺麗に撮れました。
1387年(嘉慶元年)薩摩の守護大名であった島津氏久の菩提を弔うために創建され、江戸時代に島津義久が再興して以来、薩摩藩の菩提寺として、厚い庇護を受けました。幕末には、薩摩藩士・西郷隆盛と、勤王僧・月照上人(清水寺成就院)とひそかんに倒幕の計画を練った採薪亭(さいしんてい)は、即宗院にありました。
話が終わり、先ずはご本尊にお参りしました。そして間近で寺宝、特に西郷隆盛ゆかりの品を見せて貰ったら、次ぎに書院に移動です。
ここは前回の記憶がありませんでした。一面ガラス張りの部屋で、ここも椅子に座って案内を聞きました。ここは主に庭の案内です。
ただ案内の前にハプニングが発生。一人のご老人が、立ち入り禁止の庭に入って、写真を撮ってて・・・慌てて案内の人が走って行かれ、「ここは立ち入り禁止ですので・・・」「パンフレットには庭の写真が載ってるやないか・・・」と。結局退場させられましたが、とんだ迷惑行為でしたね。
東福寺を造営した九条道家の祖父にあたる関白・藤原兼実の山荘「月輪殿」の跡地にあたり、深い森を背にした苔の美しい池泉式庭園は、その跡地にあります。滝跡の石組や「心」の字を形どった池の地割に山荘時代の名残をとどめていて、京都市の名勝に指定されています。
案内では、この広い庭園を、ご住職お一人で手入れされてるとか、ご苦労様です。約5名~6名程度で話を聞いてましたが、案内が終わると、再び本堂から靴を履いて東征戦亡碑を見に行きます。
前回行ったので、覚えてました。一応、看板は出てますが・・・しかし、この時点では、向かったのは私、一人だけ・・・でした。
庭園の外餅を回り込むように石畳みが続いています。結構、奥へ奥へと進んで行きます。歩く度に前回のことを思い出しました。
確か・・・上り坂があった・・・筈と思いながら歩いて行くと、次ぎに看板が出てました。そこには古井戸があって、6年前に見た光景を確実に思い出してました。
ここまでは、庭園の外餅を回り込むように緩やかに上がってましたが・・・その先は・・・。
ここから上り坂が始まります。急ではありませんが、石階段を上がって行きますが、私一人だけでしたが、寂しいもんですね。
その石段の横には、五百羅漢像などを横目に皆から、急いで上がって行きます。私にとって、五百羅漢は珍しくないので、先を急いだ次第・・・です。
登り切ったと思ったら、右手にまだまだ階段があって、その先がゴールのようです。その手前には鳥居もありました。
鳥居の横には「京都 鹿児島県人会」の石標と、手水鉢がありました。ここから先、前回は、あまりにもガイドさんの段取りか悪く、皆で話を聞かずに引き返したことまで思い出しました。
西郷隆盛の自筆「薩摩藩士東征戦亡之碑」に、やっと着きました。下から4分もかかった訳です。ここではガイドさんは一人でしたが、着いても何も案内はありません。
案内がないので、こちらから質問しました。下で聞いた案内で、「西郷の文字が読み取れると」聞いたからで、「何処ですか」と尋ねた訳です。そしたら、教えてもらいました。
上段左から四人目に「西郷吉次郎隆廣」の名が刻まれています。西郷隆盛の弟に当たるわけです。
西郷隆盛が倒幕後に、明治維新の戦死者を弔うために西郷自ら薩摩藩士524名の名を刻んだ「東征戦亡の碑」が建っています。
東福寺 即宗院(とうふくじ そくしゅういん)京の冬の旅6年ぶりの公開
ここを降りるときに、書院で話を聞いて人達とすれ違いました。一人でゆっくり見られ先行して良かったです。6年振りの即宗院を楽しみましたが、次はやっぱり秋の紅葉で、庭園内を散策したいですね。
即宗院を出て、同じく「京の冬の旅」で公開されてる三門や、通常公開されてる方丈庭園はスルーして、再び同聚院の前を通ります。そこから泉涌寺を目指しますが、東大路通りに出ると遠回りになるので、反対側の京都市立日吉ヶ丘高校の校舎を回り込むように登って行きます。かなりきつい上り坂ですが、即宗院から約20分で、泉涌寺七福神巡りで訪れた悲田院の門前に出てきました。もうここまで来たら安心して、次の目的に向かいました。
【東福寺塔頭 即宗院 書院】
今日の目的は、この先を曲がった先にあります。その手前には偃月橋が架かっており、橋の突き当たりが国宝・龍吟庵です。
その龍吟庵の手前を東に行くと、そこには通常非公開の東福寺塔頭 即宗院があって、6年振りに第50回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開で公開されました。
前回2010年に公開された時に来たので、私も6年振りの訪問です。階段の上、山門の前に拝観受付がありました。
今年の「冬の旅」五箇所目ですが、初めて拝観料600円を払いました。今まで招待券でしたので。これで合計5つスタンプを集めたので、「おおきにキャンペーン」に応募できます。抽選ですので、当たるかあ当たらないかは運まかせ。
6年前は、山門前で案内がありましたが、今回は無かったので、私が案内します。この地井さん山門にも仁王像があるんですが、それが石造りなんです。
東福寺の塔頭寺院の中で、山門に仁王像を安置しているのは、即宗院だけとか。石造りの仁王像は、薩摩でよく見られるそうで、即宗院が薩摩藩ゆかりの寺であることが分かります。
前回は素通りしようとしたら、ガイドさんに呼び止められたんです。案内が無いと存在すら分からないですよね。山門を入ると、次ぎに中門があるので、それもくぐります。
すると左手に本堂が見えます。本堂と言っても普通の家みたいな造りです。拝観は、その本堂に入ることになりますが、先に庭を見ることにしました。
前方に門が見えます。その門を入ると前方には書院が見えました。
6年前の拝観と同じく、これより先は行けません。今回も庭の散策もできないようですね、残念。
一度、秋の公開で訪問したかったんですが、後程聞くガイドさんの話では、昨年の秋に6年振りに公開されたようです。知らなかった・・・またしても・・・残念。
ここに来るまで、断片的な記憶しか残っていませんでしたが、前回の間の悪い案内だったことなど・・・思い出しました。そんなことで、本堂に入ることにしました。
本堂内には、多くの椅子が置いてあって、座ってガイドさんの話を聞きました。堂内や寺宝の撮影は禁止されてました。ただ庭に向けてはOKでしたので、ガラス越しですが綺麗に撮れました。
1387年(嘉慶元年)薩摩の守護大名であった島津氏久の菩提を弔うために創建され、江戸時代に島津義久が再興して以来、薩摩藩の菩提寺として、厚い庇護を受けました。幕末には、薩摩藩士・西郷隆盛と、勤王僧・月照上人(清水寺成就院)とひそかんに倒幕の計画を練った採薪亭(さいしんてい)は、即宗院にありました。
話が終わり、先ずはご本尊にお参りしました。そして間近で寺宝、特に西郷隆盛ゆかりの品を見せて貰ったら、次ぎに書院に移動です。
ここは前回の記憶がありませんでした。一面ガラス張りの部屋で、ここも椅子に座って案内を聞きました。ここは主に庭の案内です。
ただ案内の前にハプニングが発生。一人のご老人が、立ち入り禁止の庭に入って、写真を撮ってて・・・慌てて案内の人が走って行かれ、「ここは立ち入り禁止ですので・・・」「パンフレットには庭の写真が載ってるやないか・・・」と。結局退場させられましたが、とんだ迷惑行為でしたね。
東福寺を造営した九条道家の祖父にあたる関白・藤原兼実の山荘「月輪殿」の跡地にあたり、深い森を背にした苔の美しい池泉式庭園は、その跡地にあります。滝跡の石組や「心」の字を形どった池の地割に山荘時代の名残をとどめていて、京都市の名勝に指定されています。
案内では、この広い庭園を、ご住職お一人で手入れされてるとか、ご苦労様です。約5名~6名程度で話を聞いてましたが、案内が終わると、再び本堂から靴を履いて東征戦亡碑を見に行きます。
前回行ったので、覚えてました。一応、看板は出てますが・・・しかし、この時点では、向かったのは私、一人だけ・・・でした。
庭園の外餅を回り込むように石畳みが続いています。結構、奥へ奥へと進んで行きます。歩く度に前回のことを思い出しました。
確か・・・上り坂があった・・・筈と思いながら歩いて行くと、次ぎに看板が出てました。そこには古井戸があって、6年前に見た光景を確実に思い出してました。
ここまでは、庭園の外餅を回り込むように緩やかに上がってましたが・・・その先は・・・。
ここから上り坂が始まります。急ではありませんが、石階段を上がって行きますが、私一人だけでしたが、寂しいもんですね。
その石段の横には、五百羅漢像などを横目に皆から、急いで上がって行きます。私にとって、五百羅漢は珍しくないので、先を急いだ次第・・・です。
登り切ったと思ったら、右手にまだまだ階段があって、その先がゴールのようです。その手前には鳥居もありました。
鳥居の横には「京都 鹿児島県人会」の石標と、手水鉢がありました。ここから先、前回は、あまりにもガイドさんの段取りか悪く、皆で話を聞かずに引き返したことまで思い出しました。
西郷隆盛の自筆「薩摩藩士東征戦亡之碑」に、やっと着きました。下から4分もかかった訳です。ここではガイドさんは一人でしたが、着いても何も案内はありません。
案内がないので、こちらから質問しました。下で聞いた案内で、「西郷の文字が読み取れると」聞いたからで、「何処ですか」と尋ねた訳です。そしたら、教えてもらいました。
上段左から四人目に「西郷吉次郎隆廣」の名が刻まれています。西郷隆盛の弟に当たるわけです。
西郷隆盛が倒幕後に、明治維新の戦死者を弔うために西郷自ら薩摩藩士524名の名を刻んだ「東征戦亡の碑」が建っています。
東福寺 即宗院(とうふくじ そくしゅういん)京の冬の旅6年ぶりの公開
ここを降りるときに、書院で話を聞いて人達とすれ違いました。一人でゆっくり見られ先行して良かったです。6年振りの即宗院を楽しみましたが、次はやっぱり秋の紅葉で、庭園内を散策したいですね。
即宗院を出て、同じく「京の冬の旅」で公開されてる三門や、通常公開されてる方丈庭園はスルーして、再び同聚院の前を通ります。そこから泉涌寺を目指しますが、東大路通りに出ると遠回りになるので、反対側の京都市立日吉ヶ丘高校の校舎を回り込むように登って行きます。かなりきつい上り坂ですが、即宗院から約20分で、泉涌寺七福神巡りで訪れた悲田院の門前に出てきました。もうここまで来たら安心して、次の目的に向かいました。
【東福寺塔頭 即宗院 書院】