等持院の鎮守社であった六請神社へ

眞如寺を出て、次ぎに西隣の六請神社(ろくしょう じんじゃ)に行きました。当初はその存在すら知らなかった神社でしたが、地図を見てて眞如寺の帰りにでも寄ろうと計画してました。

眞如寺に入った時、西隣の六請神社の境内は丸見えでした。そしたら多くの人が境内で何かの準備をされてました。今日は節分ですので、その準備でしょうか・・・そして時は過ぎ10時48分に門前に来て見ると・・・。

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誰も居ません。何処に行かれたのか・・・知るよしもありませんが、私にとってはラッキーです。これでゆっくり見られます。

見にくいですけど、石造の鳥居をくぐると正面に本殿がありました。予備知識無しできので、御利益と御祭神とかまったく知りません。

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六請神社は、伊勢大御神、石清水大神、賀茂大神、松尾大神、稻荷大神、春日大神の六大神を祭神としており、これらの六神は平安時代の延喜式二十二社の中でも最も重要視しされた上七社(平野神社を除く)から選ばれているようですが、いつ頃、どのような過程で祀られたのかなど不明な点は多いようです。

拝殿の奥に本殿がありますが、正面からは見えないので横に回っると見えました。そしてもう一度拝殿前に行き、お参りしました。

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このあと、境内の西側にあった社務所で、朱印をいたたぎました。

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普段から、ここに人が居るかどうか知りませんが、この日は社務所におられて、「朱印ありますか」と尋ねたから、あったのでMy朱印帳を出しました。そして由緒書きまでいただきました。

正直な話、社務所に人がおられたので寄ってみました。それで本日5番目の訪問となりました。ただもう一つ気になることがあって、そちらにも行ってみることに。それは境内西側にある社で力石大明神といいます。

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鳥居の前には手水鉢もありました。ここの神社には、大きな石が祀られており、この石を古来より祈願して持ち上げられれば、あらゆる力を授かると伝えられてるそうですが・・・さて・・・大きさは

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一目見て、あれは無理でしょう。大きすぎます。お相撲さんなら分かりませんが。そのためでしょうか、今では社務所で小石を授かり氏名・性別・年齢と願い事を書いて奉納すると、石を持ち上げたのと同じご利益があるそうです。

そして、帰ろうとしたら境内東南隅に手水舎がありました。奥に見えているのが眞如寺の参道です。ご覧のように、移動時間は、徒歩10歩でしたね。

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この神社は、平安時代以前よ衣笠山の山麓にありました。衣笠山に鎮まる先人の霊を祀るために創建されたそうです。そのため、以前は、衣笠御霊とも呼ばれていました。その後、足利将軍によって等持院が創建されると、その鎮守社として境内に祀られるようになりましたが、明治時代の神仏分離によって、等持院から現在地に移されました。

ここから等持院は近いのですが、何度も行ってるので、今日はパスして・・・それに知り合いのお坊さんも本山・天龍寺の方が忙しいので、不在が分かってるしね、それで嵐電「等持院」駅まで歩いて嵐電に乗り、「帷子ノ辻」駅で乗換て終点の「嵐電嵐山」駅まで乗って行き、ほぼ向かいにある天龍寺の天龍寺節分祭に行きました。

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11時30分からの豆撒きには間に合いましたが、ご覧のように大混雑です。昨年は福引きで、自転車が当たりましたが、今年はお茶でした・・・二匹目のドジョウは居なかった・・・。

天龍寺の七福神巡りを回るのに30分ほどかかりました。そして家に帰る途中に、寿司さんで恵方巻きを買って食べました。節分祭では、今年一年無病息災で暮らせようにお祈りしてきました。

【六請神社 本殿】



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