京都十六社朱印巡り 熊野若王子神社へ
9時35分に東天王 岡崎神社を出て、丸太町通りを東に進むと東天王の交差点に出ます。そこから永観堂や南禅寺の方向に向かいますが、入念に地図を頭に入れたおかげで、最短コースを通り9時45分に着きました。約10分で着いたことになります。しかし地図では分からない坂道には参りました。
緩やかな坂道を登り切ると若王子橋(にゃくおうじばし)に着きました。
この橋の手前を左に曲がると有名な観光スポットですが、それは帰りに紹介することにします。目的地はこの先のため橋を渡ります。
すると「同志社共同墓地 新島襄・八重の墓」と看板が出てました。
NHK大河ドラマ「八重の桜」の放送時に紹介されましたが、ここから山道を25分ぐらい登らない行けないみたいです。
「新島襄先生墓所参道」と石標には書いてあります。放送時には行ってみようと思いましたが・・・今では・・・です。
突き当たりを左に曲がると正面に鳥居が見えました。初訪問でしたが、やっと熊野若王子神社が見えました。
写真左の道を約30分ほどかけて登って行くと、同志社共同墓地があるんですね。お参りに行くのも大変です。
本日の3社目は、京都十六社朱印巡り 熊野若王子神社(くまのにゃくおうじじんじゃ)です。
京都三熊野(新熊野神社 熊野神社 熊野若王子神社)の一つ。これで全て訪問したことになりました。なお、この石橋は1656年(明暦2年)に吉良家より寄進されたものです。
鳥居をくぐると境内に入ります。私はここに来るまで、ここの境内は広いと勝ってに思っていました。
写真では広く見えますが、実は・・・そんなに広くありません。入るまで、ひょっとしたら来てたかなぁ・・・と思ってましたが、やっぱり初めてでした。
鳥居を入って右手に振り返ると手水舎がありました。
嘘のような本当の話・・・水が・・・出なかった・・・です。凍ってた寒かったど、そこまでは冷え込んでなかったです。
お隣の石碑の歌碑がきになりました。「名に高き 滝の白糸さればこそ 花のにしきを おりいだしけれ」千種有功(ちぐさ ありこと、1797~1854) よく分かりません。
先ずはお参りしようと思いましたが、子供達が遊んでて、先に社務所で朱印をいただくことにしました。
ここで京都十六社朱印巡りとMy朱印帳の御朱印をいただきました。これで15箇所目。ついにマジック1となりました。おまけにカラー版の由緒書きまでいたたぎました。
次は本殿でお参りです。絶好の天気に恵まれこれから予報どうり暖かくなりそうです。寒いけど子供達は元気に遊んでいます。
本殿は、拝殿の奥にあるため見えません。拝殿には「熊野大権現」の扁額が架かっていました。御祭神は、国常立尊(クニノトコタチノミコト)伊佐那岐命(イザナギノミコト)伊佐那美命(イザナミノミコト)天照大神(アマテラスオオミノカミ)の4柱てす。
熊野若王子神社は、1160年(永暦元年)後白河法皇が熊野権現を禅林寺(永観堂)の守護神として勧請され祈願所とされた正東山若王子の鎮守でしたが、明治初年の神仏分離によって当社のみが今日に残りました。社殿は度々荒廃し、明治の修築の際本宮、新宮、那智、若宮などがありましたが、現在は1社相殿となっています。
拝殿の東隣には、明治の廃仏毀釈まで残ってた宝形の屋根の一部が残っています。ご本尊の薬師如来坐像は国宝に指定されてて、奈良国立博物館に寄託されてるそうです。
ここにも京都十六社朱印巡りの朱印が貼ってありました。私も残り一つだけとなりました。
今度は拝殿の西側に移動します。そしたら末社の三解社がありました。御祭神は、牛頭大神とありましたが・・・。
その奥が末社の、夷川恵比須社です。
夷川通りに鎮座してした室町時代作の恵比須を祀られており、商売繁盛が御利益とか。等身大の大きさと書いてありましたが、暗くて・・・見えなかったてすね。
境内を散策してたら、神社では珍しいものを見つけました。金剛地蔵菩薩立像です。神社でお地蔵さんは、珍しいかと思います。
この時、まだ10時前でしたが、今日はお昼を予約してました。今日のメインはお昼の食事で、その前に3箇所訪問するのは決めてました。京都16社朱印巡りの残り一つは、方向が真逆で2月7日に行く予定が行けなくなって、この日の食事の後に行ってしまうか、週末に行くか休憩所で考えることに。
熊野神社から、ここまで休憩なしで来たので少しばかり、座って休憩しました。まだ寒かったけど・・・。
お昼の予約時間は11時30分ですが、次の神社に行けば100%間に合いません。それほど離れているからです。次は祇園を目指しますが、直通のバスはありませんので、乗換えが必要です。ここで「一日乗車券」が効いてきます。
神社を出ると京都府内で一番古い名木「梛」の大木がありました。
この大木は、当神社のご神木で、古来紀州熊野三山を参詣や伊勢神宮参詣の折、ミソギの木として用いられた樹木です。
再び若王子橋を渡りますが、最初に予告したとおり、右手を少しだけ散策それは・・・。
「哲学の道」でした。ここが南側の起点で、ここから銀閣寺まで続く道は、桜の名所で春になったら多くの観光客で賑わいますが、冬の時期・・・殆ど人はいません。
ここには10時00分に出ました。東天王からバスに乗って、熊野神社まで戻り、そこからバスに乗り祇園まで行きました。お店なら次の東山安井で降りたら近かったんですが、まだ早いので、祖父母の墓参りをしてから行くことにしました。祇園で降り、八坂神社を通りましたが、春節祭で来日中の中国人の多さに・・・やっぱりと・・・。そして大谷祖廟で墓参りに寄りましたが、ここでも中国人がカメラを持って写真撮りまくり・・・ここは神聖な所だし来てほしくなかったですね。それでも昨年の秋以来の墓参りに行くことができ、良かったです。そして、休憩所で休んだあと、予約している店に向かいました。
【熊野若王子神社 社務所】
緩やかな坂道を登り切ると若王子橋(にゃくおうじばし)に着きました。
この橋の手前を左に曲がると有名な観光スポットですが、それは帰りに紹介することにします。目的地はこの先のため橋を渡ります。
すると「同志社共同墓地 新島襄・八重の墓」と看板が出てました。
NHK大河ドラマ「八重の桜」の放送時に紹介されましたが、ここから山道を25分ぐらい登らない行けないみたいです。
「新島襄先生墓所参道」と石標には書いてあります。放送時には行ってみようと思いましたが・・・今では・・・です。
突き当たりを左に曲がると正面に鳥居が見えました。初訪問でしたが、やっと熊野若王子神社が見えました。
写真左の道を約30分ほどかけて登って行くと、同志社共同墓地があるんですね。お参りに行くのも大変です。
本日の3社目は、京都十六社朱印巡り 熊野若王子神社(くまのにゃくおうじじんじゃ)です。
京都三熊野(新熊野神社 熊野神社 熊野若王子神社)の一つ。これで全て訪問したことになりました。なお、この石橋は1656年(明暦2年)に吉良家より寄進されたものです。
鳥居をくぐると境内に入ります。私はここに来るまで、ここの境内は広いと勝ってに思っていました。
写真では広く見えますが、実は・・・そんなに広くありません。入るまで、ひょっとしたら来てたかなぁ・・・と思ってましたが、やっぱり初めてでした。
鳥居を入って右手に振り返ると手水舎がありました。
嘘のような本当の話・・・水が・・・出なかった・・・です。凍ってた寒かったど、そこまでは冷え込んでなかったです。
お隣の石碑の歌碑がきになりました。「名に高き 滝の白糸さればこそ 花のにしきを おりいだしけれ」千種有功(ちぐさ ありこと、1797~1854) よく分かりません。
先ずはお参りしようと思いましたが、子供達が遊んでて、先に社務所で朱印をいただくことにしました。
ここで京都十六社朱印巡りとMy朱印帳の御朱印をいただきました。これで15箇所目。ついにマジック1となりました。おまけにカラー版の由緒書きまでいたたぎました。
次は本殿でお参りです。絶好の天気に恵まれこれから予報どうり暖かくなりそうです。寒いけど子供達は元気に遊んでいます。
本殿は、拝殿の奥にあるため見えません。拝殿には「熊野大権現」の扁額が架かっていました。御祭神は、国常立尊(クニノトコタチノミコト)伊佐那岐命(イザナギノミコト)伊佐那美命(イザナミノミコト)天照大神(アマテラスオオミノカミ)の4柱てす。
熊野若王子神社は、1160年(永暦元年)後白河法皇が熊野権現を禅林寺(永観堂)の守護神として勧請され祈願所とされた正東山若王子の鎮守でしたが、明治初年の神仏分離によって当社のみが今日に残りました。社殿は度々荒廃し、明治の修築の際本宮、新宮、那智、若宮などがありましたが、現在は1社相殿となっています。
拝殿の東隣には、明治の廃仏毀釈まで残ってた宝形の屋根の一部が残っています。ご本尊の薬師如来坐像は国宝に指定されてて、奈良国立博物館に寄託されてるそうです。
ここにも京都十六社朱印巡りの朱印が貼ってありました。私も残り一つだけとなりました。
今度は拝殿の西側に移動します。そしたら末社の三解社がありました。御祭神は、牛頭大神とありましたが・・・。
その奥が末社の、夷川恵比須社です。
夷川通りに鎮座してした室町時代作の恵比須を祀られており、商売繁盛が御利益とか。等身大の大きさと書いてありましたが、暗くて・・・見えなかったてすね。
境内を散策してたら、神社では珍しいものを見つけました。金剛地蔵菩薩立像です。神社でお地蔵さんは、珍しいかと思います。
この時、まだ10時前でしたが、今日はお昼を予約してました。今日のメインはお昼の食事で、その前に3箇所訪問するのは決めてました。京都16社朱印巡りの残り一つは、方向が真逆で2月7日に行く予定が行けなくなって、この日の食事の後に行ってしまうか、週末に行くか休憩所で考えることに。
熊野神社から、ここまで休憩なしで来たので少しばかり、座って休憩しました。まだ寒かったけど・・・。
お昼の予約時間は11時30分ですが、次の神社に行けば100%間に合いません。それほど離れているからです。次は祇園を目指しますが、直通のバスはありませんので、乗換えが必要です。ここで「一日乗車券」が効いてきます。
神社を出ると京都府内で一番古い名木「梛」の大木がありました。
この大木は、当神社のご神木で、古来紀州熊野三山を参詣や伊勢神宮参詣の折、ミソギの木として用いられた樹木です。
再び若王子橋を渡りますが、最初に予告したとおり、右手を少しだけ散策それは・・・。
「哲学の道」でした。ここが南側の起点で、ここから銀閣寺まで続く道は、桜の名所で春になったら多くの観光客で賑わいますが、冬の時期・・・殆ど人はいません。
ここには10時00分に出ました。東天王からバスに乗って、熊野神社まで戻り、そこからバスに乗り祇園まで行きました。お店なら次の東山安井で降りたら近かったんですが、まだ早いので、祖父母の墓参りをしてから行くことにしました。祇園で降り、八坂神社を通りましたが、春節祭で来日中の中国人の多さに・・・やっぱりと・・・。そして大谷祖廟で墓参りに寄りましたが、ここでも中国人がカメラを持って写真撮りまくり・・・ここは神聖な所だし来てほしくなかったですね。それでも昨年の秋以来の墓参りに行くことができ、良かったです。そして、休憩所で休んだあと、予約している店に向かいました。
【熊野若王子神社 社務所】