「花の天井」春の特別公開 平岡八幡宮へ
大龍寺を出て、周山街道を北上します。そのまま行くと高山寺に出ますが、まだまだ先です。そして10分ぐらいで鳥居が右手に見えて来ました。今日の目的は、ここでした。
本日訪れたのは、山城国最古の社 平岡八幡宮です。毎年椿が咲く頃に『花の天井 春の特別公開』として本殿内が公開されるので、以前か行ってみようと思ってました。
ここには9時43分に着きました。特別公開は10時からで、まだ時間があります。この鳥居から長い参道が続いているので、ゆっくり歩いていくことにしました。
緩やかな坂道を上がること3分足らずにで、ようやく社殿が見えてきました。その手前にあるのが土俵のようてすが・・・。
あとで宮司さんより、境内を案内してもらいましたが、そのときに先代若乃花が奉納土俵入りされたとか・・・私が聞き違ってなかったらの話ですが・・・。
毎年10月第二日曜の祭礼に『三役相撲』(無形文化財)が行われ地元の小学校3年生と大人が取り組み、神の加護を受けた子供が勝つという古くから伝わる神事が、この土俵で行われます。
階段の手前に、手水舎があり、ここで手と口を清めます。と言うのも、後程本殿に上がって宮司さんが話されたことですが・・・。
「神様の前で拝むのに、手も口も清めんと意味ないで」と。そして作法も丁寧に教えてもらいましたが、私は知ってましたが、ついつい割愛してしまいます。
階段を上がると、授与所で「拝観されますか」と声を掛けてもらいました。私が「10時からですね」と言うと、「普段は10時からですが、今日は団体が入っているので、今から始めます」とのことで、宮司さんが出てこられました。
ここで拝観料800円を納めます。すると平岡八幡宮の縁起書をいたたぎました。そして最後には、大福茶のサービスもありました。
境内を見て回るより先に、いきなり案内が始まったので、少し戸惑いましたが、この先予定があるので、私的には良かったです。それより平岡八幡宮の宮司さん・・・よくしゃべるしゃべる。先ずは目の前の拝殿から。
ここで注目は、拝殿の上に掲げられてる砥石でしょう。なんでも鑑定団では、結構な値がついてようですね。値段は忘れましたが・・・。
ここから本殿に上がるまで、境内の椿を見て回りました。ここには200種300本もの椿があるそうです。宮司さん熱心に一本一本案内していただきましたが、帰ったら名前・・・忘れてしまいました。
この石灯籠に並べられてる椿の花は、朝から宮司さんがされたそうです。今は、春の花は桜を思い浮かべますが、かつては椿だったそうで、木偏に春とかくように、椿は春の花の代表だったようです。
ここは市内から離れているため、夜になると鹿や猪が出没するらしいです。鹿は椿も食べてしまうらしくて、朝になったら足跡だらけと、ぼやかれてました。
椿は、葉っぱも個性があって、下の写真は、「金魚」と呼ばれるもので、本当に金魚に似てました。
こちらは山の神石・・・さざれ石で、神社で一番大切な石だそうで・・・それより夜の大運動会・・・狸・狐・ハクビシン・猪・鹿・・・出るわ出るわ・・・まるで動物園と宮司さんの話でした・・・街中で育ったので、俄には信じられませんが・・・。
こちらは北東の位置にある池で鬼門にあたるそうです。梅雨の前にアオモリガエが卵を産んで、その翌日に梅雨入りするとか・・・本当かなぁ・・・と聞きいてました。
こんなところに狛犬がありました。ここまで来ると先程話された動物園・・・分かるような気がします。夜には恐いでしょう。
ここまで15分も熱心に話されています。前途したとおり、しゃべるしゃべる・・・こんな少人数でも熱心に案内してもらいました。そして、いよいよ本殿の参拝です。
下の写真で分かるように、ここより先は普段では入れません。宮司さんから注意で、本殿内は撮影禁止でした。
京都で一番古い八幡宮で、先程国宝に指定された、石清水八幡宮より50年も古い、809年(大同4年)に弘法大師空海が創建。もとは高尾山神護寺の守護神でした。その後、荒廃と再興を繰り返しますが、1407年(応永14年)11月の火災で社殿を焼失しますが、室町幕府3代将軍・足利義満により再建。本殿の天井に描かれた44種類の花が描かれた「花天井」が特に有名です。
入ると座布団に足を崩して座りました。本殿内に入れる機会は少ないですし、それより天井の花が気になります。宮司さんより、天井画44枚の花の種類が書いてあるパンフ(帰る時に返却します)を借りて一枚一枚確認し・・・たいところ、見上げると首が疲れるので・・・。
写真が撮れないので、外にあった案内板ですが、こちらも写真が禿げてて分からないですよね。
本殿内には約20分弱、案内していただきました。本当に宮司さんしゃべるしゃべる。この本殿も傷みが激しく、最近部分修復された話もありました。琴を弾く天女です。
修復前の写真も見せてもらいましたが、殆ど人の姿が分からないぐらいでした。宮司さんは、修復したくても国はお金を出してくれない・・・とも言われてました。
募金の話もされましたが、私も京都市の財団に寄付しているで、こんな所に使ってほしです。総額2億円もかかるそうですね、いろんな話をされ勉強になりました。ここで案内が終わりましたが、35分・・・ずっとしゃべり続けられ感心です。
最後に大福茶の接待がありますが、もう少し本殿廻りを見て行きます。先ずは貴布弥社から。祭神は、罔象女神(みつはのめのかみ)と書いてありました。
一緒に3組の方と話を聞いてましたが、どなたも境内社に興味がなかったようで・・・以前の私なら素通りでしたけど・・・。
次が、武内社。祭神は、武内宿禰(たけしうちのすくね)。大和朝廷初期に活躍したといわれる伝承上の人物。
神功皇后の新羅征伐に従軍し,景行,成務,仲哀,応神,仁徳の五天皇に仕え,日本最初の大臣だそうですが・・・200年も・・・ありえない。
受付の方が大福茶を持って待っておられたので、床机に座りいただきました。毎年初詣で訪れる六波羅蜜寺で、大福茶はいただいてます。それで、残った梅の種は持ち帰り御守りにします。
この日は、寒かったんです。宮司さんも話されてましたが、昨日は雪が降ったそうです。市内は降らなかったですが・・・外でいただくお茶も寒さに負けそうでした。
最後に「書院の白椿を見て帰ってや」と宮司さんが言われたので、そちらに向かいます。私らの組のあと、一人拝観を待っておられたので、団体がくるまえに、宮司さん再び案内を始められました。一人でも団体でも同じですね、熱心に話されてました。
既に桜は散ってしまいましたが、この時は、まだ蕾でした。宮司さんの話では、この参道綺麗に咲き誇るみたいですね。
また、この長い参道はドラマのロケに使われたそうで、特に「水戸黄門」の撮影で来られてようです。そして撮影が終わったら平岡八幡宮でお参りされたと案内されてました。「歴代の黄門さんみんな来たはるで」と。
ここが書院の入口ですが、別にここを通らなくても入れるんですど。この見せ方のほうが絵ずら的には良いので。
そして奥へ進むとありました。白玉椿伝説 しだれ八重白玉椿「一水(いっすい)」(樹齢200年)です。。
ちょうど見頃でした。書院の前にも椿が咲いてて、こちらは赤色。また書院には屏風も展示されてました。
宮司さんの話が長かったので、ここを出るのが10時45分でした。ゆっくり見せてもらい、ほんの一時、この数週間の出来事を忘れさせてくれましたが、これから現実に戻ります。ここから周山街道を下って"歩いて"母の居る病院に戻り、午後から介護タクシーにて、山科の病院に移りました。
【平岡八幡宮 拝殿】
本日訪れたのは、山城国最古の社 平岡八幡宮です。毎年椿が咲く頃に『花の天井 春の特別公開』として本殿内が公開されるので、以前か行ってみようと思ってました。
ここには9時43分に着きました。特別公開は10時からで、まだ時間があります。この鳥居から長い参道が続いているので、ゆっくり歩いていくことにしました。
緩やかな坂道を上がること3分足らずにで、ようやく社殿が見えてきました。その手前にあるのが土俵のようてすが・・・。
あとで宮司さんより、境内を案内してもらいましたが、そのときに先代若乃花が奉納土俵入りされたとか・・・私が聞き違ってなかったらの話ですが・・・。
毎年10月第二日曜の祭礼に『三役相撲』(無形文化財)が行われ地元の小学校3年生と大人が取り組み、神の加護を受けた子供が勝つという古くから伝わる神事が、この土俵で行われます。
階段の手前に、手水舎があり、ここで手と口を清めます。と言うのも、後程本殿に上がって宮司さんが話されたことですが・・・。
「神様の前で拝むのに、手も口も清めんと意味ないで」と。そして作法も丁寧に教えてもらいましたが、私は知ってましたが、ついつい割愛してしまいます。
階段を上がると、授与所で「拝観されますか」と声を掛けてもらいました。私が「10時からですね」と言うと、「普段は10時からですが、今日は団体が入っているので、今から始めます」とのことで、宮司さんが出てこられました。
ここで拝観料800円を納めます。すると平岡八幡宮の縁起書をいたたぎました。そして最後には、大福茶のサービスもありました。
境内を見て回るより先に、いきなり案内が始まったので、少し戸惑いましたが、この先予定があるので、私的には良かったです。それより平岡八幡宮の宮司さん・・・よくしゃべるしゃべる。先ずは目の前の拝殿から。
ここで注目は、拝殿の上に掲げられてる砥石でしょう。なんでも鑑定団では、結構な値がついてようですね。値段は忘れましたが・・・。
ここから本殿に上がるまで、境内の椿を見て回りました。ここには200種300本もの椿があるそうです。宮司さん熱心に一本一本案内していただきましたが、帰ったら名前・・・忘れてしまいました。
この石灯籠に並べられてる椿の花は、朝から宮司さんがされたそうです。今は、春の花は桜を思い浮かべますが、かつては椿だったそうで、木偏に春とかくように、椿は春の花の代表だったようです。
ここは市内から離れているため、夜になると鹿や猪が出没するらしいです。鹿は椿も食べてしまうらしくて、朝になったら足跡だらけと、ぼやかれてました。
椿は、葉っぱも個性があって、下の写真は、「金魚」と呼ばれるもので、本当に金魚に似てました。
こちらは山の神石・・・さざれ石で、神社で一番大切な石だそうで・・・それより夜の大運動会・・・狸・狐・ハクビシン・猪・鹿・・・出るわ出るわ・・・まるで動物園と宮司さんの話でした・・・街中で育ったので、俄には信じられませんが・・・。
こちらは北東の位置にある池で鬼門にあたるそうです。梅雨の前にアオモリガエが卵を産んで、その翌日に梅雨入りするとか・・・本当かなぁ・・・と聞きいてました。
こんなところに狛犬がありました。ここまで来ると先程話された動物園・・・分かるような気がします。夜には恐いでしょう。
ここまで15分も熱心に話されています。前途したとおり、しゃべるしゃべる・・・こんな少人数でも熱心に案内してもらいました。そして、いよいよ本殿の参拝です。
下の写真で分かるように、ここより先は普段では入れません。宮司さんから注意で、本殿内は撮影禁止でした。
京都で一番古い八幡宮で、先程国宝に指定された、石清水八幡宮より50年も古い、809年(大同4年)に弘法大師空海が創建。もとは高尾山神護寺の守護神でした。その後、荒廃と再興を繰り返しますが、1407年(応永14年)11月の火災で社殿を焼失しますが、室町幕府3代将軍・足利義満により再建。本殿の天井に描かれた44種類の花が描かれた「花天井」が特に有名です。
入ると座布団に足を崩して座りました。本殿内に入れる機会は少ないですし、それより天井の花が気になります。宮司さんより、天井画44枚の花の種類が書いてあるパンフ(帰る時に返却します)を借りて一枚一枚確認し・・・たいところ、見上げると首が疲れるので・・・。
写真が撮れないので、外にあった案内板ですが、こちらも写真が禿げてて分からないですよね。
本殿内には約20分弱、案内していただきました。本当に宮司さんしゃべるしゃべる。この本殿も傷みが激しく、最近部分修復された話もありました。琴を弾く天女です。
修復前の写真も見せてもらいましたが、殆ど人の姿が分からないぐらいでした。宮司さんは、修復したくても国はお金を出してくれない・・・とも言われてました。
募金の話もされましたが、私も京都市の財団に寄付しているで、こんな所に使ってほしです。総額2億円もかかるそうですね、いろんな話をされ勉強になりました。ここで案内が終わりましたが、35分・・・ずっとしゃべり続けられ感心です。
最後に大福茶の接待がありますが、もう少し本殿廻りを見て行きます。先ずは貴布弥社から。祭神は、罔象女神(みつはのめのかみ)と書いてありました。
一緒に3組の方と話を聞いてましたが、どなたも境内社に興味がなかったようで・・・以前の私なら素通りでしたけど・・・。
次が、武内社。祭神は、武内宿禰(たけしうちのすくね)。大和朝廷初期に活躍したといわれる伝承上の人物。
神功皇后の新羅征伐に従軍し,景行,成務,仲哀,応神,仁徳の五天皇に仕え,日本最初の大臣だそうですが・・・200年も・・・ありえない。
受付の方が大福茶を持って待っておられたので、床机に座りいただきました。毎年初詣で訪れる六波羅蜜寺で、大福茶はいただいてます。それで、残った梅の種は持ち帰り御守りにします。
この日は、寒かったんです。宮司さんも話されてましたが、昨日は雪が降ったそうです。市内は降らなかったですが・・・外でいただくお茶も寒さに負けそうでした。
最後に「書院の白椿を見て帰ってや」と宮司さんが言われたので、そちらに向かいます。私らの組のあと、一人拝観を待っておられたので、団体がくるまえに、宮司さん再び案内を始められました。一人でも団体でも同じですね、熱心に話されてました。
既に桜は散ってしまいましたが、この時は、まだ蕾でした。宮司さんの話では、この参道綺麗に咲き誇るみたいですね。
また、この長い参道はドラマのロケに使われたそうで、特に「水戸黄門」の撮影で来られてようです。そして撮影が終わったら平岡八幡宮でお参りされたと案内されてました。「歴代の黄門さんみんな来たはるで」と。
ここが書院の入口ですが、別にここを通らなくても入れるんですど。この見せ方のほうが絵ずら的には良いので。
そして奥へ進むとありました。白玉椿伝説 しだれ八重白玉椿「一水(いっすい)」(樹齢200年)です。。
ちょうど見頃でした。書院の前にも椿が咲いてて、こちらは赤色。また書院には屏風も展示されてました。
宮司さんの話が長かったので、ここを出るのが10時45分でした。ゆっくり見せてもらい、ほんの一時、この数週間の出来事を忘れさせてくれましたが、これから現実に戻ります。ここから周山街道を下って"歩いて"母の居る病院に戻り、午後から介護タクシーにて、山科の病院に移りました。
【平岡八幡宮 拝殿】