満開の桜 勧修寺へ
山科川の桜を見て少し時間を使いましたが、それでも勧修寺は8時46分に着いてしまいました。
山門が閉まってて外で待たされるのは嫌だなぁ・・・と思いつつ外塀沿いの桜並木を楽しみに進むと・・・。
ご覧のように満開の桜でした。まだ8分咲きだったかも知れませんが、これで充分です。来て良かったです。何より誰も居ないのが。
心配していた山門は開いてました。これで安心して入れますが、拝観受付より先が行けるかどうかです。
門に入ると左手に拝観受付がありますが、既に受付されてるようで、恐る恐る聞いてみると・・・受付されてました。この時8時50分でしたけど。
受付されると言うことは、既に数名入られてるということで、ここより先は急いで勧修寺氷庭園に向かいます。2014年6月に来てるので、まさに一直線に・・・。
観音堂廻りの桜で満開です。もう感激するくらい綺麗です。まだ数名の人しか入ってないので、ゆっくり撮影できそうです。
次ぎに走って、氷室の池に向かいます。池越しに観音堂と桜を狙います。この時はまだ空いてたので、先に入って先客を含め盛んにシャッターを。
池に映る桜が大変綺麗です。受付で「桜満開ですか」と尋ねたら「まだまだ見頃です」と聞いて入ったので、その通りでした。
氷室の池から観音堂に向かい、最後は観音堂の背後から撮ってます。この頃より、だんだん人が増えてきましたが、思ってたより人は少なかったですね。
1931年(昭和6年)の再建。2階建ての楼閣で、大非閣とも呼ばれています。屋根の上には鳳凰像が、堂内には観音象が安置されています。
もう充分桜の写真を撮ったので、満足しここを出ることにしました。ただ観音堂ではお参りしましたが、他は見てないので、奥へ進みます。
桜の花に囲まれた修行大師尊像です。2014年6月の光景とは随分違います。弘法大師空海も驚かれてるでしょう。あまりの綺麗さに・・・。
こちらが本堂です。1672年(寛文12年)に霊元天皇の仮内侍所を下賜されたもの。本尊は千手観音立像です。
正面からではなく、桜の花と本堂を撮りました。本来の拝観コースを逆光して庭園に向かったので、今度は逆コースで戻っています。
後陽成天皇の孫・寛俊大僧正が灌頂を受けるに際して、その道場として1672年(寛文12年)に建てられました。
次ぎに書院です。1686年(貞享3年)に後西天皇の旧殿を下賜されたも。書院内は非公開のため襖絵などは見る機会はありません。
その書院前にあった梅の古木です。親・子・孫と書いてあるので、案内板にあるように数百年の造形美だそうです。
室内には、土佐光起(みつおき)・光成(みつなり)親子が描いたとされる障壁画や襖絵で飾られており、勧修寺棚も知られています。障壁画は狩野派の絵師によるものとの説もあるとか。
そして樹齢は750年のハイビヤクシンに覆われているのが、勧修寺型灯籠で水戸光圀(水戸黄門)からの寄進と伝わっています。
ヒノキ科の植物なんですね。2014年6月の訪問時には、幹を掻き分け灯籠までたどり着きました。それにしても、この時は蚊が多かったなぁ・・・。
最後に客殿ですが、本当は最初に目にするんですが、桜を急いだのでスルーしてました。
前回では、真ん中の扉は開いてませんでしたが、今日は開いてました。しかし、遠くて暗くて何も分かりません。
外観は寝殿造風となっていますが、内部は書院造りとか。明治時代には小学校として使われそうです。
後で知ったんですが、正面からは無理でも横から行けば近くに行けた筈です。それとさざれ石がここにもありました。最近は驚くこともありませんが・・・。
ここを出たのが9時8分。20分足らずで出てきましたが、この時間になると次から次へと入って行かれます。
最後、外塀の桜を見ながら出ました。来た時は誰も居なかったのに、この時間では、多くの人がやっぱり写真撮られてます。早く来て正解でした。ここから再び地下鉄「小野」駅まで行き、そこから地下鉄に乗らず、そのまま通過し東に向かいます。久し振りに随心院に行こうと思ってたからです。
【勧修寺 観音堂】
山門が閉まってて外で待たされるのは嫌だなぁ・・・と思いつつ外塀沿いの桜並木を楽しみに進むと・・・。
ご覧のように満開の桜でした。まだ8分咲きだったかも知れませんが、これで充分です。来て良かったです。何より誰も居ないのが。
心配していた山門は開いてました。これで安心して入れますが、拝観受付より先が行けるかどうかです。
門に入ると左手に拝観受付がありますが、既に受付されてるようで、恐る恐る聞いてみると・・・受付されてました。この時8時50分でしたけど。
受付されると言うことは、既に数名入られてるということで、ここより先は急いで勧修寺氷庭園に向かいます。2014年6月に来てるので、まさに一直線に・・・。
観音堂廻りの桜で満開です。もう感激するくらい綺麗です。まだ数名の人しか入ってないので、ゆっくり撮影できそうです。
次ぎに走って、氷室の池に向かいます。池越しに観音堂と桜を狙います。この時はまだ空いてたので、先に入って先客を含め盛んにシャッターを。
池に映る桜が大変綺麗です。受付で「桜満開ですか」と尋ねたら「まだまだ見頃です」と聞いて入ったので、その通りでした。
氷室の池から観音堂に向かい、最後は観音堂の背後から撮ってます。この頃より、だんだん人が増えてきましたが、思ってたより人は少なかったですね。
1931年(昭和6年)の再建。2階建ての楼閣で、大非閣とも呼ばれています。屋根の上には鳳凰像が、堂内には観音象が安置されています。
もう充分桜の写真を撮ったので、満足しここを出ることにしました。ただ観音堂ではお参りしましたが、他は見てないので、奥へ進みます。
桜の花に囲まれた修行大師尊像です。2014年6月の光景とは随分違います。弘法大師空海も驚かれてるでしょう。あまりの綺麗さに・・・。
こちらが本堂です。1672年(寛文12年)に霊元天皇の仮内侍所を下賜されたもの。本尊は千手観音立像です。
正面からではなく、桜の花と本堂を撮りました。本来の拝観コースを逆光して庭園に向かったので、今度は逆コースで戻っています。
後陽成天皇の孫・寛俊大僧正が灌頂を受けるに際して、その道場として1672年(寛文12年)に建てられました。
次ぎに書院です。1686年(貞享3年)に後西天皇の旧殿を下賜されたも。書院内は非公開のため襖絵などは見る機会はありません。
その書院前にあった梅の古木です。親・子・孫と書いてあるので、案内板にあるように数百年の造形美だそうです。
室内には、土佐光起(みつおき)・光成(みつなり)親子が描いたとされる障壁画や襖絵で飾られており、勧修寺棚も知られています。障壁画は狩野派の絵師によるものとの説もあるとか。
そして樹齢は750年のハイビヤクシンに覆われているのが、勧修寺型灯籠で水戸光圀(水戸黄門)からの寄進と伝わっています。
ヒノキ科の植物なんですね。2014年6月の訪問時には、幹を掻き分け灯籠までたどり着きました。それにしても、この時は蚊が多かったなぁ・・・。
最後に客殿ですが、本当は最初に目にするんですが、桜を急いだのでスルーしてました。
前回では、真ん中の扉は開いてませんでしたが、今日は開いてました。しかし、遠くて暗くて何も分かりません。
外観は寝殿造風となっていますが、内部は書院造りとか。明治時代には小学校として使われそうです。
後で知ったんですが、正面からは無理でも横から行けば近くに行けた筈です。それとさざれ石がここにもありました。最近は驚くこともありませんが・・・。
ここを出たのが9時8分。20分足らずで出てきましたが、この時間になると次から次へと入って行かれます。
最後、外塀の桜を見ながら出ました。来た時は誰も居なかったのに、この時間では、多くの人がやっぱり写真撮られてます。早く来て正解でした。ここから再び地下鉄「小野」駅まで行き、そこから地下鉄に乗らず、そのまま通過し東に向かいます。久し振りに随心院に行こうと思ってたからです。
【勧修寺 観音堂】