本山佛光寺を訪ねて~花見と文化財特別鑑賞~へ
4月8日(金)は、京都市文化観光資源保護財団主催で、特別鑑賞会の「本山佛光寺を訪ねて~花見と文化財特別鑑賞~」に行きました。
私は、京都市文化観光資源保護財団の会員のため招待状が送られてきます。その案内には、8日の10時と13時。9日の10時と13時の計4回、自分の都合に良いときに行けばいいので、申込は不要でした。そこで私は8日の10時を選択したわけで、その他平日にしかできない用事もあったからちょうど良かったんです。
特別鑑賞会も2014年6月以来の参加です。最近は魅力あるイベントが無くなったこともありますし、平日限定が多かったことから・・・これでは行かれない・・・です。まぁ・・・魅力があったら、平日でも行きますけど。佛光寺は2015年5月5日に来てるので場所は熟知しています。集合場所は阿弥陀堂内でした。
平日だし空いてるだろう・・・と思ってましたが、大間違い。靴を脱いで招待状を差し出し受付を済ませます。そして堂内に入ると座ると所はなし。席は全部埋まってて、座布団なしの畳の上に座る始末。膝が悪い私には堪えましたし、何より今日は前に述べたように朝から体調が悪かったからです。
10時になって、主催者側から挨拶のあと、佛光寺の和尚さんより歴史などについて約20分程度話されました。そのあと内陣は入れませんが、聖徳太子像(重要文化財)を間近でお参りさせてもらいました。
お土産に貰った絵葉書から抜粋です。ただご本尊の阿弥陀如来像には近寄ることはできませんでした。
次ぎに、お隣の大師堂です。渡り廊下を通って移動します。御影堂とも呼ばれてますが、先程の阿弥陀堂と大師堂は普段から、いつでも入ってお参りは可能です。
阿弥陀堂では座れなかったので、法話のあとの見学は早く済ませました。そのため大師堂に入るのが早くなったので、もっとも前の中央で、法話を聞くことができました。
中央に安置れている親鸞聖人坐像をお参りして、いよいよ通常非公開の書院に移動します。人数が多いこともあって、10時に始まりましたが、書院に入ったのは11時を回っていました。
大師堂から渡り廊下を通って、通常は行けない扉を開けられると、先ず目にするのは箱庭でしょう。
皆さん今まで写真を撮るのを我慢されてたと思います(私もその内の一人です)。堂内は撮影禁止と受付で確認してました。しかし、いつも最初の案内で話されるのに・・・無かったなぁ・・・。
先ず白書院に会員全員が入って、ここまで和尚さんが案内していただきました。結構広い室内でしたが、会員さんで一杯です。
ここは大勢の方との対面所として使われたそうで、上段の間には武者隠しまでありました。このあと、会員さんは、自由に各書院を見て回ることになりました。ここから案内は「京都の文化財を守る会」の皆さんが担当されます。
そして、私は黒書院に向かいました。先程の白書院と違って、ここは格式の高い(皇室など)客人との対面所として使用されました。
たまたま、先頭で入ってたので、「写真撮れますか」と尋ねたら以外にも「どうぞ」でした。そこから皆さん写真撮りまくりです。襖絵は、江戸時代に活躍した吉村周圭(よしむら しゅうけい)。1884年(明治17年)に大阪から移築されたもの。前途のとおり一般の方には中々目にすることができない書院だったようです。
次ぎに南書院に移動です。黒書院の向かいですが、再び白書院を通って回り込まないと行けません。それで書院周りの庭を見ながら(撮りながら)向かいました。
前日の7日(木)が、季節外れの大雨が降り、強風も伴ってて桜が散ってしまいました。文字通り桜散らしの雨が前日に降ったので、この日の桜鑑賞会・・・桜はもう一つになってしまいました。
そして回り込んでやっと南書院につきました。ここの南書院は、かつて能舞台があった所だったようです。戦時中に能舞台は贅沢だと取り壊されたそうです。
もともとは滋賀県の五個荘にあった建物で、一度宮様が泊まられそうです。そのままずっと保存れてましたが、1958年(昭和33年)に親鸞聖人の大遠諱があって、その記念事業として佛光寺に移築されてきました。
南書院には13畳の床の間に4畳半の茶室を併設されてました。ここも人が空くのを待ちました。皆さん書院を見学された人から帰って行かれます。
私は、この日12時30分から昼食を予約してたので、時間があまってあまって、そのため人の空くのをひたすら待てました。それでも限度があるので、この書院を出て今度は、桜を見に行きます。
和尚さんの話では、まだこれから咲き誇ると言われてましたが、どうみても散ったような・・・気がするんですが・・・どうでしょう。
こちらの桜はソメイヨシノでしょう。しかし、昨日の大雨で完全に散りモードです。地面に散った桜が綺麗でした。
帰りは仏光寺通りではなく、高辻通りから境内を出ました。次ぎに行くレストランは、歩いて2分もかかりません。しかし、ここで時間をつぶすのは限界があるので、次の目的地に行くことにしました。
久し振りに参加した特別鑑賞会は楽しかったです。滅多に見ることができない所を見せていただいて、有り難い限りです。
7日(木)会社からの帰り、傘を差して少し急いで歩いていると、右脇腹に痛みが走りました。その時は肉離れでもしたのかなぁ・・・と思ったんですが、その夜2時頃だったかと思いますが、痛みで起きてしまいました。この時も尿管結石を疑いませんでしたが、この日イベントから帰って夕方、熱を計ると発熱してて、それにやっぱり右脇腹が痛い。ひょっとして・・・この時初めて疑うようになりました。そして翌日、いつもの病院は、4月から土曜診察が廃止されたため、近くの医院に尿検査してもらったら、鮮血が確認されやっぱり尿管結石だったことが分かりました。土曜日は断続的に激痛が走りましたが、過去2回に比べたら、まだマシです。そして・・・12日の朝・・・石が出てきました。過去に比べたら石の形が丸く、それで痛みがマシだったようです。それにしても、あの痛みは・・・もう勘弁して・・・それで大幅にブログをアップするのが遅れてしまった要因で・・・した。
【佛光寺 白書院】
私は、京都市文化観光資源保護財団の会員のため招待状が送られてきます。その案内には、8日の10時と13時。9日の10時と13時の計4回、自分の都合に良いときに行けばいいので、申込は不要でした。そこで私は8日の10時を選択したわけで、その他平日にしかできない用事もあったからちょうど良かったんです。
特別鑑賞会も2014年6月以来の参加です。最近は魅力あるイベントが無くなったこともありますし、平日限定が多かったことから・・・これでは行かれない・・・です。まぁ・・・魅力があったら、平日でも行きますけど。佛光寺は2015年5月5日に来てるので場所は熟知しています。集合場所は阿弥陀堂内でした。
平日だし空いてるだろう・・・と思ってましたが、大間違い。靴を脱いで招待状を差し出し受付を済ませます。そして堂内に入ると座ると所はなし。席は全部埋まってて、座布団なしの畳の上に座る始末。膝が悪い私には堪えましたし、何より今日は前に述べたように朝から体調が悪かったからです。
10時になって、主催者側から挨拶のあと、佛光寺の和尚さんより歴史などについて約20分程度話されました。そのあと内陣は入れませんが、聖徳太子像(重要文化財)を間近でお参りさせてもらいました。
お土産に貰った絵葉書から抜粋です。ただご本尊の阿弥陀如来像には近寄ることはできませんでした。
次ぎに、お隣の大師堂です。渡り廊下を通って移動します。御影堂とも呼ばれてますが、先程の阿弥陀堂と大師堂は普段から、いつでも入ってお参りは可能です。
阿弥陀堂では座れなかったので、法話のあとの見学は早く済ませました。そのため大師堂に入るのが早くなったので、もっとも前の中央で、法話を聞くことができました。
中央に安置れている親鸞聖人坐像をお参りして、いよいよ通常非公開の書院に移動します。人数が多いこともあって、10時に始まりましたが、書院に入ったのは11時を回っていました。
大師堂から渡り廊下を通って、通常は行けない扉を開けられると、先ず目にするのは箱庭でしょう。
皆さん今まで写真を撮るのを我慢されてたと思います(私もその内の一人です)。堂内は撮影禁止と受付で確認してました。しかし、いつも最初の案内で話されるのに・・・無かったなぁ・・・。
先ず白書院に会員全員が入って、ここまで和尚さんが案内していただきました。結構広い室内でしたが、会員さんで一杯です。
ここは大勢の方との対面所として使われたそうで、上段の間には武者隠しまでありました。このあと、会員さんは、自由に各書院を見て回ることになりました。ここから案内は「京都の文化財を守る会」の皆さんが担当されます。
そして、私は黒書院に向かいました。先程の白書院と違って、ここは格式の高い(皇室など)客人との対面所として使用されました。
たまたま、先頭で入ってたので、「写真撮れますか」と尋ねたら以外にも「どうぞ」でした。そこから皆さん写真撮りまくりです。襖絵は、江戸時代に活躍した吉村周圭(よしむら しゅうけい)。1884年(明治17年)に大阪から移築されたもの。前途のとおり一般の方には中々目にすることができない書院だったようです。
次ぎに南書院に移動です。黒書院の向かいですが、再び白書院を通って回り込まないと行けません。それで書院周りの庭を見ながら(撮りながら)向かいました。
前日の7日(木)が、季節外れの大雨が降り、強風も伴ってて桜が散ってしまいました。文字通り桜散らしの雨が前日に降ったので、この日の桜鑑賞会・・・桜はもう一つになってしまいました。
そして回り込んでやっと南書院につきました。ここの南書院は、かつて能舞台があった所だったようです。戦時中に能舞台は贅沢だと取り壊されたそうです。
もともとは滋賀県の五個荘にあった建物で、一度宮様が泊まられそうです。そのままずっと保存れてましたが、1958年(昭和33年)に親鸞聖人の大遠諱があって、その記念事業として佛光寺に移築されてきました。
南書院には13畳の床の間に4畳半の茶室を併設されてました。ここも人が空くのを待ちました。皆さん書院を見学された人から帰って行かれます。
私は、この日12時30分から昼食を予約してたので、時間があまってあまって、そのため人の空くのをひたすら待てました。それでも限度があるので、この書院を出て今度は、桜を見に行きます。
和尚さんの話では、まだこれから咲き誇ると言われてましたが、どうみても散ったような・・・気がするんですが・・・どうでしょう。
こちらの桜はソメイヨシノでしょう。しかし、昨日の大雨で完全に散りモードです。地面に散った桜が綺麗でした。
帰りは仏光寺通りではなく、高辻通りから境内を出ました。次ぎに行くレストランは、歩いて2分もかかりません。しかし、ここで時間をつぶすのは限界があるので、次の目的地に行くことにしました。
久し振りに参加した特別鑑賞会は楽しかったです。滅多に見ることができない所を見せていただいて、有り難い限りです。
7日(木)会社からの帰り、傘を差して少し急いで歩いていると、右脇腹に痛みが走りました。その時は肉離れでもしたのかなぁ・・・と思ったんですが、その夜2時頃だったかと思いますが、痛みで起きてしまいました。この時も尿管結石を疑いませんでしたが、この日イベントから帰って夕方、熱を計ると発熱してて、それにやっぱり右脇腹が痛い。ひょっとして・・・この時初めて疑うようになりました。そして翌日、いつもの病院は、4月から土曜診察が廃止されたため、近くの医院に尿検査してもらったら、鮮血が確認されやっぱり尿管結石だったことが分かりました。土曜日は断続的に激痛が走りましたが、過去2回に比べたら、まだマシです。そして・・・12日の朝・・・石が出てきました。過去に比べたら石の形が丸く、それで痛みがマシだったようです。それにしても、あの痛みは・・・もう勘弁して・・・それで大幅にブログをアップするのが遅れてしまった要因で・・・した。
【佛光寺 白書院】