苦しみを抜き取ってくれるお地蔵様 釘抜地蔵-石像寺(しゃくぞうじ)-へ
北野天満宮から五辻通りを通って千本通りまで行き、そこから上立売通りまで上がります。その交差点から少しだけ北に上がると釘抜地蔵(石像寺)(しゃくぞうじ)の表門が見えました。
私は行ったことがありませんが、姉に言わしたら、東京巣鴨のとげ抜き地蔵尊のような・・・そんなお寺です。
表門の路地を入ると中門がありますが、その手前には大きな釘抜きがありました。
中門を入ると左手に、手水舎があって、お年寄りの方が、参拝に来られてました。
ここに着いたのが9時20分。朝まだ早いですが、お年寄りには関係ないですね。ここでは母の腰の痛みを少しでも取って貰おうとお祈りに来ました。それで本堂でお参りです。
本堂前には大きな釘抜きの像があって、それを見ながら本堂で、ご本尊の地蔵菩薩に母の事お願いしました。
室町時代、紀ノ国屋道林という大商人が両手の痛みに悩まされ、その痛みを治そうと様々な治療を行いました。しかし痛みは治まらず、苦しみを抜いてくれると評判であったお地蔵様に7日間、願掛けに訪れました。満願の7日目の夜、夢の中にお地蔵様が現れ、「この痛みは、お前が前世で藁人形に釘を打ち人を呪ったむくいだ」と手の中に刺さっていた恨みの釘を抜き取り八寸釘を見せました。目覚めると両手の痛みが治まっていたので、不思議に思った商人は急いで石像寺に行きました。すると、地蔵像の前に血のついた2本の釘がそれは夢の中でお地蔵様が抜いてくれた釘だったのです。道林はお地蔵様に感謝し、100日間お礼参りをしました。その時から人々から「釘抜地蔵」と呼ばれるようになったのです。
お参りの後は、境内を散策です。それより堂を取り囲むように、約1000枚もの絵馬が並べられているのには圧巻でした。
境内南東隅にあった玉姫大明神。手前には不動明王と地蔵尊がありました。
同じ本堂裏には、鎌倉時代に造られ、重要文化財に指定されている石像弥陀三尊像もありました。
こちらも見所の一つで事前に知ってました。一つの石から掘り出した石仏としては日本最古のもと言われています。
本堂裏の最後には、釘抜地蔵尊です。中は暗くとうかがい知ることはできません。
最後に、寺務所で、お札をいただきに入りました。本当は、お参りのあと直ぐに行ったのですが、一人の方が・・・中々終わらなくて・・・最後になりました。
朱印は、お百度参りが条件だそうで、諦めました。そして御守りはいただきました。直ぐに持って帰ると・・・喜んでくれて、四六時中手放さず、持っています。
母は「治ったら是非お参りに連れてって」と言ってるので、そのつもりです。まだまだ先になりそうですが・・・。この釘抜き像の奥の床机には、お年寄りが座られ雑談されてました。
この時、やっと帰られたので撮れました。ここではお年寄りの井戸端会議となっているのでしょう。
石像寺は、弘法大師・空海によって819年(弘仁10年)に創建されたお寺で元は真言宗でしたが、後に浄土宗となりました。遣唐使として唐に渡った弘法大師は、日本へ帰国の際に石を持ち帰りました。その石に地蔵菩薩を自ら彫り、人々の「諸悪・諸苦・諸病を救い助けん」と祈願されたといわれています。諸々の苦しみを抜き取ってくださるお地蔵様ということから、「苦抜(くぬき)地蔵」と呼ばれるようになり、その後「くぬき」がなまり「くぎぬき」の名で知られるようになりました。
ここから元来た道を戻って帰る手もあったんですが、ここまで来たらどうしても行きたい所があったので、妻の猛反対を押し切って次へと向かいました。私的には予定どおりだったんですが、まだまだ歩かされので、少々ご立腹・・・でした。
【釘抜地蔵(石像寺) 本堂】
私は行ったことがありませんが、姉に言わしたら、東京巣鴨のとげ抜き地蔵尊のような・・・そんなお寺です。
表門の路地を入ると中門がありますが、その手前には大きな釘抜きがありました。
中門を入ると左手に、手水舎があって、お年寄りの方が、参拝に来られてました。
ここに着いたのが9時20分。朝まだ早いですが、お年寄りには関係ないですね。ここでは母の腰の痛みを少しでも取って貰おうとお祈りに来ました。それで本堂でお参りです。
本堂前には大きな釘抜きの像があって、それを見ながら本堂で、ご本尊の地蔵菩薩に母の事お願いしました。
室町時代、紀ノ国屋道林という大商人が両手の痛みに悩まされ、その痛みを治そうと様々な治療を行いました。しかし痛みは治まらず、苦しみを抜いてくれると評判であったお地蔵様に7日間、願掛けに訪れました。満願の7日目の夜、夢の中にお地蔵様が現れ、「この痛みは、お前が前世で藁人形に釘を打ち人を呪ったむくいだ」と手の中に刺さっていた恨みの釘を抜き取り八寸釘を見せました。目覚めると両手の痛みが治まっていたので、不思議に思った商人は急いで石像寺に行きました。すると、地蔵像の前に血のついた2本の釘がそれは夢の中でお地蔵様が抜いてくれた釘だったのです。道林はお地蔵様に感謝し、100日間お礼参りをしました。その時から人々から「釘抜地蔵」と呼ばれるようになったのです。
お参りの後は、境内を散策です。それより堂を取り囲むように、約1000枚もの絵馬が並べられているのには圧巻でした。
境内南東隅にあった玉姫大明神。手前には不動明王と地蔵尊がありました。
同じ本堂裏には、鎌倉時代に造られ、重要文化財に指定されている石像弥陀三尊像もありました。
こちらも見所の一つで事前に知ってました。一つの石から掘り出した石仏としては日本最古のもと言われています。
本堂裏の最後には、釘抜地蔵尊です。中は暗くとうかがい知ることはできません。
最後に、寺務所で、お札をいただきに入りました。本当は、お参りのあと直ぐに行ったのですが、一人の方が・・・中々終わらなくて・・・最後になりました。
朱印は、お百度参りが条件だそうで、諦めました。そして御守りはいただきました。直ぐに持って帰ると・・・喜んでくれて、四六時中手放さず、持っています。
母は「治ったら是非お参りに連れてって」と言ってるので、そのつもりです。まだまだ先になりそうですが・・・。この釘抜き像の奥の床机には、お年寄りが座られ雑談されてました。
この時、やっと帰られたので撮れました。ここではお年寄りの井戸端会議となっているのでしょう。
石像寺は、弘法大師・空海によって819年(弘仁10年)に創建されたお寺で元は真言宗でしたが、後に浄土宗となりました。遣唐使として唐に渡った弘法大師は、日本へ帰国の際に石を持ち帰りました。その石に地蔵菩薩を自ら彫り、人々の「諸悪・諸苦・諸病を救い助けん」と祈願されたといわれています。諸々の苦しみを抜き取ってくださるお地蔵様ということから、「苦抜(くぬき)地蔵」と呼ばれるようになり、その後「くぬき」がなまり「くぎぬき」の名で知られるようになりました。
ここから元来た道を戻って帰る手もあったんですが、ここまで来たらどうしても行きたい所があったので、妻の猛反対を押し切って次へと向かいました。私的には予定どおりだったんですが、まだまだ歩かされので、少々ご立腹・・・でした。
【釘抜地蔵(石像寺) 本堂】