トイレの神様で知られる大龍寺へ
「NHKニュース630 京いちにち」と言う番組があって、3月25日(金)に放送されたコーナーに「京のええとこつれてって」がありました。その中でレポーターの方が周山街道を散策されました。最初は福王子神社、そして画面が変わって、大龍寺でしたが、これが歩いて行くには・・・遠い・・・30分はかかるかと思います。
そんな風景を何気なく見てたら、その週に入院した母の転院日が、3月26日(土)に決まりました。午後から介護タクシーで移動するので、それまでは・・・午前中・・・時間が空きました。そしたら、先に番組で見た大龍寺と、以前から行きたかった神社に行ってようと・・・思い着いた訳です。
周山街道の高雄病院前バス停から歩いて、少しだけ山側に登ると大龍寺の山門が見えて来ました。
市バス8号系統がありますが、一時間に一本しかありませんので、事前に時刻を入念に調べました。多分、テレビでは車で移動されたのでしょう。
山門を入ったら階段を上がります。そしたら中門があって、そこをくぐると3月25日(金)の放送で見た風景でした。
入って右手には手水所があって、そこの桜が開花し始めてました。市内より標高も高く北に位置するので、桜はまだまだでしたね。
そして、うすさま堂です。この寺が通称の「うっさん」・「うっさんの寺」とも呼ばれ、秘仏の有樞沙摩明王(うすさまみょうおう)が祀られています。このお寺がトイレの守り神様と知られる由縁です。
そして、うすさま堂の上を見上げると、テレビで紹介された河童がありました。この珍しい河童の蟇股を見に来た訳です。
どこにも案内は出てませんてしたが、放送では二代目・中村鴈治郎さんが奉納された河童の蟇股と紹介されてました。
扇千景さんの旦那さん、人間国宝の坂田藤十郎さんのお父さんが、二代目・中村鴈治郎さんなんですね。そしてうすさま堂のお隣が、乳守地蔵堂です。
あとで寺務所にお邪魔したんですが、その時由緒書きを聞きましたが、印刷が切れてるらしいです。要するに無かったので、詳しいことは分からなかったです。
大龍寺はかつて中京区裏寺町の花街にあり、花街の女性に信仰されてそうです。歴史は、1586年(天正14年)然誉上人が京で疫病が流行した際、有樞沙摩明王の法力にすがる為に建立。その後1788年(天明8年)の大火によって焼失し、1804年(文化元年)信者が材木を持ち寄って、うすさま堂を建立しました。1977年(昭和52年)に現在地を移って現在に至っています。
トイレの守り神は知ってました。あとで、お札をいただきます。そのためここより上に上がります。゛とうやら本堂は上にあるようです。
咲き始めた桜を見ながら、階段を上がると、高雄の山並みが見渡せました。
ここに来るまで材木屋が点在してました。有名な北山杉が見渡せます。ただここは梅ヶ畑ですので、まだまだこの先ですが・・・
。
本堂は、またまた一段高い所にありました。光明堂と呼ばれてるみたいで、阿弥陀如来像がご本尊のようです。
外からは内陣はうかがい知ることはできません。この交通の便が悪い梅ヶ畑の地に、訪れる人はいませんでした。
そして、最後に御朱印です。ここでいただけるかどうかは未確認でした。お札はトイレの守り神だけあって、あるのは分かってましたが・・・それで寺務所の呼び鈴を押してみました。
そしたら中か人が出て来られらましたが、電話中だったらしく、長くまたされました。そして再び出てこられたので、御朱印とお札をお願いしました。
最後に鐘楼を見に行きました。手前には可愛い木瓜の花が咲いてました。この大龍寺を調べてたら、この鐘楼からの写真が使われてたからです。
3月12日(土)に出掛けて以来、この日の3月26日(土)までどこも行けませんでした。母の病状が悪化し、3月17日からは、体を動かすことも出来なくなって・・・3月23日(火)になってようやく入院させることができました(通ってた医院の先生がもう少し早くと言うか、最初から入院させてくれてたら・・・と・・・私らも最初から救急車を呼んだらよかったと後悔仕切り・・・)。そして手術を受けるための他の病院への転院日が、今日だったわけです。その間に、我が家の老猫も重い病にかかってしまい・・・私がアタフタ。動物病院に電話を入れて、雨が降る中、籠に入れて動物病院まで歩いて、見せに行ったりして・・・散々な日々でした。これを書いている時には手術も無事終わりましたし、現在はリハビリ中ですし、猫ちゃんも、元気です
が、薬は手放せなくなりました。
この大龍寺のあと、周山街道を少し登って、今日の目的地に向かいました。
【大龍寺 うすさま堂】

そんな風景を何気なく見てたら、その週に入院した母の転院日が、3月26日(土)に決まりました。午後から介護タクシーで移動するので、それまでは・・・午前中・・・時間が空きました。そしたら、先に番組で見た大龍寺と、以前から行きたかった神社に行ってようと・・・思い着いた訳です。
周山街道の高雄病院前バス停から歩いて、少しだけ山側に登ると大龍寺の山門が見えて来ました。
市バス8号系統がありますが、一時間に一本しかありませんので、事前に時刻を入念に調べました。多分、テレビでは車で移動されたのでしょう。
山門を入ったら階段を上がります。そしたら中門があって、そこをくぐると3月25日(金)の放送で見た風景でした。
入って右手には手水所があって、そこの桜が開花し始めてました。市内より標高も高く北に位置するので、桜はまだまだでしたね。
そして、うすさま堂です。この寺が通称の「うっさん」・「うっさんの寺」とも呼ばれ、秘仏の有樞沙摩明王(うすさまみょうおう)が祀られています。このお寺がトイレの守り神様と知られる由縁です。
そして、うすさま堂の上を見上げると、テレビで紹介された河童がありました。この珍しい河童の蟇股を見に来た訳です。
どこにも案内は出てませんてしたが、放送では二代目・中村鴈治郎さんが奉納された河童の蟇股と紹介されてました。
扇千景さんの旦那さん、人間国宝の坂田藤十郎さんのお父さんが、二代目・中村鴈治郎さんなんですね。そしてうすさま堂のお隣が、乳守地蔵堂です。
あとで寺務所にお邪魔したんですが、その時由緒書きを聞きましたが、印刷が切れてるらしいです。要するに無かったので、詳しいことは分からなかったです。
大龍寺はかつて中京区裏寺町の花街にあり、花街の女性に信仰されてそうです。歴史は、1586年(天正14年)然誉上人が京で疫病が流行した際、有樞沙摩明王の法力にすがる為に建立。その後1788年(天明8年)の大火によって焼失し、1804年(文化元年)信者が材木を持ち寄って、うすさま堂を建立しました。1977年(昭和52年)に現在地を移って現在に至っています。
トイレの守り神は知ってました。あとで、お札をいただきます。そのためここより上に上がります。゛とうやら本堂は上にあるようです。
咲き始めた桜を見ながら、階段を上がると、高雄の山並みが見渡せました。
ここに来るまで材木屋が点在してました。有名な北山杉が見渡せます。ただここは梅ヶ畑ですので、まだまだこの先ですが・・・

本堂は、またまた一段高い所にありました。光明堂と呼ばれてるみたいで、阿弥陀如来像がご本尊のようです。
外からは内陣はうかがい知ることはできません。この交通の便が悪い梅ヶ畑の地に、訪れる人はいませんでした。
そして、最後に御朱印です。ここでいただけるかどうかは未確認でした。お札はトイレの守り神だけあって、あるのは分かってましたが・・・それで寺務所の呼び鈴を押してみました。
そしたら中か人が出て来られらましたが、電話中だったらしく、長くまたされました。そして再び出てこられたので、御朱印とお札をお願いしました。
最後に鐘楼を見に行きました。手前には可愛い木瓜の花が咲いてました。この大龍寺を調べてたら、この鐘楼からの写真が使われてたからです。
3月12日(土)に出掛けて以来、この日の3月26日(土)までどこも行けませんでした。母の病状が悪化し、3月17日からは、体を動かすことも出来なくなって・・・3月23日(火)になってようやく入院させることができました(通ってた医院の先生がもう少し早くと言うか、最初から入院させてくれてたら・・・と・・・私らも最初から救急車を呼んだらよかったと後悔仕切り・・・)。そして手術を受けるための他の病院への転院日が、今日だったわけです。その間に、我が家の老猫も重い病にかかってしまい・・・私がアタフタ。動物病院に電話を入れて、雨が降る中、籠に入れて動物病院まで歩いて、見せに行ったりして・・・散々な日々でした。これを書いている時には手術も無事終わりましたし、現在はリハビリ中ですし、猫ちゃんも、元気です

この大龍寺のあと、周山街道を少し登って、今日の目的地に向かいました。
【大龍寺 うすさま堂】