平成28年 春の京都禅寺一斉拝観 妙心寺塔頭 桂春院へ
4月20日(水)に訪れた妙心寺を再び4月23日(土)に訪れたました。平成28年 春の京都禅寺一斉拝観で、通常非公開寺院の訪問が目的ですが、その寺院は原則、金・土・日での公開のため20日(水)では開いてなかったからです。(それなら金曜日に行ったら一回で済んだのにね、しかし、どうしても休めない仕事があったので
)
その寺院に行く前、先に平成28年 春の京都禅寺一斉拝観 妙心寺塔頭 桂春院に行きました。桂春院も通常拝観してますが、この期間中、通常非公開の茶室「既白庵(きはくあん)」が公開されるとあって、訪れた次第です。
JR「花園」駅から歩いてきました。途中、あとで訪れる寺院を通りましたが、数名並んでいましたね。この訳はその寺院で説明することにして、拝観時間の9時ほんの前に山門につきました。
山門を入ったら直ぐに庫裏があり、そこから入ると・・・。
靴を下駄箱に入れ上がり、右手にある拝観受付で拝観料400円を納めます。そしてそこに置いてあったスタンプを押しました。これで4個目をゲット
です。
桂昌院には、2006年(H18年)3月と2011年10月についで、3回目の訪問です。ただ最初の訪問時の記憶がまったくなく、この記事を書くために、過去を調べて分かったことでした。ただこの事でちょっとしたサプライズがありましたが・・・
。
受付を済ませて最初に目にするのが、古い井筒が残る坪庭「清浄(しょうじょう)の庭」です。
写真手前の井筒から紀州の奇岩・巨石を直立に配した枯瀧の石組で、流れ出る川を表現しているとか。
次ぎにあっさり書院に着きました。2011年10月には、ここで和菓子と抹茶をいただきました。
普段は隠されてる奥の茶室が開いています。そうです、ここが茶室「既白庵(きはくあん)」なんです。この茶室が特別に公開されたので見に来ました。
茶室「既白庵(きはくあん)」(通常拝観不可)は書院の背後に隠れるようにして建っています。しかも書院と茶室の間は二重襖によって仕切られ、また露地庭の蹲踞も土蔵の壁に接して、樹木等でさえぎられて目立たぬようになっています。これは昔、坐禅修行を第一義として宗風大いにふるった妙心寺で、詩歌、香道、能楽、茶道等の芸術味をたのしむことは邪道であるとし、これに耽けるものは入牢とまでの錠があったためなのです。(案内板より)
立ち入りはもちろん、内部の撮影も禁止されてました。滅多に見られないだろうし、じっくり見せてもらいました。ただ、家に帰って暫くして、5月の連休中に写真の整理をしていたら、以前・・・2006年(H18年)3月訪問時の写真を見つけました。そしたら・・・この茶室・・・普通に拝観してましたし、写真も撮ってました。
当時は、そんなに茶室について感心もなかったので、枚数はこれだけです
。今日は奥の茶室は、真っ暗でしたが、当時の写真を見た限り電気が付いてるようで・・・普通に拝観してたようです。私にはちょっとしたサプライズでした・・・10年もたって、すっかり忘れたのが事実ですが
。
ここから目にする庭が「侘の庭」といいます。今日は次の予定があったので、腰を降ろしませんでしたが、ゆっくり座って眺めたい庭園です。
書院から茶室「既白庵」にいたる露地庭園です。小堀遠州の高弟と伝わる玉淵坊(ぎょくえんぼう)の作庭と伝わっています。
次ぎに方丈(本堂)に向かいますが、その東側の斜面を巧みに利用した「思惟の庭(しいのにわ)」があります。
斜面を利用して、深い緑と築山を配した十六羅漢の石が、幽邃堺を思わせます。築山の間を縫うように打たれた飛び石が露地風の味わいを醸し出しています。
そして方丈(本堂)にやってきました。なお、室内は撮影禁止となっていました。以前は撮れたかと思いますが・・・。
中央の仏間の襖絵は、狩野山雪の筆によると書いてありました。お参りをしていると、お庭にで住職が清掃されてました。広い庭園をお一人で手入れ・・・毎日大変です。
桂春院に4つある庭園の最後は「真如の庭」です。
方丈南側の崖に躑躅の大刈り込みで覆われ、1㍍以上も低い平坦地に皐・霧島躑躅・馬酔木なんかが植っています。
方丈にはスリッパが用意されているので、是非下に降りて散策しないと、大苅込の向こう側が見えません。
ツツジの大苅込から方丈が見渡せます。この日は、最初から最後まで私一人の独占でした。それで、奥に進むと・・・。
薄暗い木立の中、一面スギ苔に覆われた庭園を目にします。苔の美しさに驚嘆しながら奥へ奥へ進みます。
前途した2006年(H18年)3月の写真を見ると、この辺りに滝の流れこむ池があって、その中に錦鯉が泳いでいましたが、今は跡形もありませんでした。
この美しいスギ苔の中に、小さな石がさりげなく配置されています。七五三風に置かれた石は、十五夜満月を表現しているとか。
妙心寺塔頭 桂春院は、1598年(慶長3年)に織田信長の嫡男である織田信忠の次男、津田秀則により妙心寺山内に見性院(けんしょういん)として創建されました。秀則の没後の1632年(寛永9年)、石河貞政が亡父光政の50年忌にあたって追善供養のために、桂南守仙和尚(けいなんしゅせんおしょう)を請じて、1631年(寛永8年)に建てられた現存の方丈、庫裡、書院、茶室等の建物を完備し、両親の法名、天仙守桂大禅定門の「桂」と裳陰妙春大姉の「春」の二文字をとって桂春院とあらためられました。桂南和尚の師、心華霊明禅師を勧請開祖としています。
ここには9時10分に出ました。予定より5分早くなってしまいましたが、これでも充分です。毎年、桂春院の紅葉も見てみたいと思いつつまだ行けてないので、今年こそ・・・と密かに思いながら、山門をあとにしました。
【妙心寺塔頭 桂春院 茶室「既白庵」】


その寺院に行く前、先に平成28年 春の京都禅寺一斉拝観 妙心寺塔頭 桂春院に行きました。桂春院も通常拝観してますが、この期間中、通常非公開の茶室「既白庵(きはくあん)」が公開されるとあって、訪れた次第です。
JR「花園」駅から歩いてきました。途中、あとで訪れる寺院を通りましたが、数名並んでいましたね。この訳はその寺院で説明することにして、拝観時間の9時ほんの前に山門につきました。
山門を入ったら直ぐに庫裏があり、そこから入ると・・・。
靴を下駄箱に入れ上がり、右手にある拝観受付で拝観料400円を納めます。そしてそこに置いてあったスタンプを押しました。これで4個目をゲット

桂昌院には、2006年(H18年)3月と2011年10月についで、3回目の訪問です。ただ最初の訪問時の記憶がまったくなく、この記事を書くために、過去を調べて分かったことでした。ただこの事でちょっとしたサプライズがありましたが・・・

受付を済ませて最初に目にするのが、古い井筒が残る坪庭「清浄(しょうじょう)の庭」です。
写真手前の井筒から紀州の奇岩・巨石を直立に配した枯瀧の石組で、流れ出る川を表現しているとか。
次ぎにあっさり書院に着きました。2011年10月には、ここで和菓子と抹茶をいただきました。
普段は隠されてる奥の茶室が開いています。そうです、ここが茶室「既白庵(きはくあん)」なんです。この茶室が特別に公開されたので見に来ました。
茶室「既白庵(きはくあん)」(通常拝観不可)は書院の背後に隠れるようにして建っています。しかも書院と茶室の間は二重襖によって仕切られ、また露地庭の蹲踞も土蔵の壁に接して、樹木等でさえぎられて目立たぬようになっています。これは昔、坐禅修行を第一義として宗風大いにふるった妙心寺で、詩歌、香道、能楽、茶道等の芸術味をたのしむことは邪道であるとし、これに耽けるものは入牢とまでの錠があったためなのです。(案内板より)
立ち入りはもちろん、内部の撮影も禁止されてました。滅多に見られないだろうし、じっくり見せてもらいました。ただ、家に帰って暫くして、5月の連休中に写真の整理をしていたら、以前・・・2006年(H18年)3月訪問時の写真を見つけました。そしたら・・・この茶室・・・普通に拝観してましたし、写真も撮ってました。
当時は、そんなに茶室について感心もなかったので、枚数はこれだけです


ここから目にする庭が「侘の庭」といいます。今日は次の予定があったので、腰を降ろしませんでしたが、ゆっくり座って眺めたい庭園です。
書院から茶室「既白庵」にいたる露地庭園です。小堀遠州の高弟と伝わる玉淵坊(ぎょくえんぼう)の作庭と伝わっています。
次ぎに方丈(本堂)に向かいますが、その東側の斜面を巧みに利用した「思惟の庭(しいのにわ)」があります。
斜面を利用して、深い緑と築山を配した十六羅漢の石が、幽邃堺を思わせます。築山の間を縫うように打たれた飛び石が露地風の味わいを醸し出しています。
そして方丈(本堂)にやってきました。なお、室内は撮影禁止となっていました。以前は撮れたかと思いますが・・・。
中央の仏間の襖絵は、狩野山雪の筆によると書いてありました。お参りをしていると、お庭にで住職が清掃されてました。広い庭園をお一人で手入れ・・・毎日大変です。
桂春院に4つある庭園の最後は「真如の庭」です。
方丈南側の崖に躑躅の大刈り込みで覆われ、1㍍以上も低い平坦地に皐・霧島躑躅・馬酔木なんかが植っています。
方丈にはスリッパが用意されているので、是非下に降りて散策しないと、大苅込の向こう側が見えません。
ツツジの大苅込から方丈が見渡せます。この日は、最初から最後まで私一人の独占でした。それで、奥に進むと・・・。
薄暗い木立の中、一面スギ苔に覆われた庭園を目にします。苔の美しさに驚嘆しながら奥へ奥へ進みます。
前途した2006年(H18年)3月の写真を見ると、この辺りに滝の流れこむ池があって、その中に錦鯉が泳いでいましたが、今は跡形もありませんでした。
この美しいスギ苔の中に、小さな石がさりげなく配置されています。七五三風に置かれた石は、十五夜満月を表現しているとか。
妙心寺塔頭 桂春院は、1598年(慶長3年)に織田信長の嫡男である織田信忠の次男、津田秀則により妙心寺山内に見性院(けんしょういん)として創建されました。秀則の没後の1632年(寛永9年)、石河貞政が亡父光政の50年忌にあたって追善供養のために、桂南守仙和尚(けいなんしゅせんおしょう)を請じて、1631年(寛永8年)に建てられた現存の方丈、庫裡、書院、茶室等の建物を完備し、両親の法名、天仙守桂大禅定門の「桂」と裳陰妙春大姉の「春」の二文字をとって桂春院とあらためられました。桂南和尚の師、心華霊明禅師を勧請開祖としています。
ここには9時10分に出ました。予定より5分早くなってしまいましたが、これでも充分です。毎年、桂春院の紅葉も見てみたいと思いつつまだ行けてないので、今年こそ・・・と密かに思いながら、山門をあとにしました。
【妙心寺塔頭 桂春院 茶室「既白庵」】