平成28年 春の京都禅寺一斉拝観 妙心寺塔頭 大雄院へ
JR「花園」駅から歩いて妙心寺の境内に入り、石畳を進んで行きます。そして、時計の針が9時になろうとした時、ある寺院の前には4名から5名ほどの人が開門を待っておられました。それを横目で見ながら、私は桂春院に行き、再びある寺院に戻ってきのが9時12分でした。
その寺院とは、通常非公開の平成28年 春の京都禅寺一斉拝観 妙心寺塔頭 大雄院(だいおういん)でした。何故、開門直後に行かなかったのか・・・それは、9時、11時、15時に無料で15分程度、座禅体験が出来るからです。私は、膝が悪く、とても座禅を出来る体調でもないので敬遠した訳です。多分、座禅の時間中は拝観できないだろうと・・・想像してました。
桂春院からすぐのところ大雄院の表門かあります。桂春院を出たら表門前には誰も居なくなってました。
通常非公開でも、来年の「京の冬の旅」で公開されるようで、まだチャンスはあったようです。ただ今日は絶好の天気に恵まれました。
表門を入ると、どうやら正面の建物が拝観受付のようです。長い石畳を歩くと左手には禅宗らしい庫裏もありました。
拝観受付で拝観料500円と御朱印をお願いしたので、計800円納めました。ここでは書き置きしかなく、日付を住職さんが書いてもらう方式でした。「今、座禅が始まったばかりで、奥のへやには行けないのでご了承下さい」と。時間をずらすために、先に桂春院に行ったのに・・・意味が無かった・・・。
入ると直ぐ客殿で、約10分、前庭を見ながら待つことになりました。
奥では何名か知りませんが座禅されてるんでしょう。体験版のため15分ですが、私は入社直後の社員教育で、南禅寺にて、本格的なのをやりました。あれから座禅・・・してないなぁ・・・。
約10分、静かな時が流れました。特に名前が付いた庭園ではありませんが・・・また、客殿の襖絵も、ゆっくり観賞しました。なお室内は撮影禁止でした。
内部の襖絵は、柴田是真(しばたぜしん)という江戸末期から明治初期に活躍した著名な蒔絵師であり画家だった人物のもです。柴田是真の作品は、欧米の博覧会に出品したことがって、特に人気があるそうです。撮影出来ないのは残念ですが、遠目から雰囲気だけでも。
そうこうしてたら、チーンと鐘の音がし、住職さんが出てこられました。座禅が終わったようで、奥の書院への入口にあった結界を取られました。
奥の部屋には2人おられて、座禅されてたのでしょう。
座布団がフワフワで、以前私が受けた研修とは・・・大違い。法堂内の冷たい床に座布団1枚でしたら。
また、上の写真で少しだけ見えてる書院の襖絵は、円山応挙に師事していた土岐済美(ときざいみ)による障壁画です。そして、ここも客殿からの前庭が続いています。池もあって池泉枯山水庭園でした。
池には錦鯉も優雅に泳いでました。庭園も綺麗だし、襖絵も貴重な絵師による作品だし、常時拝観を望まれる寺院でした。
こちらは江戸期の東司(とうす)で、今で言うお手洗いのことです。ここ大雄院が建築された1726年(享保11年)に造られ、当時は使用されてたのでしょう。原型のまま残っているようです。
妙心寺塔頭 大雄院は、1603年(慶長8年)に尾張藩家老であった石河光忠がその父の菩提寺として慧南玄譲(えなん げんじょう)を開祖に迎えて建立しました。これにより、それ以来、大雄院は尾張石河家の香華所となっています。諸堂伽藍のうち、客殿と書院は1726年(享保11年)に再建されたもので、庫裏は江戸末期に改築されました。
ここには20分居たので、9時32分に出てきました。そんなに広い寺院でもなかったのに、ゆっくりした方です。座禅待ちの10分もありましたから。
拝観受付で、朱印帳を受け取って家で貼りました。受付に住職さんが座られてたので、顔をみとお若いので驚きました。ここから妙心寺北門まで行き、バスに乗って病院に向かった次第です。
その寺院とは、通常非公開の平成28年 春の京都禅寺一斉拝観 妙心寺塔頭 大雄院(だいおういん)でした。何故、開門直後に行かなかったのか・・・それは、9時、11時、15時に無料で15分程度、座禅体験が出来るからです。私は、膝が悪く、とても座禅を出来る体調でもないので敬遠した訳です。多分、座禅の時間中は拝観できないだろうと・・・想像してました。
桂春院からすぐのところ大雄院の表門かあります。桂春院を出たら表門前には誰も居なくなってました。
通常非公開でも、来年の「京の冬の旅」で公開されるようで、まだチャンスはあったようです。ただ今日は絶好の天気に恵まれました。
表門を入ると、どうやら正面の建物が拝観受付のようです。長い石畳を歩くと左手には禅宗らしい庫裏もありました。
拝観受付で拝観料500円と御朱印をお願いしたので、計800円納めました。ここでは書き置きしかなく、日付を住職さんが書いてもらう方式でした。「今、座禅が始まったばかりで、奥のへやには行けないのでご了承下さい」と。時間をずらすために、先に桂春院に行ったのに・・・意味が無かった・・・。
入ると直ぐ客殿で、約10分、前庭を見ながら待つことになりました。
奥では何名か知りませんが座禅されてるんでしょう。体験版のため15分ですが、私は入社直後の社員教育で、南禅寺にて、本格的なのをやりました。あれから座禅・・・してないなぁ・・・。
約10分、静かな時が流れました。特に名前が付いた庭園ではありませんが・・・また、客殿の襖絵も、ゆっくり観賞しました。なお室内は撮影禁止でした。
内部の襖絵は、柴田是真(しばたぜしん)という江戸末期から明治初期に活躍した著名な蒔絵師であり画家だった人物のもです。柴田是真の作品は、欧米の博覧会に出品したことがって、特に人気があるそうです。撮影出来ないのは残念ですが、遠目から雰囲気だけでも。
そうこうしてたら、チーンと鐘の音がし、住職さんが出てこられました。座禅が終わったようで、奥の書院への入口にあった結界を取られました。
奥の部屋には2人おられて、座禅されてたのでしょう。
座布団がフワフワで、以前私が受けた研修とは・・・大違い。法堂内の冷たい床に座布団1枚でしたら。
また、上の写真で少しだけ見えてる書院の襖絵は、円山応挙に師事していた土岐済美(ときざいみ)による障壁画です。そして、ここも客殿からの前庭が続いています。池もあって池泉枯山水庭園でした。
池には錦鯉も優雅に泳いでました。庭園も綺麗だし、襖絵も貴重な絵師による作品だし、常時拝観を望まれる寺院でした。
こちらは江戸期の東司(とうす)で、今で言うお手洗いのことです。ここ大雄院が建築された1726年(享保11年)に造られ、当時は使用されてたのでしょう。原型のまま残っているようです。
妙心寺塔頭 大雄院は、1603年(慶長8年)に尾張藩家老であった石河光忠がその父の菩提寺として慧南玄譲(えなん げんじょう)を開祖に迎えて建立しました。これにより、それ以来、大雄院は尾張石河家の香華所となっています。諸堂伽藍のうち、客殿と書院は1726年(享保11年)に再建されたもので、庫裏は江戸末期に改築されました。
ここには20分居たので、9時32分に出てきました。そんなに広い寺院でもなかったのに、ゆっくりした方です。座禅待ちの10分もありましたから。
拝観受付で、朱印帳を受け取って家で貼りました。受付に住職さんが座られてたので、顔をみとお若いので驚きました。ここから妙心寺北門まで行き、バスに乗って病院に向かった次第です。