平成28年 春の京都禅寺一斉拝観 東福寺塔頭 退耕庵へ
4月12日(火)から平成28年 春の京都禅寺一斉拝観が始まりました。今年は、臨済禅師1150年・白隠禅師250年遠忌記念と題して、5月22日(日)まで(各寺院によっと公開日は異なります)開催されることになりました。
通常拝観している寺院は別にして、今回特別に公開される寺院を回ることにして、私にとって初日の4月16日(土)に東福寺塔頭 退耕庵にさっそく行ってきました。
JR「東福寺」駅から歩いて5分程度で、退耕庵の山門前に着きました。思ってたより近かったですし、この時まだ9時55分で拝観開始の5分前でした。
退耕庵の公開は、4月12日(火)~18日(月)の一週間だけで、私は混雑を想像してましが、5分前でしたが誰も居ません。
山門を入って、真っ直ぐ石畳を進むと左手に唐門があって、その中に臨時の拝観受付がありました。
ここで拝観料500円を納めます。そして、今回の「平成28年 春の京都禅寺一斉拝観」のスタンプラリーの用紙をもらいました。ただ「冬の旅」のスタンプラリーと違って、絶対貰える何かが無いので・・・要するに抽選のため運任せ・・・そんな感じです。
ここから先には撮影禁止です。これは前回がそうであったように、分かってましたが、やっぱり残念ですよね。ここ退耕庵の公開は、直近では2010年(平成22年)の「京の冬の旅」、2012年(平成24年)の「春季非公開寺院特別公開」のあと、最近では公開がなかったので、これを知ってから是非行こうと決めてました。私にとっては初訪問となります。
入ると矢印が出て、本来なら客殿に先に入ります。しかし、例によって私は見落としました。いつものことで本堂から入ったので、誰もいません。ふと向かいの客殿を見ると大勢の人が話を聞いておられました。やっはり人気寺院だけのことはありますね。(ここから写真が無いのでパンフから)
本堂から見た客殿です。中庭は綺麗な枯山水庭園で、一面蓮が浮いてる池がありました。ここの見所は客殿の南庭ですが・・・後程。
東福寺塔頭の退耕庵は、室町幕府初期の1346年(貞和2年)に東福寺第四十三世・性海霊見(しょうかいれいげん)により創建されました。応仁の乱の後、荒廃しましたが、関ケ原の合戦の前の1599年(慶長4年)に時の住持・安国寺恵瓊によって再興されました。幕末の鳥羽伏見の戦いのときに東福寺が長州藩の屯所となったため、その戦死者の菩提寺ともなっています。
戦国歴史ファンにとってガイドさんから安国寺恵瓊の話が出てくるなんて思ってもなかったです。話を聞いてて建仁寺にある首塚を思い出しました。
あと、洛陽十八ケ所地蔵巡りの掛け軸も紹介してもらいました。先般訪れた釘抜き地蔵もありましたし、ここの玉章(たまずさ)地蔵は、最後に見て帰ろうかと思いました。また、本堂には「小野小町百歳像」が安置されています。
以前、MBS毎日放送の「ちちんぷいぷい」で退耕庵を訪問されたのを覚えてました。ガイドさんに悪いので、初めて聞いたフリをしてましたが。テレビではご住職の奥様が説明されてましたが、絶世の美女と言われた小野小町が百歳になったらと・・・想像で造られたとか。やっと生で見られました。
そして本堂内を見て回り、客殿に移動しました。次から次へと拝観者が入って来られます。一週間しか拝観期間がないのと、最後の週末も重なってのことでしょう。、
ここの見所は、南庭でしょう。枯山水の「真隠庭(しんにんてい)」といい、創建時に性海霊見が修行した中国の地を模して作庭したものと伝わっています。
こちらは看板の写真ですが、見た目はもっと綺麗です。すごく趣があって、見てて飽きない・・・そんな庭園でした。それにグッドタイングで、キリシマツツジが6分咲きぐらい・・・ガイドさんの話では、「今年は咲くのが早かったので、見て貰えました」と。例年なら5月の連休ぐらいが見所でしょう。暫く園側に座って眺めていました。
また、ここには四畳半台目の茶室「作夢軒(さくむけん)」がありました。
中に入れないので、このパンフの写真のようにしか見ることができません。ここからじっくり覗かせてもらいました。それは・・・関ヶ原前年、安国寺恵瓊は、石田三成や小早川秀秋らと家康討伐の謀略がこの茶室で度々行なわれたそうで、当時のまま残っています。従ってこの茶室には用心のため「忍び天井」があり、隣には「伏せ侍の間」があるそうです。
写真が撮れないのは、返す返す残念ですが、戦国歴史ファンにとっては来て良かったですし、キリシマツツジも咲いてたので、良いときに来られたと思います。
そんなに長居せず、ここを出る前に「朱印」を尋ねました。すると「庫裏の中でご住職から書いていただきます」と案内がされたので、ここを出て庫裏に向かいました。
ここでは数名待たれてました。そのため少し時間はかかりましたが、普段非公開のため貴重な朱印をいただくことができました。
最後に、ここは普段からもお参りができますが、ガイドさんの話を聞いたので寄りました。山門を入ってすぐ右にある地蔵堂です。
かつて小町寺に祀られていた地蔵菩薩坐像が、小町寺が廃寺になったために1875年(明治8年)に当庵に移されました。この地蔵菩薩坐像は玉章(たまずさ)地蔵と呼ばれ、白い顔が特徴で、胎内には小野小町宛の恋文を多数収めていると伝えていることから、良縁をもたらすとして信仰されています。(内部は撮影禁止で、パンフから)
今日は、朝に母が入院している病院から電話があったことから、この日の拝観は退耕庵だけで、急いでJR「東福寺」駅に行き、山科の病院に向かいました。
【東福寺塔頭 退耕庵 真隠庭】
通常拝観している寺院は別にして、今回特別に公開される寺院を回ることにして、私にとって初日の4月16日(土)に東福寺塔頭 退耕庵にさっそく行ってきました。
JR「東福寺」駅から歩いて5分程度で、退耕庵の山門前に着きました。思ってたより近かったですし、この時まだ9時55分で拝観開始の5分前でした。
退耕庵の公開は、4月12日(火)~18日(月)の一週間だけで、私は混雑を想像してましが、5分前でしたが誰も居ません。
山門を入って、真っ直ぐ石畳を進むと左手に唐門があって、その中に臨時の拝観受付がありました。
ここで拝観料500円を納めます。そして、今回の「平成28年 春の京都禅寺一斉拝観」のスタンプラリーの用紙をもらいました。ただ「冬の旅」のスタンプラリーと違って、絶対貰える何かが無いので・・・要するに抽選のため運任せ・・・そんな感じです。
ここから先には撮影禁止です。これは前回がそうであったように、分かってましたが、やっぱり残念ですよね。ここ退耕庵の公開は、直近では2010年(平成22年)の「京の冬の旅」、2012年(平成24年)の「春季非公開寺院特別公開」のあと、最近では公開がなかったので、これを知ってから是非行こうと決めてました。私にとっては初訪問となります。
入ると矢印が出て、本来なら客殿に先に入ります。しかし、例によって私は見落としました。いつものことで本堂から入ったので、誰もいません。ふと向かいの客殿を見ると大勢の人が話を聞いておられました。やっはり人気寺院だけのことはありますね。(ここから写真が無いのでパンフから)
本堂から見た客殿です。中庭は綺麗な枯山水庭園で、一面蓮が浮いてる池がありました。ここの見所は客殿の南庭ですが・・・後程。
東福寺塔頭の退耕庵は、室町幕府初期の1346年(貞和2年)に東福寺第四十三世・性海霊見(しょうかいれいげん)により創建されました。応仁の乱の後、荒廃しましたが、関ケ原の合戦の前の1599年(慶長4年)に時の住持・安国寺恵瓊によって再興されました。幕末の鳥羽伏見の戦いのときに東福寺が長州藩の屯所となったため、その戦死者の菩提寺ともなっています。
戦国歴史ファンにとってガイドさんから安国寺恵瓊の話が出てくるなんて思ってもなかったです。話を聞いてて建仁寺にある首塚を思い出しました。
あと、洛陽十八ケ所地蔵巡りの掛け軸も紹介してもらいました。先般訪れた釘抜き地蔵もありましたし、ここの玉章(たまずさ)地蔵は、最後に見て帰ろうかと思いました。また、本堂には「小野小町百歳像」が安置されています。
以前、MBS毎日放送の「ちちんぷいぷい」で退耕庵を訪問されたのを覚えてました。ガイドさんに悪いので、初めて聞いたフリをしてましたが。テレビではご住職の奥様が説明されてましたが、絶世の美女と言われた小野小町が百歳になったらと・・・想像で造られたとか。やっと生で見られました。
そして本堂内を見て回り、客殿に移動しました。次から次へと拝観者が入って来られます。一週間しか拝観期間がないのと、最後の週末も重なってのことでしょう。、
ここの見所は、南庭でしょう。枯山水の「真隠庭(しんにんてい)」といい、創建時に性海霊見が修行した中国の地を模して作庭したものと伝わっています。
こちらは看板の写真ですが、見た目はもっと綺麗です。すごく趣があって、見てて飽きない・・・そんな庭園でした。それにグッドタイングで、キリシマツツジが6分咲きぐらい・・・ガイドさんの話では、「今年は咲くのが早かったので、見て貰えました」と。例年なら5月の連休ぐらいが見所でしょう。暫く園側に座って眺めていました。
また、ここには四畳半台目の茶室「作夢軒(さくむけん)」がありました。
中に入れないので、このパンフの写真のようにしか見ることができません。ここからじっくり覗かせてもらいました。それは・・・関ヶ原前年、安国寺恵瓊は、石田三成や小早川秀秋らと家康討伐の謀略がこの茶室で度々行なわれたそうで、当時のまま残っています。従ってこの茶室には用心のため「忍び天井」があり、隣には「伏せ侍の間」があるそうです。
写真が撮れないのは、返す返す残念ですが、戦国歴史ファンにとっては来て良かったですし、キリシマツツジも咲いてたので、良いときに来られたと思います。
そんなに長居せず、ここを出る前に「朱印」を尋ねました。すると「庫裏の中でご住職から書いていただきます」と案内がされたので、ここを出て庫裏に向かいました。
ここでは数名待たれてました。そのため少し時間はかかりましたが、普段非公開のため貴重な朱印をいただくことができました。
最後に、ここは普段からもお参りができますが、ガイドさんの話を聞いたので寄りました。山門を入ってすぐ右にある地蔵堂です。
かつて小町寺に祀られていた地蔵菩薩坐像が、小町寺が廃寺になったために1875年(明治8年)に当庵に移されました。この地蔵菩薩坐像は玉章(たまずさ)地蔵と呼ばれ、白い顔が特徴で、胎内には小野小町宛の恋文を多数収めていると伝えていることから、良縁をもたらすとして信仰されています。(内部は撮影禁止で、パンフから)
今日は、朝に母が入院している病院から電話があったことから、この日の拝観は退耕庵だけで、急いでJR「東福寺」駅に行き、山科の病院に向かいました。
【東福寺塔頭 退耕庵 真隠庭】